今日の健康観察日記
足が冷える。
そしてお腹が痛い。
それ以外は、まずまず元気。
不登校についての記事
なんでか分からないけど、不登校について書いた日記へのアクセスが増えている。
これ。
ネットを使って不登校の生徒を「学校に戻す」活動をするという、クラスジャパンプロジェクトが、ずいぶん批判を浴びていると知って書いた日記。たぶん何らかのキーワードの組み合わせで、うちのブログが検索の上位に出ちゃっているのだろうなと想像。
いまもクラスジャパンプロジェクトへの批判はかなり続いているらしい。
学校自体が抱える問題をそのままにして、通えなくなっている生徒を「戻す」というのは、おかしくないか、ということのようだ。
それはそうだと思う。
とくに、いじめや問題教師が原因で不登校になったような事例では、学校が不問のまま子どもだけ戻されてはたまったもんじゃないというのは、当然のことだ。
でも、事実上「放置」されたまま中学校を卒業することになる生徒たちがいるのを知っているので、もしかしたら、こういう形のものでも、なにもないよりずっとマシなんじゃないかと思ったりしている。
慢性疾患を抱えている子どもたち、とくに、発病のたびに長期入院や自宅療養が必要となるタイプの病気の子どもたちは、小学校に入学すると同時に、否応なしに不登校の状況に直面することになる。
我が家の経験では、慢性の腎臓病を持った娘が何ヶ月も欠席している間、学校側からの学習やクラス適応についてのフォローは、ほとんどなかった。誤解のないように書いて起きたいけれども、無視されていたわけではない。親切な担任の先生が、クラスの子どもたちの寄せ書きやお手紙や、宿題のプリントなどを持ってきてくれることはあったし、感謝もしている。
でも、勉強の遅れについての系統だったフォローはなかったし、授業の合間に一斉に書かされる「○○ちゃんへのお見舞いの手紙」だけでは、友達との交流も難しかった。そして学年が進むにつれて、子どもにとっても親にとっても、学校に感じる心理的な敷居は高くなっていった…と思う。
発病といっても、腎臓病の場合、体が痛いとか苦しいとかいうものではなく、ひたすら病棟や自宅で安静にするだけだから、勉強することは可能だった。娘も学年の低いうちは、進研ゼミの赤ペン先生で頑張っていた。
でも、それだけでは、足りなかったのだと思う。
小学校高学年になったところで、娘は学校に「行けなく」なった。不登校の始まりである。いろいろな要因はあっただろうけど、集団のなかで学ぶという体験、学校そのものに対する経験値が圧倒的に足りなすぎたことが、一因だったと思っている。
入院が何ヶ月にも及ぶお子さんの場合、院内学級を持っているような小児病院に入院するという方法もあるだろう。けれども、発病が不定期であり、一回の入院が数週間から長くても1ヶ月半というような病気の場合、ただただ登校期間がぶつ切りになるほかはなく、集団適応の機会を望むことは難しかった。
中学では、似たような状況の子どもを持つ親御さんたちが、学校側に病弱児童生徒のための特別支援学級の設立を求めていたけれど、結局作られることはなかった。予算とか空き教室とか、そんな事情で握りつぶされたんじゃないかと思っている。
親が自治体に積極的に訴えれば、また結果は違ってきたのかもしれないけれど、慢性疾患の子どもの親にそんな余力はない。とくにうちは難病児・重度障害児・多動の幼児というトリプルだったから、毎日暮らすだけで、ヨレヨレだった。
そんな事情だったから、せめてネットで「学校」を体験できるようなシステムがあればいいのにと、当時は本当に、切実に思っていた。いまから十年ちょっと前のことである。
不登校の児童生徒は、もはやマイノリティと言えないくらいに増えてしまっている。
その中で、慢性疾患のための長期欠席が理由で学校に適応できなくなり、結果的に不登校になる子どもは、ものすごく少数だと思う。
なので、こんなブログを書いているわけである。
黙っていて「なかったこと」になってしまうのは、悲しいから。