今回は、平安時代後期の藤の花。
俊子内親王大進(しゅんしないしんのうだいじん)という女性の歌。
久しく音せぬ男につかはしける
とはぬまをうらむらさきに咲く藤の何とて松にかかりそめけん
(とわぬまを うらむらさきに さくふじの なにとてまつに かかりそめけん)
詞花和歌集 257
*うらむらさき……紫色。「恨む」とかけている。
*かかる……寄りかかる。関係する。熱中する。
【ねこたま意訳】
松の木に絡みついて咲いている藤の花。
美しいってみんなは言うけど、私は嫌い。
だって、男に依存しなきゃ立っていられない惨めな女みたいじゃない。うんざりするわ。
会いに来てくれない誰かを待って、ただ恨んで嘆くだけの日々に、意味なんかないでしょう?
だからもう待たない。
よく考えてみたら、貴方みたいにパッとしない男のどこがよかったのかって思う。今となっては我ながら謎だわ。
というわけで、松の木さん。
いままで散々放っといて、あとになって私とよりを戻したいとか言われても、お断りですから。あしからず。
……
詞花和歌集は、12世紀中頃(1150〜1152年)に成立した勅撰和歌集。
ちょうど天皇の後継問題や摂関家の内紛でごたごたしていた時期で、1156年には保元の乱が勃発している。
俊子内親王大進は、俊子内親王(後三条天皇の第二皇女、白河天皇の妹)に仕えていた女性。
彼女が仕えていた俊子内親王は、1056年生まれで、1069年から1072年まで伊勢斎宮を勤め、1132年に77歳で亡くなっている(Wikipediaによる)。
上の歌が詠まれた時期は分からないけれども、俊子内親王が存命中だったはずだから、少なくとも詞花和歌集が作られる20年以上は前の歌ということになる。
女房名についている「大進(だいじん)」というのは、中宮職(中宮に関する事務を司る役所)の役人の役職名。
父親か夫が「大進」の職にあったため、俊子内親王大進という女房名を名乗ったのだと思われるのだけど、詳しいプロフィールは不明。
歌を読んでいると、先のない恋を見切って次にいける強さを持った、知的で魅力的な女性が思い浮かぶ。
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