湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(12月16日)

こんにちは。

 

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ぬい活を楽しみつつ、好きな古典文学を読み味わい、雅楽に親しむ日々が続いている…

 

などと書くと、なんとも優雅な老後の暮らしという感じだけれど、私のやることだから、優雅になどなるはずもない。

 

 老眼で霞む視界に苛立ちながら目を皿のようにして用例を探し、悪鬼の如く辞書を積み上げ引きまくり注釈書などと見比べては「何この語釈ゴミじゃん!」など罵詈雑言を吐きまくり、地名や路程を探して地図上で迷子になり、そもそも若い頃にちゃんと勉強していなかった自分に腹を立て、どうにも納得のいかないことがあれば書斎の亭主を呼びつけて一から十まで講釈させ(というか、一を聞くと十喋られる)。

 

没頭しているうちは楽しくて仕方がないけど、一段落つくと、がっくり身体が疲弊していることに気づく。

 

落ちてしまった体力が恨めしい。🧟‍♀️

 

コロナに二度罹患して後遺症をくらう前までは、もう少し粘れていたと思う。更年期障害うつ病を抱えていたとはいえ、五十代のうちは、まだ二、三日は無理がきいていた。

 

いまは無理をすると、翌日にきっちりダウンする。

 

というわけで、今日は悪鬼モードのお勉強はお休みして、NHK大河ドラマ「光る君へ」を視聴している。

 

すでに最終回が放映済みのようだけど、私はまだ四月ごろの放映分を消化中だ。

 

兼家の陰謀で花山天皇が攘夷させられて、一条天皇が即位。

 

道長は源倫子と源明子をまとめて娶り、兼家がボケ始ると父に依存していた道兼はアルコール依存になり…

 

道長の兄弟の中では、なんとなく印象の薄かった道兼だけど、この大河ドラマでは非常にキャラが濃くて、目が離せない。

 

ドラマ冒頭でいきなり紫式部の母親を刺殺したのには度肝を抜かれた。

 

その後も情緒的に不安定で、弱者に対して容赦なく暴力沙汰を引き起こすなど、どうにも人好きのしない人物ではあるのだけど、どこか憎めない、気の毒な人という印象がある。

 

ドラマの道兼は、あまり歌を詠むようなタイプには見えないけれど、勅撰和歌集である「拾遺和歌集」に、一首だけ掲載されている。

 

ふくたりといひ侍りける子の、やり水に菖蒲をうゑおきて亡くなり侍りにける、後の年、生ひいでて侍りけるを見て

 

粟田右大臣(藤原道兼

 

偲べとやあやめもしらぬ心にも永からぬ世のうきに植ゑけん

 

(しのべとや あやめもしらぬ こころにも ながからぬよの うきにうえけん)

 

拾遺和歌集 巻第二十 哀傷 1281

 

【語釈】

 

  • 遣水(やりみず)…平安時代、庭園に水を引くために作った水路。
  • あやめ…菖蒲と、物事の筋道、分別の意の「文目(あやめ)」とを掛けている。
  • うき…「憂(う)し」の連用形「憂き」と、泥の意の「うき」を掛けている。

 

 

【意訳】

 

福足(ふくたり)という名の子が、遣水に菖蒲を植えて、亡くなってしまった。後年、その菖蒲が育っているのを見て詠んだ歌。

 

まだ物ごころもつかない、幼い我が子であったけれども、自分の命が長くないことを悟って、自分を偲んでくれるようにと、この菖蒲を、遣水の土中に植えたのだろうか。

 

……

 

道兼の息子、福足が亡くなったのは、989年だという(Wikipediaより)。

 

この歌からは、我が子が植え残した菖蒲に、生前の愛らしい姿を重ね合わせて悲しみにくれる、ごく当たり前に情愛深い父親の姿が見えてくる。

 

「永からぬ世のうきに」と詠んだ道兼は、もしかすると、自分の人生もそう長くはないことを、どこかで感じていたのかもしれない。

 

福足が亡くなった6年後の995年、道兼は病死する。享年35。関白に就任して10日目ほどのことだったという。

 

「光る君へ」では、道兼が、まだ幼い娘の尊子に、一条天皇に入内するようにと、脅すように言って怯えさせ、妻(藤原師輔の娘の繁子)に軽蔑されるというシーンがあった。

 

その妻は、道兼が亡くなる前に離縁して、992年には、藤原顕光と再婚している。

 

