【目次】
十代の家持の歌
万葉集に出てくる大伴家持の最初の歌は、正妻となった大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)に贈った恋の歌である。
朝に日に 見まく欲りする その玉を いかにせばかも 手ゆ離れずあらむ (巻三 403)
あさにけに みまくほりする そのたまを いかにせばかも てゆかれずあらむ
【普通の意訳】
朝も昼もずっと見ていたいと思うほど美しいその玉を、どうしたら僕の手から離れないようにできるかな。
この歌は、家持の叔母である大伴坂上郎女が、親族と宴会を開いたときに詠んだ歌(巻三 401)の少し後に出てくるもので、同じ宴会で詠まれた可能性がある。
その宴会がいつ開かれたのかは分からないけれど、天平五年(733年)に、大伴坂上郎女が大伴氏の氏神を祀る歌を詠んでいるので(万葉集 巻三 379、380)、そのための宴会だったのかもしれない。
天平五年(733年)の家持は、まだ十代半ばだった(15~16歳くらい)。
大伴坂上大嬢の年齢は不明だけれど、常に手放さずに見ていたい、などという、庇護欲まじりの独占欲が歌ににじみ出ているのを考えると、家持よりも、だいぶ年下だったように思える。
家持は、おそらくは同じ宴会で、似たような歌をもう一つ、大伴坂上大嬢に贈っている。
なでしこが その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ (巻三 409)
なでしこが そのはなにもが あさなあさな てにとりもちて こひぬひなけむ
【普通の意訳】
君がナデシコの花だったらいいのにね。そうだったら、毎朝手に持って溺愛するのに。
※もが……終助詞。願望を表す。だったらいいなあ。
一族の集まる宴会で、幼女を抱っこしてかわいがっている少年の姿が目に浮かんでくる。
この宴会では、大伴駿河麻呂という人物が、まるで家持に張り合うかのように、大伴坂上大嬢の妹である、大伴坂上二嬢にしつこく求婚する歌を詠んでいる。
春霞 春日の里の植ゑ小水葱 苗なりと言ひし 柄はさしにけむ (巻三 407)はるがすみ かすがのさとの うえこなぎ なえなりといひし えはさしにけむ
【普通の意訳】
春日の里のコナギちゃんは、まだまだ植えたばっかりの苗だと言ってましたけど、もうずいぶん茎も伸びて、食べごろなんじゃなですか。
※小水葱(こなぎ)…ミズアオイ科。食用にされていた。
※え(柄)……葉柄
※さす…目が出る、枝が伸びる
大嬢と二嬢の母親であり、宴会を取り仕切る立場でもある坂上郎女は、そんな二人をいなすような歌を詠む。
大伴坂上郎女の橘の歌一首
橘を やどに植ゑ生ほし 立ちて居て 後に悔ゆとも 験あらめやも (巻三 410)たちばなを やどにうゑおほし たちていて のちにくゆとも しるしあらめやも
【普通の意訳】
橘の木を庭に植えて、心配しながら大切に育てて、よそに持っていかれて後悔する……子育てなんて、むなしいことですわね。
お母さんとしては、内心「このロリコン小僧どもが」と、罵り倒していたかもしれない。
坂上郎女の反対があったかどうかはわからないけれど、家持と大伴坂上大嬢は、すぐに結ばれることなく、数年間離別することになる。
奈良時代には、戸令(こりょう)という法律によって、男性は15歳、女性は13歳以上で結婚が許されたそうなので、家持はギリギリセーフだったとしても、大伴坂上大嬢のほうは幼すぎてアウトだったのかもしれない。
あしひきの 岩根こごしみ 菅の根を 引かば難みと 標のみを結う
(巻三 414)
あしひきの いわねこごしみ すがのねを ひかばかたみと しめのみそゆふ
【普通の意訳】
この山の岩はゴツすぎて、菅の根っこを引き抜こうにも難しいから、とりあえず僕の所有だっていうシメナワだけ張っておくことにするよ。
彼女が幼すぎていますぐ結婚できないから、へんな虫がつかないように結界を張っておくということか。
大人になった家持の歌
天平十一年(739年)、家持の前妻が亡くなった後に、二人は交際を再開する。
↓交際再開直後の家持の歌について書いた記事
成長した大伴坂上大嬢は、数年前の家持の歌(403)を意識したような歌を詠んで贈った。
玉ならば 手にも巻かむを うつせみの 世の人なれば 手に巻きがたし (巻四 729)
たまならば てにもまかむを うつせみの よのひとなれば てにまきがたし
【普通の意訳】
宝玉だったら、手に巻きつけますけども、現実の人間ですから、手に巻くのは難しいと思います。
若干、理屈っぽい返しである。
