こんにちは。
ぬい活は順調だ。☺️
写真のかぼちゃ服は、Yahooフリマで取り寄せた。
送り主様はゆうパックで即日発送してくださったのに、届くまで5日もかかったので、どうしたのかと思っていたら、取り扱い郵便局が沖縄県宜野湾市になっていた。国内でも、週末を挟むと、そのくらいかかるのだと初めて知った。
(_ _).。o○
昨晩から、現代語訳「小右記」が欲しい欲しいと騒いでいたら、今朝亭主が全巻発注したという。
滅茶苦茶嬉しい。o(^▽^)o
「源氏物語」の全巻を入手した少女時代の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が、
「后のくらひもなににかはせむ」
(帝のヨメなんか目じゃないわ!)
と喜びを爆発させた気持ちが、ものすごくよくわかる。
ただ彼女は、物語に没入して浮かれまくっている最中に、夢の中で誰かに「法華経の五巻を学べ」と告げられたことも、日記に書いている。
「法華経」五巻は、成仏できないとされる女性が成仏するようにと説いているという。
夢のお告げに従うことをしなかった孝標女だけれど、心のどこかでは、リアルな人生を見据え、きちんと向き合うことをしなければ危ういのだということも、彼女はきっと、分かっていたのだと思う。
私はどうだろうか。
孝標女と同じように、子どもの頃からずっと物語の世界に夢中で、いまも変わらず小説や漫画、果てはゲームの世界にまで、どっぷり入り浸って暮らしているけれど、いまだかつて、物語を現実逃避の手段としたことはなかったと断言できる。
幼いころ、擦り切れるほど読み返した「小公女」や「西遊記」「家なき子」「アルプスの少女」「ジャングルブック」「みつばちマーヤ」などは、他人(まれに昆虫や猿)の酷い境涯を追体験する装置であり、私にとっては手厳しい人生の教科書だった。
英雄願望に取り憑かれてでもいない限り、現実よりもよほど過酷な物語世界に逃げ込みたいと思う子どもは、あまりいないと思う。たとえ主人公がハッピーエンドを約束された英雄であっても、私はお断りしたい。他人の人生を羨ましがって成り替わりを願うより、自分の人生をなんとかしたいと、本を読めば読むほど子どもの頃の私は思っていたし、いまもそう思う。
「シンデレラ」を読んで、継母のDVを出し抜いて舞踏会に乱入し、王子妃になりたいと夢見る女の子って、ほんとうにいるんだろうか。
だいたい、成り行きでちょっと踊っただけの、よく知らない男に権力尽くでストーカーされて、見つかったら問答無用で即結婚とか、普通に考えたら恐怖でしかないと思う。
同じように考えた人はいるようで、魔法使いとシンデレラがタッグを組んで継母の陰謀を打ち破る話や、借りたドレスや馬車を売っぱらって逃走するシンデレラの話を「小説家になろう」などで見かけた気がする。
…脱線した。
「光る君へ」の続きを見よう。
そろそろ藤原道隆が死にそうなところまで来た。