藤の花の歌シリーズ。
今回は、金葉和歌集の律師増覚の歌。
坊のふぢの花さかりなりけるを見てよめる
律師増覚
来る人もなき我が宿の藤の花誰を待つとて咲きかかるらんん
(くるひとも なきわがやどの ふじのはな たれをまつとて さきかかるらん)
✳︎律師…僧侶の位の一つ。僧正、僧都に続く位。
✳︎坊…僧侶の住居。
✳︎まつ…「待つ」に「松」を掛けている。
律師増覚の歌は、金葉和歌集にはこの一首のみ掲載されている。他の勅撰和歌集を調べてみても(詞花和歌集・千載和歌集・新古今和歌集)、増覚の歌は見当たらなかった。
増覚のプロフィールは不明。
平安中期から後期にかけて、増覚という人物が二人ほど存在していて、どちらがこの歌の作者なのか分からない。
一人目は、藤原有信(1040〜1099)の息子の増覚。
藤原有信は歌人であり儒学者でもあった人で、白河天皇の時代に東宮学士を勤め、堀河天皇のときには兵部権大輔や左衛門権佐など勤め、従四位下に至っている。
この人の十人の息子のうち、下から二番目が増覚という名前のようだ。
もう一人は、藤原経季(1010〜1086)の息子の増覚。
藤原経季は白河天皇の時代に中納言に昇進しているけれど、政治手腕には乏しかったらしい(従兄弟の藤原資房に散々批判されていたと、Wikipediaに書いてあった)。
Wikipediaによると、藤原経季には息子が七人いて、増覚は生母不明となっている。
どちらの増覚も、官職についている他の大勢の兄弟たちに比べると、残り物感のある存在に思えるのは、気のせいだろうか…
【ねこたま意訳】
僧坊の庭の松の木にかかった藤の花が、今年も見事に咲いているよ。
親しい人と一緒に眺めたら、きっと心楽しいのだろうけれど、わざわざ私に会いに来る人なんて……いないよね。
日々のお勤めをするうちに、誰かを待つ気持ちなんて、とっくに失くしたと思っていたけど、こうして風に揺れる藤の花房を見ていると、どうしても期待してしまうんだ。
藤の花。
藤原家の人々。
懐かしい私の家族、父や、母や、兄たちは、どうしているだろうか。
僧侶になった息子のことなど忘れて、みんな、忙しく暮らしているのかもしれない。
けれども、待っていると知らせたなら、丹精込めて咲かせた藤の花を、見に来てはくれないだろうか。
すべてを諦めて悟るなんて、私には、まだ無理かもしれないな。
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