家持の歌(403,409)や、大伴駿河麻呂の歌(407)、大伴坂上郎女の歌(410)は、譬喩歌(ひゆか)といって、思うところを直接言葉にするのではなく、隠喩によってそれとなく示す表現形式を取っている。
「君を手放したくない」というかわりに、「このうつくしくて愛らしいタマを手放したくない」などと、思わせぶりに言い寄っている相手に、「タマじゃなくて人間ですから、携帯するのは難しいです」とストレートに返す大伴坂上大嬢の歌からは、恋愛の駆け引きなどとは無縁の、素朴で生真面目な性格がうかがえるようにも思える。
そんな大伴坂上大嬢に、家持は、さらにナナメ上の歌を贈る。
わが思ひ かくてあらずは 玉にもが まことも妹が 手に巻かれむを (巻四 734)
わがおもひ かつてあらずは たまにもが まこともいもが てにまかれむを
【普通の意訳】
こんなふうに思い悩んでいないで、いっそ宝玉になりたい。そしたら本当に君の手に巻いてもらえるのに。
私は君のタマになりたい。
もはや隠喩ではなく、裏返ったフェテシズムとでもいうべき執着心を、歌に込めて発射している。
受け取った大伴坂上大嬢は、従兄から向けられた愛の重さにたじろいだかもしれないけれども、彼女にはもはや逃げ場はなく、その後の人生を、家持の正妻として生きることになる。
手に巻いた玉
それにしても、奈良時代の女性が「手に巻いた」というアクセサリーは、どういうものだったのか。
古墳の時代には、勾玉などの装飾品が身につけられていたようだけれども、奈良時代の女性が「手に巻いた」ものがどういう形だったのか、使われていた「玉」がどのようなものであったのか、知りたいと思っても、なかなか資料が見当たらない。奈良時代以降、女性が手や首にアクセサリーを着けるという風習は廃れていったからだという。
でも、こうして歌に詠まれているのだから、万葉集の時代には、まだ「手に巻く」タイプのアクセサリーは、残っていたのだと思う。
飛鳥時代から奈良時代にかけて、ガラスの製造はさかんに行われていたようで、正倉院の御物のなかにも、大量の国産のガラス玉があるのだという。
藤原不比等が建てたという興福寺からも、ガラス玉がたくさん出土しているという。
ガラス玉にせよ、他の宝玉にせよ、手軽に入手できるものではなかったのかもしれないけれども、だからこそ、強い思いを託すアイテムとして詠まれたのかもしれない。
【意訳ではない別の何か】
〈登場人物〉
大伴家持……大伴氏の跡取り息子。父の大伴旅人亡きあと、叔母の世話になっている。将来を嘱望される文武両道の貴公子だけど、実は腹黒気味のヤンデレ。
大伴坂上郎女……大伴旅人の異母妹で、家持の叔母。若いころは恋多き女性だったが、夫亡きあとは、大伴氏の家政を取り仕切るビッグマザーとして、愛娘を育てながら、まだ若かった家持の養育も行っている。
大伴駿河麻呂……坂上郎女の従兄の息子だったらしく、坂上郎女との関係は叔母と甥に近い。冗談好きの兄ちゃん。
1. 大伴家の御先祖を祀る会のメイン会場にて
駿河麻呂「姐さん! お元気そうでなによりだ。いつお会いしても、お美しい」
坂上郎女「キミも相変わらずみたいね。いろいろとウワサは届いてるわよ」
駿河「いやいや、俺の本命は、姐さんただ一人ですから」
郎女「ほんと、口ばっかり達者になっちゃって。いいから奥さんを大切になさい」
駿河「大切にしてますよ。他ならぬ姐さんご推薦の嫁ですからね。ところで姐さん、そろそろ再婚をお考えにはなりませんか」
郎女「そんなヒマ、あるわけないでしょ。この家のことと娘たちのことで、手一杯よ」
駿河「といっても、お嬢ちゃんたちも、そろそろいい年でしょ? 嫁に出してしまえば、姐さんも自分の時間が持てるじゃないですか。そうだ。よかったら、俺がもらってあげますよ。もちろん正妻として」
郎女「何言ってるの。あの子たちはまだ子どもよ」
駿河「いやいや、上のお嬢ちゃんとか、もう大人顔負けの色気があるじゃないですか。姐さんの若いころそっくりで。ロリコン趣味はないけど、あの娘だったら結構イケる……う、な、なんか、寒けが」
家持「駿河麻呂さん、久しぶりですね。息災のようでなによりです」
駿河「うわ、若君、ご無沙汰しておりました」
家持「結婚されたんですってね。おめでとうございます」
駿河「あ、ありがとうございます」
家持「で、さらに正妻がほしいと」
駿河「いや、まあその」
家持「たしか今の奥さんって、駿河麻呂さんのほうから押しまくって、叔母上の力まで借りて、粘りに粘った挙句になんとか結婚にごきけた、みたいに聞いてましたけど」
