おはようございます。
総理大臣の鶴(?)の一声のためか、末っ子の学校は来週から休校になりそうな気配である。昨日の時点で学校から連絡があり、今日が今学期最終日になる可能性のあることを前提に、教室持ち物全部を持ち帰れるようにサブバック等の支度をして登校せよとのことだった。
我が家には、私も含めて持病や障害を抱えた家族がいるから、近隣で患者が出ているの状況での休校の判断は、正直とても有難い。
万が一にも感染したら、我が家の場合は、色々な意味で詰む可能性があるからだ。
感染しても症状が軽い場合は自宅療養をせよということだけれど、それができるのは、元々が健康な人の場合である。
感染して、なおかつ持病を再発、もしくは悪化した場合は一体どうすりゃいいのか、という話である。
特に、再発時にステロイドや免疫抑制剤を使わなくてはならない持病の場合など、どう考えても、自宅療養は危険だろう。自前の免疫に頼るしかない新型ウィルスの肺炎なのに、免疫抑制しないと命に関わる難病なのだから。
なので、休校で、電車通勤通学組である亭主と末っ子の感染リスクが下がるのは、我が家としては大変有難い。
新型でなくても肺炎は大変な病気だ。
息子(重度の知的障害のある自閉症)が肺炎になったのは、たしか高校二年の時だった。
当時、病院が大の苦手だった息子を診察させるのは、難事業だった。小学校の身体検査ですら、大人四人がかりで抑え込まなければ、聴診器も当てられないような状況だったのだ。
息子があちこちの病院で大パニックを起こしたため、障害に理解のない病院スタッフに心無い言葉を投げられることもあり、私にとっても息子の通院はそれなりのトラウマだった。
(「母親が甘やかすからこんな子どもになる」云々と憎々しい顔で私に言った某小児医療センターおよび某総合病院の初老マウント看護師二人の名前は忘れたが顔はいまも忘れない。まあ「自閉症育児あるある」な話ではあるし、その場で罵り返したけど。病院長宛に投書もしたっけ。それにしても、ああいう人たちって、父親には絶対そういうこと言わないのよね。あと若い看護師さんにはそういう変なのは今のところ見かけないから世代的なものだったのかもしれない)
で、熱がそれほど上がらず、食欲もあったから、自宅で様子をみていたけれど、日を追うごとに咳がひどくなり、夜通し咳き込むような日が続いた。売薬の咳止めなどは、気休めほどの効果もなかった。
さすがにこのままでは危険と思ったから、私のかかりつけの病院に電話をして、詳しく事情を話したところ、暴れても大丈夫だからとにかく連れてきてと言ってもらえたので、息子に「病院に行って、咳を治してもらおうね」とよくよく言い含めて、車に乗せて、連れていった。
幸いその病院はエントランス近くに売店があった。
好きなのお菓子が並んでいるのを見た息子は、それにつられて機嫌よく病院に入り、買ってもらったお菓子を握って診察室に入り、レントゲンもなんとか撮影することができた(私が脇で防護服的なものを着て付き添った)。
それで目出度く(もないけど)「だいぶ治りかけの肺炎」の診断をいただき、薬を処方してもらって、数日で全快した。
なにはともあれ、新型肺炎、一日も早く終息するように祈るばかりである。
それにしても、末っ子の中学の卒業式、どうなるんだろう。状況次第では中止だろうけど、ちょっと寂しくはある。
読書
夏目漱石の「それから」を昨晩読了。
漱石の小説は夜に読むと眠れなくなる。睡眠導入剤が効かなくなるのだ。寝る前は文体の軽いものに限る。
そんなわけで、ラノベや漫画を大量に読みながら、その合間に読み進めていたから、日数がかかった。
今回読んだのは、kindle読み放題リストに入っている、角川文庫版。新字新仮名遣いであるのはもちろん、適切な言葉の注釈もついていて、本文中からリンクで表示できるので、読みやすかった。
大学で多少鍛えられたおかげで、旧字旧仮名でも苦労なく読めるけれども、当時の風俗や時事的な物事に関連した言葉の知識は薄いから、どうしても注釈に頼ることになる。
「それから」の舞台は、なにしろまだ日本に「華族」や「平民」がいて、江戸時代生まれの財界人たちが日露戦争後の経済難と悪戦苦闘していたという、百年前の東京である。近代史を多少かじっても、当時の人々の日常生活を具体的にイメージすることは難しい。
ともあれ、そんな激動の時代のなかで、帝国大学を出た富裕層の子息が、ふさわしい仕事を得ることができず、親に生活費を丸抱えしてもらいながら、読書や観劇や音楽会、芸者遊びなどで暇を潰して気ままに暮らす、「高等遊民」になっている。長男たちは、親の命令で実家の跡取りとなり、地元の名士となるような道を歩んでいくけれども、次男坊で身分に合った仕事がないとなると、資産家の婿養子に入るか、ニートになるしかないようだ。
「それから」の主人公の代助も、そんな高学歴ニートの一人だ。もうすぐ三十代になるというのに、親の用意した庭付き書斎付きの一軒家で、家政婦的な婆さんと、書生とは名ばかりの下働きの若者を家に置いて、悠々自適の暮らしを送っている。
代助の全収入は、実業家の父親が出しているほか、小遣いが必要になると、義弟に甘い兄嫁にせがんで出してもらったりもする。代助は友人たちに頼まれて大金を貸すこともあるけど、それも全部実家からもらったお金である。
仕事をもたないことについて、代助にはとくに罪悪感がない。かなり神経質で、日常生活には不要なほど鋭敏で豊かな感受性の持ち主だけど、決してコミュ障でも抑鬱的でもなく、兄の息子を可愛がって遊んだり、あちこち出かけて歩いたりすることも多い。世の中の動きににも敏感で、決して高尚な世界にばかり目を向けているわけでもない。
