こんにちは。

いろいろあって、いまは自宅にいる。
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3月15日に、大腿骨骨折で入院した母は、リハビリのために転院し、そこで5週間ほどお世話になっていたのだけど、父の容態の悪化を伝えた5月27日から体調を酷く崩してリハビリどころではなくなり、ひどい腹痛でまともに食事もできない状況になっていた。
それでも5月3日には、介護タクシーに乗って父と最後の面会を果たし、5月6日には、高熱を薬で下げて、葬儀社のホールに安置されている父とのお別れもできた。
本当は5月7日の出棺式や火葬式にも出席したかっただろうけれど、長時間の外出に耐えられそうにないという病院側の判断もあり、父との最期のお別れについては、電話で少しばかり伝えることしかできなかった。
母が入院している病院は面会制限が厳しく、十日に一回ほど、事前に予約してからでないと会うことができない。やっと会えても面会時間は10分間だけだから、話し込むことなどできない。コロナなどの感染から患者を守るためなのだというのはわかっていても、毎日でも顔を見たい見たい家族にしてみれば、なんとももどかしいルールではある。
のちに、多くの患者さんがスマホを持ち込んでいて、家族と自由に連絡を取り合っていると知り、脱力した。知っていたら、さっさと母のスマホを用意したのに。最初に入院した病院で、「貴重品の持ち込みはご遠慮ください」と言われていたし、長女さんが長期入院していた病院もスマホ不可だったから、てっきりダメなのだと思い込んでいた。
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5月11日(月)
父の亡くなった5月4日に実家に来て、納棺から火葬まで、ずっと一緒にいてくれていた末っ子が、この日、先に帰宅した。
末っ子がいた間は、Uber eatsでお寿司を取ったりして、それなりにちゃんと食べていたのだけど、自分一人になった途端に、食欲が消え失せた。それでも食べないと動けなくなるので、とにかく一日三食頑張って食べた。
実家の片付けをしたり、各種手続きの準備をしたりと、やることは山のようにあったので、退屈することはなかったし、しみじみと悲しむ余裕もなかったけど、かえって良かったように思う。
S市内中心部の、父が入院していた病院から徒歩10分ほどの公園で、親子の熊が目撃されたというニュースを見て、ゾッとした。
5月12日(火)
この日に母との面会予約(10分間)を入れていたので、そこでやっと、父の最期の時や火葬までのことを、直接母に伝えることができた。
その時に、明日(13日)には一旦自宅に帰るけれども、次の面会まで間が開くようであれば、翌週にはまた戻ってきて、差し入れなどするからと、母に約束した。
面会が終わり、ナースセンターで次の面会予約を入れようとしたら、最短でも5月27日(水)になると言われた。2週間以上も空いてしまう上に、水曜日は亭主の仕事の終わりが遅いので、息子(28歳・重度自閉症)のお迎えの人手が必要になる。
私が実家にいた二か月間は、長女さんと末っ子が時間のやりくりをして、息子を迎え取ってくれていたけど、二人とも忙しい身の上だから、今後、亭主の仕事が遅くなるとわかっている日には、できる限り私が自宅にいるつもりだった。
というわけで、母との面会予約は5月28日(木)に入れてもらうことにして、その前の週の木曜か金曜あたりにも、実家の様子を見て、母に差し入れをしよう、などと考えた。
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5月13日(水)
午前10時から、区役所の「遺族サポート窓口」で、父の基礎年金や健康保険関連、食事支援サービスの解約などの手続きをした。事前予約で、必要な持ち物などをあらかじめメールで教えてもらっていたので、すべてスムーズに終了した。
区役所近くのカフェで昼食。

その後、一度実家に戻って、片付けや荷造りをして、夕方の新幹線に乗り、夜8時ごろ、自宅に帰った。
次に実家へ行くのは来週末として、それまでは、溜まりまくっている家事やら自分の用事やらを片付けつつ、少しばかり休養しよう、などと思っていた。
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5月14日(木)
この二か月間、私自身の通院が全くできていなかった。諸々の処方薬が尽きているし、歯科からは差し歯が出来上がっているから帰宅したらすぐ来院して欲しいと電話をもらっている。
そんなわけで、14日(木)の朝、まず歯科に電話を入れたら、今日の午後4時半から空いているというので、そこに予約を入れた。
その後、年金ダイヤルに電話して、父の基礎年金の手続きについて相談し、自宅近くの年金事務所の予約を取った。
次は実家のライフライン関係の名義変更に手をつけようとかと思って、実家から持ち出した関連書類を調べていたら、母の主治医から電話がきた。
