こんにちは。
だいぶ寒くなってきた。
といっても、令和の埼玉の冬の寒さは、生まれ育った東北の冬ほどじゃない。霜焼けになどならないし、寒風で耳がちぎれるほど痛いなんていうこともない。
幼いころの冬の思い出は、思い出の中だけなら懐かしいけど、前が見えないような地吹雪や、腕よりも太く恐ろしげなつららの行列など、もうリアルに見たいとは思わない。 寒いのは、苦手だ。🥶
(_ _).。o○
今年も残すところ、10日ちょっと。
年内にここの記事を3000まで増やす、なんて抱負を立ててた記憶があるけど、現時点で2720記事。残り280記事。
今からじゃ、さすがに間に合わないだろう。
普通なら。
でも過去日記の転載なら、やってやれないことはない…かもしれない。
1日28記事で、まだ間に合う。
ちなみに昨日は10記事増やした。
嫌なことや気の重いことは全力で忘れるようにしているので、上の日記に書いたことも、読み返すまで完全に忘れていた。たぶん、書いてスッキリして、ついでに読書に没頭して、そのまま忘却したのだろう。
この頃に読んでいたダイアナ・ウイン・ジョーンズの作品のことは、いまもよく覚えている。
当時、小学校の特殊学級(いまの特別支援学級)に在籍していた息子の介助のために、乳児だった末っ子を抱いて、よく教室にお邪魔していた。
重い聴覚過敏のある自閉症の子にとって、小学校という環境は、まさに阿鼻叫喚の生き地獄だったと思う。同じクラスの自閉症の子は、学校にいる間ずっと、両耳を塞いで過ごしていた。
右手の二の腕を右耳にきっちり当てて、左耳を右手の指先で押さえていた彼は、特別支援学校に進学してからは、耳を塞がなくなっていた。
幼少期には、台風が来るたびにパニックになり、ほとんど低気圧探知機みたいだった息子は、年齢が上がるにつれて落ち着いていって、いまではほとんど影響がなくなっている。
気圧が体調に影響するという人は、大人でも少なくないらしいけれど、あれはどういうメカニズムなのだろう。そんなものは気のせいだという人もいるようだけど、かつての息子の状態を考えれば、とても気のせいで片付くものではないと思う。
駅のホームのアナウンスが大の苦手だった息子は、小学校の低学年の頃までは、駅舎が間に入っただけで泣き叫んでいた。
苦手なのは駅のアナウンスだけではなく、学校の体育館で、スピーカーから流れてくる先生の声などもダメだった。
小学校の入学式のとき、上級生のお姉さんに手を引かれて大人しく入場した息子は、校長先生の挨拶が始まった途端、絶叫しながら壇上に駆け上がってマイクのスイッチを切ろうとした。
息子の隣についていてくれた上級生のお姉さんの、
「あ…」
と言うか細い声が、奇妙なほどよく聞こえてきた。
保護者席にいた私は、息子を止めるために大慌てで駆けつけようとして、足元にまとめて置いてあった木製プラカードの山を思いっきり蹴り飛ばし…
あの時のドンガラガッシャーンという大騒音は、いま思い出しても酷かった。
親子で入学式に大妨害をかましたことに責任を感じた私は、体育館からの退去を先生方に申し出たのだけど、そのまま参加してくださいと言われてしまい、いたたまれない気持ちで最後まで参列した。
その後も息子は、「式」と名のつく行事のたびに、いろいろとやらかすことになるのだけれど、当時の私は知る由もないのだった…
😅