郎女「おほほほ、そうだったわねえ。とはいうものの、私が間を取り持つ必要もないほどの猛烈アタックぶりだったわよ。彼女のほうは根負けして結婚した感じよね」
家持「ふーん、そうなんですか。そんな彼女に、新婚早々正妻を別にもらうなんて話をしたら、どうなりますかねえ」
駿河「え!? あ、さっきの話はジョークですから! 宴会ジョーク!」
家持「叔母上によく似た長女に求婚するつもりでは?」
駿河「しません! いや俺はね、きわめて純粋に親族的な親近感でもって、あの妹ちゃんが、とってもカワイイなーとか……あ、このミズアオイのスープ、うまいなー!」
家持「では、長女ではなく、次女のほうに求婚するわけですか」
駿河「そ、そそそそうです! いまから予約入れておこうかなーって。あはははは。あ、妹ちゃん、こっちにおいで! 」
二嬢「あたしおじちゃんキライ! いっつもママにベタベタしてて、いやらしいもの」
駿河「がーん」
家持「ふっ。うまくいくと、いいですね」
駿河「はあ……というわけで、あの、若君、そろそろ殺気を引っ込めてくれませんね」
家持「僕の殺気なんかを気にするよりも、叔母上の怒気をなんとかしたほうがいいと思いますよ」
駿河「げっ」
郎女「そうねえ。駿河麻呂くん、キミの奥さんには、あとでメール送っておくわね。離婚の相談にはいつでも乗るからって」
駿河「えええええ!?」
郎女「家持くん、キミにもひとこと言っておく必要があるかしら?」
家持「わかっていますよ。いずれ彼女をきちんと迎えられるように、とっとと出世しますから、ご安心ください」
郎女「ならいいのよ。くれぐれも、キミの立場でなすべきことを間違えないようにね」
家持「ええ」
2.宴会場の外の、庇の下で
家持「やれやれ、大人の集まりは気が疲れるね。ミカンちゃん、こっちにおいで。おにいちゃんと遊ぼう」
大嬢「あたしの名前、ミカンじゃない」
家持「じゃあ、ナデシコちゃん」
大嬢「それもちがうし。ミカンとナデシコじゃ、お花のふんいきがちっとも似てないよ。おにいちゃんって、いいかげんよね」
家持「ふふふ、手厳しいなあ。あ、そうだ。プレゼントがあるんだ。手を出して」
大嬢「わあ、ビーズのブレスレット! きれい!」
家持「手首に巻いてあげるよ」
大嬢「ありがとう! キラキラしてる! ねえ、これ、ガラス?」
家持「うん。よく似合ってる。かわいいな。お嫁さんにしたいくらいに。そしたら毎日でも抱っこしていられるのにね」
大嬢「えー、やだ」
家持「……どうして?」
大嬢「おにいちゃん、お勉強でいそがしいんでしょ? それに、もうすぐよその女のひとと結婚するって、お母さまがいってた。そしたら毎日なんて、遊べないもの」
家持「叔母上め……きみは、そんなこと気にしなくていいんだよ」
大嬢「あたしはずっと、おかあさんと妹といっしょに、坂の上のおうちにいるの」
家持「おにいちゃんのことは、嫌い?」
大嬢「嫌いじゃないよ。おにいちゃんはおにいちゃんだもの。結婚してからも、ときどき遊びにきていいからね」
家持「ときどき、ね。きみは、もう歌は詠めるようになった?」
大嬢「まだむずかしい。お母さまに教えてもらってるけど、なかなかほめてもらえないの」
家持「それなら、歌が詠めるようになったら、僕に送って。そしたらすぐに遊びにくるよ」
大嬢「わかった。待っててね!」
3.数年後……
大人になった大嬢からの手紙
おにいさま
ご無沙汰しています。
奥様が亡くなったこと、心からお悔やみもうしあげます。
あのとき、お兄様からもらったブレスレットのガラス玉、いまもたいせつにしています。
ガラス玉なら、身に着けて、あたためてあげることができるけど、わたしは生身の人間だから、お兄様のそばにいてあげることがてきなくて・・つらいです。
家持からの返事
大人になったきみと、こうして言葉を交わせるようになる日を、どれほど待ち焦がれたかわからない。
いますぐにでも、そばに置きたいけれども、面倒な事情があることは分かっているよね。
いっそ、僕がそのブレスレットのガラス玉だったなら、きみを紐でぐるぐる巻きにして、がんじがらめにして、ずっと離れずにいられるのにね。
・・・・・
大嬢「お母さま、おにいちゃんからお手紙きたんだけど……なんか、言ってることが微妙にキモ…じゃなくて、怖いの」
郎女「ああ、あの子もだいぶ屈折して育っちゃったからねえ。一応あなたと結婚させるっていう約束だけど、どうしてもイヤなら断るわよ」
大嬢「う……でも、おにいちゃん、あたしのこと、あきらめてくれるかな」
郎女「無理だわね。間違いなく、死ぬまでつきまとわれるわよ」
大嬢「……」
(続く)