湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

行人

これまで何度か途中まで読んで挫折していた夏目漱石の「行人」を、昨日初めて読了した。

 

行人 (新潮文庫)

行人 (新潮文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1952/03/24
  • メディア: 文庫
 

 

上に貼り付けたAmazonのリンクは新潮社版だけど、角川文庫版の「行人」がkindle読み放題リストにあったので、それでたまたま読み始めたのだ。

 

以前読んだときには、主人公の二郎が、兄一郎に命じられて、嫂(あによめ)と二人で旅行に行くくだりのあたりで、うんざりしてしまって、どうしても先を読む気にならなかった。

 

一郎は、自分に対して淡白な態度の妻が、自分よりも弟に心を寄せているのではないかと疑っていて、妻と弟を二人っきりで旅行に行かせて観察させることで、妻の本心を確かめようとするのだけど、そのことで家族の関係が取り返しのつかないほどこじれてしまう。

 

両親、一郎一家(嫂と娘)、未婚の弟(二郎)と妹が揃う、毎日の食事のひと時など、一郎という巨大な腫れ物、もしくは不発弾を扱いかねて、家族全員、ものが喉を通らないような思いをし続ける様子は、そういう家庭の不和にアレルギーのある私にとっては、フィクションであっても絶大なストレスで、若い頃はとてもじゃないけど読み通せなかったのだ。

 

でも今回は、その胃に悪い家庭不和のシーンを乗り越えて、その先にある結末までどうしても読みたくなった。

 

 

「行人」は二郎の視点で語られるけれども、物語の主役はどう考えても二郎ではない。

 

前半は、旅先で胃を悪くして入院する友人の三沢に、主役相当の華のあるポジションを持っていかれる。三沢は、自分も胃が悪いのに、同じような症状に苦しんでいる美しい芸者に酒を強いて、命に関わるほどの状態に追い込んでしまう。彼女と同じ病院に入院していた三沢は、そのことに深い責任を感じたものの、面会することもなく自分付きの看護婦に彼女の様子を探らせるなどしていたけれど、自分の退院するときに、二郎から借りた金を彼女に渡す。

 

二郎は毎日のように三沢の見舞いをするうちに、美しい芸者に興味を引かれて、三沢と芸者の結びつきの強まることに嫉妬するほどになるけれども、その思いは、三沢への友情を凌ぐほどの恋情に育つこともなく、湿気った花火みたいに不発で終わる。二郎は三沢と芸者の淡い関係の傍観者(兼スポンサー)でしかなかった。

 

兄が舞台に登場してくると、二郎は兄夫婦の問題に巻き込まれるけれども、嫂との間には、兄が疑うような不倫関係はもちろん、兄を差し置いての特別な心の繋がりなども、ほぼ存在しないようなものであるため、どこまでいっても脇役でしかない。結局、家族の不協和音の元凶のようなポジションにいたたまれず、二郎は実家を出て、下宿することになってしまう。

 

二郎が一つ屋根の下にいなくても、一郎と嫂の関係は改善するどころか、嫂に対するDV行為まで始まってしまう。職場でも一郎が異常な言動を見せるようになったり、嫂が二郎の下宿先に突然一人でやってきて、思わせぶりなような、そうでもないような様子を見せるなどして、いろいろ風雲急を告げるものだから、二郎は自分に舞い込む縁談にも気持ちが乗らず、一生懸命兄のことばかり考えている。

 

物語は、二郎の依頼を受けて、一郎を旅行に連れ出したHさんからの、心を病んでいるのかもしれない一郎の、不穏で悲痛な言動の一部始終を報告するとんでもなく長い手紙の丸写しで終わる。

 

一郎がどうなったのかは分からない。

 

二郎が心情を懐古的に語る部分から察するに、旅行のあと、一郎は何らかの理由で死んだのではないかと思うけれども、漱石はそれを明らかにしなかった。

 

なんでだろう。

 

そろそろ出かけなくてはならないから、分からないまま、投稿してしまおう。