湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の本棚(ぶっ飛び万葉集系)「日本史が楽しい」(半藤一利編著)

「日本史が楽しい」(半藤一利編著)

 

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昨夜寝る前に、この本の「大伴家持の怨念」という章を音読してもらった。

 

編著者の半藤一利氏と、中西進氏(万葉学者)、古橋信孝氏(国文学者)との座談会の記録なのだけど、印象としては……

 

・中西氏が妄想をぶっ飛ばす。

  ↓

・半藤氏がうれしそうにそれを煽る。

  ↓

・古橋氏がやんわりと現実的な話を差し込んで引き留める。

  ↓

・中西氏がますます喜んで脳内世界を展開する。

  ↓

・半藤氏がわくわくしてさらに煽る。

  ↓

・ノリノリになった中西氏が学会の定説っぽいものをアホにする。

  ↓

・古橋氏が苦笑いをこらえながら常識的な意見を述べる。

  ↓

・半藤氏がしれっとガソリンを投下する。

  ↓

・最初に戻る。

 

なんか、こんな感じだった。

 

一部引用してみる。

 

中西 たとえば、これは政治とは関係ないが、「春の苑紅にほふ桃の花下照道に出で立つ少女」ね、あれをアホは、出て立ってきたのは家持の妻の坂上大嬢だなんて解説する。

 

半藤 そう言っているのは国文学者ですよ。

 

中西 だから、アホとちゃんと書いておいてください(笑)。桃の花があって、下に女性がいれば、完全に「樹下美人図」ですよ。

 

古橋 それはその通り(笑)。

 

中西 しかも題がちゃんと漢詩の一節のように「春の苑の桃李の花を眺矚(ながめ)て作れる歌」と書いているのに、理解できない(笑)。桃というのは世界樹です。『日本書紀』にも、中国の文献にも桃は大樹として書かれている。エデンの園の林檎の木と同じです。アダムとイブが林檎をとって恥ずかしいと思った。あれは知恵でしょう。林檎の身をとったのは知恵を得たということ。でも知恵にはいろいろな知恵がある。何で前を隠すの? 恥ずかしがるの? つまり生産ですよ。あれは性の知恵を得たということでしょう。林檎の木は生命の木なんですよ。万葉の桃はその林檎と同じ。

 

半藤 生命の根源ですね。

 

中西 生命の根源は女性なんです。だから桃の下には女がいるわけよ。そんなわかりきった話なのに、はるばる坂上大嬢がやってきて、下駄をつっかけて庭へ出たとか、もうよしてくれっていうばかり(笑)。

 

古橋 その話はまことによくわかりますが、歌というものは、元へ戻ると、そもそも政治を詠わないものであるという……。

 

中西 そう。しかし、家持がそれを変えたのじゃないか、と思う。そういう意味で、新しい歴史を歌の上で作ったんじゃないだろうか、家持が。

 

 

桃が世界樹的な存在であるということろから、旧約聖書のエデンの林檎に跳躍し、エッチを知ったアダムとイブの羞恥心に謎の喝を入れつつ、生殖を生産と見立てて生命の根源たる出産行為を行う女性を礼賛しつつ、桃の下に立つ乙女の元へ帰る。

 

 

すさまじい多動的思考だ。

 

 

中西進氏は、大伴家持は「政治的意識を歌にもちこんだ稀な男」であり、しかもその政治的意識が「深い叙情にむすびついている」という。

 

実際、家持の歌を歴史年表と突き合わせながら読んでいると、そうなんじゃないかなと思える歌がいくつもあるし、厳しい政治情勢に巻き込まれそうになっている家持の心情を想像しながら鑑賞することで、壮絶なドラマに引きこまれるような気持ちを味わうことができる。つまり、歌がとても刺激的に深読みできるようになるのだ。

 

だから、豊かな学識を土台として妄想をぶっ飛ばし、家持の魂に迫ろうとする中西進氏の説は、私にはとても面白い。(失礼ながらご本人のキャラもちょっと面白いかもしれない)

 

でもそれは果たして「学問」なのだろうか、とは思う。

 

話し相手の古橋氏は、

 

「だけど、それを実証するのは大変ですね」

 

と水を差し、手持ちの材料で語れる範囲の解釈にとどまろうとする。正しい学者の在り方だと思う。

 

そういう読み方も、決してつまらないわけじゃない。ただ、小説に引きずり込まれるようなワクワク感は、あまりないかもしれない。

 

ラノベ好き、ファンタジー大好きな私としては、中西進氏に、そっと一票を投じておきたいところだけども…

 

章段を読み終えた末っ子は、

 

「疲れた……」

 

とこぼして、ゲンナリ顔で本を置いた。