母の腹痛と高熱がおさまらないので、いろいろと検査を重ねたところ、胆嚢炎の可能性が出てきたため、そちら方面の専門医のいる病院に、転院の打診をしているという。
さて、いつになるかしらと思っていたら、歯科の予約時間の少し前に、また主治医からの電話があり、母の転院先が決まったので、どんなに夜遅くなってもいいから、今日中に先方の病院に行ってほしいと言われた。
私が同意書にサインしなければ、輸血など、母の命に関わるような治療を行えなくなってしまう可能性がある。どんなに夜遅くなってもいいから今日中に来いというのは、そういうことだ。
旅行の荷物を持って歯科に行き、治療後に駅に直行した。
新幹線でM県S市についたのが、夜7時半過ぎ。駅前からタクシーに乗り、転院先の病院についたのが8時前。
受付で母の名前を告げると、話が通っていたらしく、すぐに病棟に案内されて、そこで医師の説明を聞いた。
CTの映像を見ると、胆嚢にはかなり石があり、菌から出たと思われる気泡も少し見られるものの、胆嚢本体には腫れなどの形状の異変が見られないため、強い炎症反応の原因が胆嚢炎であると断定しづらい状況なのだという。
けれども、身体の他の部位にも炎症の兆候が見られないので、とりあえず明日(15日・木)の午後から、胆嚢に細い管を刺して、溜まっている胆汁を吸い出す処置をするという。胆嚢には、その管とは別に、胆汁を常時排出させるための太いカテーテルも入れて留置するという。
また、食事ができない状況である上に、長期間の点滴で、腕などの静脈が痛んでいるため、心臓近くの静脈に太いカテーテルを入れることなるとも言われた。
さらに、母は足に血栓ができてしまっていたため、直近まで血液サラサラになる薬を投与されていたそうで、カテーテルを入れる際に出血が止まらなくなるリスクがあるので、その回避のために、血小板などの成分を輸血すること、浮腫防止のためのアルブミンと、免疫を上げるためのガンマグロブリンも合わせて点滴投与すると告げられた。
それらの治療は、私が同意書にサインしなければ行えないものだ。
入院に必要な諸々の書類にサインをし終えたときには、午後9時を過ぎていた。母は眠ってしまったとのことで、残念ながら面会はできなかった。
病院から実家へは、タクシーで3500円ほどかかる。往復だと7000円超。
夕食抜きで病院に来たけれど、実家には食べ物を残していなかったし、熊の出る町を夜一人でうろつきたくもない。
病院近くのお値段安めのビジネスホテルを探して電話すると、空室あり、朝食込みで7000円ちょっと、とのことだったので、そこに泊まることにした。
晩ご飯は、ホテル近くのコンビニであれこれ買って済ませた。
(このホテルも熊の出没する公園の徒歩圏内だったのに気づいたのは、チェックアウトしたあとだった)
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5月15日(金)
朝6時ごろに、目が覚めた。
7時過ぎにホテルの食堂へ行き、頼んであった朝食を食べた。食欲はなかったけど、和食にしてもらったからか、それなりの量だったのに、しっかり完食できた。
まずホテルから1番近いdocomoショップへ行き、機種交換の相談をした。
いまの病院はWi-Fiが使えるようなので、私のiPhone 13をリセットして母に持たせ、私は最新型のiPhone 17に乗り換え用という魂胆だったのだけど、諸々の設定のためのお店の予約を取れるのが、最短で翌朝10時とのことだったので、この日はiPhone 17の予約と、契約内容の見直しだけとなった。
見知らぬカフェで軽くお昼を食べ、午後2時前に病院へ行き、新しく主治医になった方から詳しい説明を受けてから、母と少しだけ面会した。
13日(火)に会ったときより、母は顔色が悪いように見えた。病状についても冷静に理解している様子だったけれど、言葉には出さずとも、だいぶ嫌気がさしているのは察せられた。
無理もない。家族との面会もほとんど出来ない病院で、リハビリを精一杯頑張って、退院の目処だって立ちかけていたのに(杖を使えば自力で歩けるまで回復していた)、父が倒れて先に亡くなってしまうし、考えもしなかった別の病気がいつのまにか悪化して、退院どころか転院となり、手術並みに大変な処置まで受けることになったのだから。母じゃなくても、やさぐれたくなるだろう。
面会のあと、午後3時半ごろから、母の処置が始まった。そんなに長くかからないような話だったのに、5時になっても声がかからないので、看護師さんに聞いてみたら、まだ処置が終わらないという。嫌な予感がしたけれど、待つ以外にできることがない。
結局、5時半くらいに看護師さんに呼ばれ、ストレッチャーで搬送中の母の側で、主治医のお話を聞いた。
胆嚢の壁が硬過ぎて、太いカテーテルが刺さらなかったのだという。
細い管は刺すことができたので、それを使って溜まっていた胆汁を限界まで吸い出すことはできたそうで、その胆汁を見せられた。
赤黒いを通り越して、ほぼ真っ黒だった。
主治医によると、緑がかってもいるのだというけれど、私には緑は感じられず、ひたすら黒いとしか思えなかった。
