湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌メモ(古今和歌集 藤原敏行)

 

秋立つ日よめる

 

藤原敏行朝臣

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 

古今和歌集第四巻 秋歌上 169

 

 

ねこたま意訳】

 

 まだクソ暑いし、景色とかバリバリ真夏なんだけど。

 

この数日かな、風が変わったっていうか、どことなく秋の気配がするんだよね。

 

葉ずれの音とか、空を吹き渡るときの音の深さとか。

 

秋がもう、すぐそこで待ってる気がする。

 

何かが変わってしまう時って、きっとこんなふうに、目に見えないうちに、どこかで変化が始まってるんだろうな。恋も、人の運命もね…

 

 

───────────

 

晩夏とか初秋とかというのも気が引けるほど、まだまだ猛烈に暑い日が続いているけれど、九月に入って数日たった頃からか、風の音が変わったことに気がついた、

 

日中の風には熱がこもっていて、涼しさを感じさせてくれないのに、夏雲が浮かぶ高い空を渡っていく風の音が、底なしの暗い宇宙にまで響いているかのように感じられて、ほんの少し怖くなる。

 

目に見えないほどの微かな兆しが、いずれ圧倒的で不可逆的な運命となって現れてくるかもしれない。

 

鋭敏な感性を持っていた古代の歌人であれば、立秋とは名ばかりの暑い日の風の音に、目には見えない変化の予兆を感じとることは容易いことだったろう。

 

それは、単に秋の訪れの気づきだけではなかったかもしれない。

 

世の中の移り変わり、人の心の移ろい。

 

あるいは、いずれ我が身にふりかかるさまざまな変化。老い、病、死…

 

 

藤原敏行朝臣が「秋来ぬと」の歌を詠んだのが、何歳ごろかは分からない。古今和歌集の成立が905年頃で、藤原敏行の没年が901年から907年の間くらいだというので、かなり晩年になってからの歌であっても収録された可能性がある。

 

なんとなく、晩年に近い頃の歌のような気がするのは、近頃の風の音に老いの先行きの暗さを感じる自分に、重ねて読んでしまうからだろうか。

 

 

 

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