病院の待合室で、「漱石 片付かない近代」(佐藤泉著)という本を少し読んだ。
ずいぶん前に買った紙の本なのだけど、ナナメ読みだけして、きちんと読了していなかった。
「ゆとり教育」が始まるころに書かれた本なので、冒頭付近で、小中学校の国語の教科書から、鴎外や漱石の作品がごっそり抜けるという話が出てくる。
「ゆとり教育」って、結局どうなったんだっけ。
うちの長女さんが小学校に入学したのは、その「ゆとり」が始まった年だった。
入学直後に、長女さんが持病の発症で長期入院になってしまい、連絡やら配布物の受け渡しやらで、私が頻繁に学校に行っていたのだけど、その年の担任の先生が、指導要領の変更に困惑していたのを思い出す。
「国語の教科書にまだ出てこない漢字が、先に算数の教科書で出てきちゃったりするんですよ! 」
国語の内容が薄くなったせいで、算数に遅れを取ったということなのだろう。
小学校では音読の宿題が毎日出るので、親も国語の教科書の内容は全部読み聞かされることになる。
五年まえまで小学生だった末っ子に、漱石を音読された記憶はない。末っ子の国語の教科書には、漱石が掲載されていなかったのだろう。
自分の小学校時代の記憶を掘り返すと、小学五年か六年とときに、漱石の俳句を習った記憶がある。
菫ほど小さき人に生まれたし 漱石
担任の先生が「漱石もくだらない俳句作ってんなあ」と言ってたのを聞いて、何がくだらないのだろうと不思議に思ったものだ。あのとき挙手して質問しておけば、47年後にブログのネタに出来たのにと、ちょっと後悔している。
「菫ほど〜」の句からうかがえるのは、漱石の強烈な厭世観と、だいぶややこしい感じに拗らせた自己愛じゃないかと思う。
いい年をした明治の男が、可憐な花の妖精に本気でなりたがっているのを目の当たりにしたなら、相手の痛さから目をそらしつつ「お前何くだらないことを言ってんだよ」とツッコむ以外の選択肢はあまりないかもしれない。担任の先生の口調はそんな感じだった。
だけど句が詠まれた背景や、漱石の人物像、他の作品との関係などを深読みしていけば、「くだらない」と切り捨てて済むような句ではないはずで、つまるところ、小学校の国語の教科書に掲載するには、いささか重い作品であるということになる。
でも、漱石の作品が国語の教科書にないのは寂しい。
(_ _).。o○
なんとなく考えたこと。
漱石は、社会の中に、次世代まで片付かない地雷みたいな問題がどっさりあることに気付きながら、わかる人にしかわからないように、作品のなかで地雷の埋まった地平を指差していた作家のように思う。
森鴎外は、社会の中の地雷を人格化して小説にした作家かもしれない。
でもって太宰治は、自分が社会の地雷になっちゃった作家な気がする。なんとなく。