けれども、仕事を探そうとはしない。
仕事に失敗して上京してきた友人の平岡に、ニートであることを揶揄されると、代助は、こう答える。
「僕はいわゆる処世上の経験ほど愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか」
単につらいから社会に出たくない、なんてことを言って、親の金で贅沢なニートなどしてたら、明治だろうと令和だろうと、バッシングの対象になりそうなものだけど、代助の父親は、なぜか次男坊を甘やかし続けている。
裸一貫から事業を起こした父親だから、自分の人生訓にしたがって、時折キツい説教はするものの、頑として働かず、あまたの縁談をも断り続ける代助の生き方を、完全に覆そうとはしない。
代助の兄も、父親ともに働いているけれども、やはり弟の生き方に特に意見はしない。そのうち何か始めるだろうからと、無関心に近い好意的な態度を示すのみである。
どう考えても「生産性至上主義」のはずの父親と兄の、代助に対する薄気味悪いほど寛容な態度を不思議に思いながら読んでいたけれど、話が進むにつやて、彼らの思惑が明確になる。彼らには彼らなりの、次男坊の「使い道」があったのだ。
父親と兄にとっての代助の「使い道」は、自分たちの事業に有益な資産家の娘と結婚させることだった。仕事をして自立することを、代助はあまり期待されていなかったのだ。なまじっか自立していないほうが、親のいいなりに結婚させられるという打算も、父親側にはあったのかもしれない。
父親は代助に、かつて自分が世話になった人物の血縁の娘をもらうように命じる。資産家の叔父に育てられているというその娘は、かなり徹底した耶蘇教(キリスト教)教育を受けて育ったということで、耶蘇教を嫌う父親にとっては「難あり」な条件だったにもかかわらず、その縁談はほぼ決定事項として代助にもたらされた。それほど父親の事業は危ない状況だったのだろう。
けれども代助は、ニートになる以前、つまり学生時代から、三千代という女性を深く思っていた。三千代は代助の親友の最愛の妹であり、親友の思いもあって、代助は三千代の精神性を育む教師役となっていた。
例えていうなら、光源氏が親族公認のもとに紫の上の家庭教師になったようなものである。資産家の次男坊で、なおかつ色白細マッチョなイケメンだったらしい。
実際彼は必要があれば、お白粉さえ付けかねぬほどに、肉体に誇りを置く人である。
夏目漱石「それから」
そんなわけだから、三千代にとっても、代助は唯一無二の男性だったはずである。そのまま行けば、二人は自然に結婚していたかもしれない。
ところが、大学卒業前に、三千代の兄と母がチフスで亡くなってしまう。三千代の父親も、投資にしくじって財産を失い、北海道へ働きに行って厳しい暮らしを送っていた。
東京に一人残された三千代には、生活するあてがなかった。代助も親がかりの学生だったから、三千代を嫁にもらうという選択肢は存在しない、と当時の代助は思っていた。
そこに、代助の学友である平岡が、三千代を嫁にもらいたいから取り持ってくれと、代助に頼んでくる。
代助としては、親から経済的に自立するあてのない自分よりも、既によいポストへの就職の決まっている平岡に三千代を預けるのが、三千代の人生を守ることになるだろうと判断し、二人を結婚させてしまう。
けれども三千代という女性は、代助にとってはなくてはならない、生きるのに必要欠くべからざる存在だった。
そのことに代助がはっきりと気づくのは、平岡が仕事に失敗して借金を背負い、無職になって東京に戻ってきてからだった。
平岡と三千代の夫婦関係は既に破綻し、お産で心臓を悪くして、産んだ子ども亡くしてしまった三千代は、歩行の不自由な体になってしまっていた。
三千代に対して愛を感じなくなっていた平岡は、放蕩に走って生活費を三千代に入れなくなり、代助は三千代に金を融通しながら、三千代との精神的の絆の確認を重ね、ついに三千代に求愛するに至る。同時に、父親の決めた縁談をきっぱり断ることを決意。
物語の終盤、事業の厳しい状況を乗り越えるために激務を続ける父親の、老いてやつれていく姿の痛ましさに、代助は縁談を受けようかとも思うけれども、結局は断ってしまう。
その上で、代助は三千代の夫である平岡にも事実を全て告白し、妻をくれと頼む。
「では言う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。
平岡は頭から手を離して、肘を棒のようにテーブルの上に倒した。同時に、
「うんやろう」と言った。
夏目漱石「それから」
平岡は、この告白のとき、代助の心情を理解して、本心から三千代をゆずるつもりだったと思う。
けれども、平岡はその後、代助が自分の妻と不倫関係にあるということを、代助の父親宛に詳細な手紙を書いて知らせてしまう。平岡の心情は書かれていないから分からないが、やはり悔しかったのかもしれない。あるいは、スキャンダルをネタに代助の実家を脅して金を取る意図もあったかもしれない。そういう意図を暗示するエピソードも途中にあった。平岡は新聞記者で、企業のスキャンダルを記事にすることもあり、代助が金を貸しているから書かずにやっているなどという、下衆い話もしていたのだ。
平岡の手紙のために、代助は実家と絶縁される。
すでに覚悟していた代助は、実家に一切の弁解をせず、仕事を探すと言ってあてもなく外出する。けれども世間に焼かれて滅びるイメージに溺れながら、東京を徘徊するばかりだった……
代助が就職できたかどうかは、書かれていない。
当然、つぎは「門」を読む予定。