まふまふ、という歌い手さんの、「命に嫌われている。」という曲を、紅白で初めて聴いた。
命に嫌われている。/まふまふ【歌ってみた】 - YouTube
末っ子が大好きな歌い手さんだという。
この曲にも思い入れがあるようだ。
しかし歌詞が恐ろしい。
命に嫌われている。
今風にいえば、パワーワードと言うのだろうか。
パワーワード、なんていう出来合いのレッテルを貼って片付けておいても、包んだ風呂敷から毒が滲み出て手がつけられなくなるのが見えているから、どのみち直視するしかない、みたいな歌だ。
生きている実感の持てない苦しさは、解離や離人感に通じるものがある。
命に嫌われているから、生と死の境目が限りなく軽くなる。だから簡単に、感覚麻痺したような状態で、死の領域に吸い込まれていく。
それを追い詰められたような線の細い高い声で強烈に叫ぶ。
今の時代ばかりでなく、日本の国にはそんな風に命に嫌われる状況が蔓延していた時代が、たぶん何度もあった。
たとえば元禄のころに心中物が大流行して、実際に心中が多発したり、家族や友人などの親しい相手を殺傷する事件が頻発したり。
「鸚鵡籠中記」の朝日文左衛門も、周囲で頻発する心中事件をやたら熱心に追いかけて、記事を書き残していた。
文化風俗が華やかに咲き乱れた元禄時代は、幕藩体制や経済の仕組みが揺らぎはじめ、軋みを抱えていた時期でもあったという。
いまの時代と重なるところを探そうとすれば、きっといくらでも見つかるのだろうけど、歴史音痴の私もがそんなこじつけをすることに意味があるとも思えないからやらない。
それでも気になるのは、そんな元禄時代に大地震が起きていることだ。震源は相模トラフで、最大震度は7だったとか。
まふまふさんの歌を好む末っ子世代は、幼児期に東日本大震災を経験している。うちは震源から何百キロも離れていたけど、それでも本当に恐ろしかった。末っ子のクラスメートのなかには、あの津波を目の当たりにしたあと、引っ越したこちらにきたと語っていた子もいたらしい。日本で暮らす限り、日常の安寧が根こそぎ失われる可能性が常にあるという思いは、トラウマというよりも、揺るがしようのない現実の構成要素だろう。
そんな若い人たちにしてみれば、諦めずに生きようという人生讃歌、素朴で善良な命の礼賛などは、薄っぺらすぎて共感に値しないだろうし、地上の厭世感に浸るには己の命そのものの存在感が薄いとなれば、もはやこの世の理屈の大気圏外、あるいはどこでもない異次元まで遊離して、薄い世界で命に嫌われながら薄く生きる有様などを俯瞰してみるしかなくなるのかもしれない。
だとしたら、しんどいな、若い人。