湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

お掃除日記(8)

ひたすら物を捨てている。

 

もともと物に執着があって捨てることが得意ではないから、捨てる作業をしていると、心のどこかがガリガリと削られていく。

 

たぶんそのせいだと思うのだけど、ずっと喉が腫れて痛い。昔から精神的にストレスのかかることがあると扁桃腺を腫らしてしまう。体力が落ちているときだと高熱を出す。

 

無理して倒れても仕方がないので、十分に休みながら動くように気をつけてはいる。

 

でも休んでいると、なぜか物を捨てたくなる。処分しても困らないものが次々と頭に浮かんできて、じっとしていられなくなる。ついでに掃除もしたくなる。

 

 

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入院中の長女さんのことも気になって頭から離れない。退院がいつになるかはわからないし、病状の見通しもまだ持てないけれども、ゆくゆくは家を出てグループホームに入りたいと本人が強く希望していて、親である私たちもそれがいいと思っている。

 

病気や障害があったとしても、もう大人なのだ。

親元から巣立つ人生設計があるべきだと思う。

 

 

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実際、今回の長女さんの発病の引き金になったのは、主に私の新型コロナ感染だった可能性が高い。

 

私の二週間の入院中、感染して自宅療養になった亭主や息子と、感染しなかった長女さんと末っ子は、狭い家のなかで完全に棲み分けて暮らしていたという。

 

その間、長女さんはひたすら家中の消毒と清掃をして、家庭内感染を防いでくれていたらしい。住み分けているといっても、台所やトイレ、風呂場などの共有空間は、時間差で利用することになる。長女さんの献身がなければ、家族全員感染していた可能性は高かっただろう。そして、それは大変なストレスだったはずだ。

 

私の病状も間違いなくストレスだったと思う。

ハイリスクな基礎疾患持ちが結構ひどい肺炎になったのだから、きっとずいぶん心配をかけたはずだ。

 

その上、退院してからも後遺症で七ヶ月もまともに動けなかったのだ。

 

長女さんは家事の肩代わりをずいぶんしてくれていた。感謝の言葉は欠かさなかったけれども、いつまで寝たきりでいるのか分からない母親を見続けていれば、心に暗いものが降り積もっていったって不思議ではない。

 

 

皮肉なことに、長女さんの発病・入院と入れ替わるように、私の新型コロナ後遺症は消え去った。つい一ヶ月ほど前までは家事などほとんど不可能だったのに、いまは毎日何時間でも物を仕分けて捨てまくって、掃いて磨いて、片付けている。

 

長女さんにストレスを与えて苦しめた家をすっかり片付けたなら、私の喉が腫れることも無くなりそうに思う。

 

 

 

明日は燃えるゴミの日だ。

もうちょっとがんばろう。