自閉症スペクトラムのような発達障害と統合失調症は「隣の次元」にあるものだと、ずっと思っていた。
あるいは、「温帯気候」と「熱帯低気圧」のように、そもそものカテゴリーが違うものだと思っていた。
生まれたときから持っている発達障害と、人生の途中で「発病」してはじまり、再発と寛解を繰り返す病気とでは、質的に全然違うだろうというのが、私の持っていた印象だった。
けれども統合失調症について知れば知るほど、発達障害との違いがよくわからなくなる。
自閉症の息子にも、調子が悪くなってパニックを頻繁に起こす時期がある。
重い知的障害のある息子は言葉をほとんど話さないから、パニックの原因も、内面に抱えている苦しみの様相も知ることができない。もしかしたら、統合失調症の人たちと同じように、脳の一時的な不具合と寛解とを繰り返しているのかもしれない。
これまでに、統合失調症当事者の方の手記をいくつか読んだけれど、もともと発達障害でもあったという著者の方が複数おられた。
「統合失調症日記」の著者の木村きこりさんは、高校時代に発症して、闘病しながら美大を出た方だそうだけれど、発達障害も持っていると、シリーズで出されている著作のなかにちらりと書かれていた。
「統合失調症サバイバル・マニュアル」の著者である大沢ひでくにさんも、著作の終わりのほうに発達障害であることを書いておられた。
長女さんも5年ほど前に発達障害の診断をもらって、療育手帳を取得している。当初の診断では広汎性発達障害、現在は自閉スペクトラム症となっている。
下地に発達障害があって、統合失調症を発症するという事例がどれほど多いのかは分からない。発達障害が統合失調症発症のリスクを高めるというような話も、いまのところ見つけていない。
けれども、情報処理や対人関係など、もともとの発達障害で苦手としているジャンルでのストレスが過重にかかってしまうことが、発症の引き金になるというのは、ものすごくありそうなことではある。
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ずいぶん前に、山岸涼子の「牧神の午後」という漫画作品を読んだ。ニジンスキーというバレーダンサー(競走馬ではない)の伝記を元にした作品だった。
作中のニジンスキーは、孤独で不器用な性格の青年として描かれていたけれど、私には自閉症の人のように思えてならなかった。
名声と失意の繰り返しに戦争が絡むという過酷な人生を送るうちに、ニジンスキーは精神を病んで対話不能な状態となり、バレエの世界を去っていく。
ウィキペディアには、ニジンスキーが統合失調症だったと書いてあった。
戦争のない時代に生まれて、理解ある支援者や家族に守られながらバレエに打ち込んでいられたなら、ニジンスキーは発病せずに済んだのだろうか。
わからない。