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顕光は、兼家と犬猿の仲だった兄、藤原兼通の息子。

 

権力を握った叔父兼家のせいで冷飯を食わされたことを恨んだのか、死後に道長一家を祟ったと言われる。

 

また、あまり仕事の出来る人ではなかったようで、藤原実資は自分の日記(小右記)に、彼の失態をいちいち書いていたら筆が擦り切れる、などと書いているという。

 

Kindleに入っていた「小右記」のダイジェスト版(角川ソフィア文庫)に、顕光について書いた記事があったので、引用してみる。

 

 

 

源大納言〈俊。〉・藤大納言〈公。〉、告げ送りて云はく、「一夜、攤の間、下官、左相府を嘲哢す。左相府、直物の日、陣に於いて呪詛せらるる詞有り」てへり。此の事、極めて奇恠なり。卿相、尽く嘲哢す。下官、宗と為し、云ふ所無し。

 

左相国、五品より始め、丞相に至るに、万人の嘲哢、已に休慰すること無し。今、此の時に臨み、忽ちに咎めらるること有るは、未だ其の心を得ず。

 

出仕の日より今年に至るに、年紀、多く積もる。盧胡の日、久し。天下の人、嘲哢するは例と為る。下官、殊に響応せざるに、今、呪詛の詞有り。之を如何為ん。

 

小右記」寛仁元年 十一月十八日

 

【語釈】

  • 攤…サイコロを使ったゲームらしい。バックギャモンみたいなやつか?
  • 直物(なおしもの)…除目の後日に名簿のミスを訂正する政務。
  • 陣…陣の座。近衛の陣の公卿の座席。
  • 盧胡…笑うこと。笑われること。

 

ねこたま意訳】

 

源俊賢藤原公任が、私にこんなことを報告してきた。

 

「あのさ、実資さん、昨日の夜、 攤(サイコロゲーム)をやってたとき、左大臣(顕光)を、滅茶苦茶からかってイジってたでしょ? 左大臣、怒っちゃったみたいで、除目の名簿訂正の会議の場で、実資さんのこと、めっちゃ呪ってたよー」

 

実に奇怪なことだ。

 

左大臣のことは、公卿全員がイジリ倒しているのであって、私が中心となってイジっていたわけではない。

 

そもそも左大臣がまだ五位だった頃から大臣になるまでずっと、誰も彼もが休むことなく彼をイジリ倒してきたのである。今になって、いきなり非難される理由が分からない。

 

彼が出仕するようになってから今日に至るまで、長い年月が経っている。つまり、彼が笑われ続けた歳月は、とても長いのである。世間の人々が彼をイジリ倒すのは、既に恒例のことになっている。

 

私は特に周囲のイジリに迎合したわけではないのに、なぜか左大臣に呪詛されてしまった。どうしたらいいのか。

 

……

 

顕光を揶揄った首謀者でもないのに呪詛されたことへの困惑を、長々とクソ真面目に綴っているけれど、この記事自体が、左大臣顕光の存在そのものに対する痛烈なイジリになっているから、説得力はほぼないに等しい。実資は、確実に恨みを買うレベルのことを、顕光に対してやっていると思う。

 

左大臣顕光、よほどイジリ甲斐のあるキャラだったらしい。

 

スマホアプリ「藤原氏集め」の藤原顕光は、「化けて出ちゃった?」ダンジョンの選抜メンバーとして、日々頑張ってくれているけれど、千年も経っているのだから、さすがに成仏なさっていると思いたい…

 

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それにしても、道兼の元妻は、なぜわざわざ顕光と再婚したのだろう。

 

ドラマの中の道兼は、妻子に逃げられたと嘆いて飲んだくれていたので、妻の繁子は尊子を連れて出て行ったという設定なのだろう。

 

もしや、道兼のDVから逃れるための避難所としての再婚だったりするのだろうか。

 

顕光は、男社会ではイジられまくる無能な人だったようだけど、家庭人としては、道兼よりもマトモだったんだろうか…

 

実資さん、「小右記」に何か書いていないかな。

ダイジェスト版じゃないやつが、うちの書斎にあるらしいので、今度貸してもらおう。

 

などと呟きつつ、Amazonを検索していたら、「現代語訳 小右記」(吉川弘文館)を発見してしまった。全16巻。めっちゃ欲しい…

 

 

 

 

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