健常な胆汁であれば、薄茶色なのだという。
その黒い胆汁を培養して、繁殖している菌を特定し、それに合った抗生剤を使うことになるけれど、合う抗生剤のない悪質な菌だった場合は……どうすると言われたのか、定かに思い出せない。なんとなく、言葉を濁されたような気がする。
あと、「いまは病院で使える抗生剤のなかで、最も強力で幅広い菌に効くものを使ってますから、大抵大丈夫」と言われた気もする。その抗生剤についても同意書にサインしたように思う。あとで書類を見返してみないと。
炎症がどうしてもおさまらず、再び胆汁がたまってしまった場合、もう一度細い管を刺して抜くか、胆嚢そのものを取り去る手術をするかの判断をしなくてはならない、とも言われた記憶があるけど、それは処置の前のお話だったかもしれない。
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いろんなことで頭がいっぱいになったので、この日も実家には戻らず、同じホテルに泊まることにした。折しも「青葉祭り」とやらが週末開催されるとかで、同室への連泊ができず、ちょうど空いていた「喫煙可」の部屋に移ることになった。
病院からホテルに戻り、新たな部屋のタバコ臭さに辟易しつつも、コンビニで買ってきたカツサンドその他を無理矢理お腹にいれた。
その後、ひと息ついていると、緊急地震速報の警報音が鳴り出したので、あわててiPhoneの画面を見たら、震度5弱の地震がこれから来ると表示された。
ここへ来て大地震とか勘弁してーと心の中で絶叫しつつ、荷物を手早くまとめていつでも逃げられるようにしていると、部屋がガタガタと揺れ始めた。妙に長く続く揺れで、なかなか気持ちが悪かった。
私のいたホテルのあたりは震度3ほどだったらしいけど、最大震度はやはり5弱だったという。
今年に入り国内で震度5弱以上の揺れを観測するのは8回目、という記事を見かけた。多すぎやしないだろうか。
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5月16日(土)
ホテルの朝食を食べてから、9時半過ぎにチェックアウトして、docomoショップへ。
10時の開店と同時に入店。
すべてが終わって店を出たのは、午後2時半ごろだった。店頭での機種交換が、こんなに大変だったとは思わなかった。私も疲れたけど、昼食抜きでずっと対応してくれたスタッフの方も、さぞ疲れたことだろう。
その後昼食を取り(どこで何を食べたかもはや忘れた)、午後4時過ぎに母と面会し、夜6時台の新幹線に乗って帰宅。
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ほとんど記憶していないので、日曜日と月曜日は省略。
5月19日(火)
午前中、教育実習用のスーツやブラウスを買いたいという末っ子を車に乗せて、ショッピングモールへ。
そこで、母に差し入れする衣類を末っ子に選んでもらって、スーツと一緒に購入。
お昼はざるそば。亭主作。大根おろしとネギがたっぷりで、美味しかった。
午後には内科を受診するつもりでいたのだけど、出かける前に、母の病院から電話が来た。
胆嚢の炎症が治りつつあるのに、母の高熱が下がらないので、熱の原因となるような炎症部位を探したところ、大腿骨骨折で手術したあたりが腫れていてたため、その腫れから水を抜いて検査したところ、菌が見つかったのだという。
病状によっては、骨を繋いだ金属を付け替える再手術が必要になるのだけど、今いる病院は、あくまでも胆嚢炎の治療のために転院してきたところなので、今後のことは母の骨折についての詳細なデータを持っている病院に任せるのが安心ということで、いまそちらに転院の打診をしている、とのことだった。
要するに、母は3月に救急搬送された最初の病院に、戻されることになったのだ。
転院となれば、当然私が行かなくてはならない。
電話してくれた医師に、いつごろになりそうかと聞くと、今日すぐということはないけど、日数はそんなにかからないだろう、とのことだった。
とりあえず、予定していた内科を受診。
4月6日に父が入院してから、食事はファストフードやコンビニ飯がほとんどで、よくて定食屋とかだったから、血液検査は酷い結果になるだろうと予想して、言い訳まで考えてあったのに、ほとんどの数値が、なぜか改善しているという。解せぬ。
もしかして、私は自分で食事を作らないほうが健康的なんですかねと言ったら、看護師さんたちに大いに笑われた。
この話を末っ子にしたら、「あっちにいる時はたくさん歩くからだろう」と言われた。実際その通りで、あちらに居る間の平均歩数は、自宅在住の頃よりも、2000歩近くも多いのだ。
要するに、私の健康上の問題は、運動すればほぼ改善するということなのだろう。
診察室から出て数秒で、iPhoneに着信があった。母の病院からだった。
週明けに最初の病院への転院が決まったので、当日午後一時に出発できるように、介護タクシーを予約しておいてほしいとのこと。
来週はまた忙しくなりそうだから、今週中に、できることは極力片付けようと思う。