大伴家持の藤の花の歌。
大伴宿禰家持、時じきの藤の花と萩の黄葉(もみぢ)の二物(ふたくさ)を攀(よ)じて、坂上大嬢に贈れる歌二首
わが屋戸(やど)の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が咲容(ゑまひ)を
(わがやどの ときじきふじの めずらしく いまもみてしか いもがえまいを
【ねこたま意訳】
しばらく会えなかったけど、元気だった?
うちの庭に、季節はずれの藤の花が咲いたんだ。
萩の花なんかすっかり散って、葉も黄色くなってるのに、いまごろ藤が咲くなんて、不思議だよね。
春に咲く藤の花と、秋の終わりの萩のもみじ。
違う季節のものでも、奇跡が起きて、巡り合うこともあるんだね。
すれ違ってずっと会えなかった僕たちが、また巡り合ったみたいに。
藤の花の紫色は、君の色だと思ってる。
誰よりも素敵で、特別だから。
萩の葉っぱは、僕かな。
ほんの少し、浅緋色の混じった、黄色。
就職して、世の中のいろんなことを見ているうちに、僕もだんだん嫌な大人になってきた気がする。見たくないものを見ないふりしたり、力のないことを理由にして、流されるままでいたり。
どうしようもなく気持ちが塞いだときには、君のことばかり考えてる。
会いたいな。
楽しそうに笑っている、きれいで特別な、僕だけの君に。
そういえば、昇進したら、制服の色が変わるんだ。浅緋(あさあけ)色。送った萩の葉っぱの赤っぽい色みたいなやつ。きれいだけど、藤の花がそばにないと、物足りない。
ずっと、一緒にいたい。
結婚まで、もうしばらくかかってしまいそうだけど、どうか、信じて待っていて。
……
この歌を詠んだとき、大伴家持は二十歳くらいで、内舎人(うどねり・天皇の身辺警護)となっていて、翌年には聖武天皇の伊勢行幸に付き従っている。
当時、天然痘の大流行で重臣たちが大量死したり、大地震や火災が起きたり、反乱が起きたりと、世の中がすさまじく荒れていたために、聖武天皇は平城京に戻ることなく、無理な遷都を繰り返した。不安に取り憑かれていたのかもしれない。
聖武天皇に従っていた家持は、奈良に残した坂上大嬢になかなか会うこともできず、思いを募らせていたのではないかと思う。