こんばんは。
音読
昨夜も「漱石の思い出」を末っ子に読んでもらった。
語り口調の文体なので、音読がしっくりくる。
昨晩は末っ子がくたびれていたので(体育のバスケがキツかったらしい)、音読は短めにしてもらった。そのせいか、寝落ちしなかったので、自分でも続きを少しだけ読み進めた。
鏡子夫人と結婚する前に、漱石が壮絶な失恋をしていることは、知識としてそれなりに知っていたけれども、鏡子夫人はその失恋の経緯と顛末について、漱石本人や周囲の人々から詳細に聞いていたらしい。
かかりつけの眼科で出会った、大変気立てのいい美女に片思いをして、何らかのつてで縁談を持ちかけたのに、相手の母親が底意地の悪い女性で、どうしても娘を貰いたいなら、とことん下手に出てお願いしろというようか言い方をしてきたため、短気な漱石はブチ切れて、そんなことなら結婚などしないと啖呵を切ってしまったとか。
ところがその後、相手の母親が、漱石に対してスパイ行為や嫌がらせを働き続けた(と漱石は思い込んでいた)ため、ノイローゼのようになってしまったというり
愛媛の学校の教師として赴任してしまったのも、この縁談問題に嫌気がさして、東京から逃れるためだったのだろうと、鏡子夫人は推測している。
そんな散々な片思いだったにもかかわらず、相手の女性への気持ちは、結婚後もずっと薄れなかったようで、たまたま女性と再会したことを鏡子夫人に語る言葉のなかにも、思慕が滲んでいたようだ。
それにしても、漱石、なんでわざわざ結婚前の失恋相手の話を妻に詳しく語っていたのか。お見合い結婚とはいえ、常識的に考えれば、妻に対して配慮がなさすぎる。
漱石の作品を読んでいると、女性の気持ちを推測する能力のない男性ばかり出てくるけれども、「こころ」の「先生」と親友「K」の関係を思い起こせば、同性への慮りも薄いことがわかるから、男尊女卑が当たり前だった明治の男だからというだけではないように思う。
鏡子夫人、いまの時代であれば、カサンドラ症候群と診断されていたかもしれない。
今夜も続きを読もう。
読書
病院の待合室で、ケン・リュウの「もののあはれ」という短編集の表題作を読んだ。
大勢の人々を乗せて滅亡寸前の地球から脱出した、アメリカ合衆国製の巨大宇宙船が、不慮の事故で故障してしまう。破損部位が外部にあり、作業員を速やかに送ることが難しい位置だったため、航行の続行は絶望的に思われたけれども、たった一人の日本出身の乗組員が、自らの命を捨てて船を救う。
その宇宙船の外観は非常に複雑だったけれども、彼は毎日それを飽きることなく眺めていたため、構造を熟知していた。それは、自分が拙く手書きする「傘」という漢字にどこか似ていて、地球と一緒に滅びてしまった日本や、我が子を宇宙に送り出して死んだ両親の思い出に深く繋がる形でもあった……。
すごくいい短編小説だと思ったけれども、言語や慣習の「日本らしさ」が、滅亡とか自己犠牲とかに過剰に親和的であるようにも感じられて、いささか切なかった。
明日のやることリスト
前の晩の夜9時以降は食べちゃダメ、とのこと。
幸い今日は食欲がないので楽勝……のはずだったのに、長女さんと末っ子がテーブルの上にオヤツを広げてワイワイしてるので、目の毒で仕方がない。
明日終わったら、美味しいもの食べよう。