湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

万葉集 燃え盛るジェラシーの歌

今回は、嫉妬にかられて罵詈雑言を叩きつけるように詠んだ長歌と、ふと我に返って冷静になったらしい反歌について。

 

さし焼かむ  小屋の醜屋に  かき棄てむ  破薦を敷きて  うち折らむ  醜の醜手を  さし交へて  寝らむ君ゆゑ  あかねさす  昼はしみらに  ぬばたまの  夜はすがらに  この床の  ひしと鳴るまで  嘆きつるかも」

 

(さしやかむ おやのしきやに かきすてむ やれごもをしきて うちおらむ しこのしきてを さしかえて ねらむきみゆえ あかねさす ひるはしみらに ぬばたまの よるはすがらに このとこの ひしとなるまで なげきつるかも)

 

反歌

 

わが情焼くも吾なりはしきやし君に恋ふるもわが心から

 

(わがこころ やくもわれなり はしきやし きみにこうるも わがこころから)

 

万葉集 巻十三 3270 3271

 

 

【語釈】

  • 破薦(やれごも)…破れたむしろ。
  • さし…接頭語。動詞について、語調を整えたり意味を強めたりする。
  • かき…接頭語。
  • うち…接頭語。
  • 醜(しこ)…醜悪なもの。
  • 交ふ…差し交わす。入れ違えさせる。
  • しみらに(繁らに)…ずっと連続して。
  • すがらに…途切れることなく。

 

【怪しい意訳】

 

焼き滅ぼしたくなるような小汚いあばら屋に、粗大ゴミに出すべき不潔な布団を敷いて、へし折ってやりたくなる不細工な腕を差し交わして、どこぞの女と寝ている、あの浮気野郎のせいで、昼も夜もずっと苦しくて、部屋の床がみしみしと音を立てるほど、泣き喚いてしまったわ。

 

だけど、私の心を焼いて痛めつけてるのは、あいつらじゃなくて、私自身だってわかってる。

 

だって、あんな浮気野郎に恋しているのは、私なのだから。

 

(_ _).。o○

 

なかなか凄まじい罵詈雑言だけれど、反歌が一転して冷静であることで、詠み手の抱える切なさが鮮烈に伝わってくるように思う。

 

本多平八郎の英訳では、罵詈雑言の矛先が、浮気相手に向けられたものであることが、より明確に訳されている。

 

ただ、反歌のニュアンスが、原文とはだいぶ違っているように思われる。

 

 

No. 3270

 

Within her hovel (would that I could burn it), upon the tattered mat fit for the rake, and on her greasy arm (would I could break it), I know he lies now—he for whom I yearn and wait indoors though bright the sun may shine,

for whom the livelong night forlorn I pine, and till the flooring creaks, in bed I turn.

 

 

Hanka

 

No. 3271

I am doomed with love to burn, and in this wise for him to yearn.

 

本多平八郎「完訳 万葉集」北星堂出版社 昭和42年

 

 

【語釈】

 

  • hovel …あばら屋
  • tattered …ボロボロの
  • rake …熊手
  • greasy…油っぽい
  • yearn…切望する
  • la
  • livelong…長生きする
  • forlorn…心細い
  • pine…恋焦がれる
  • pine…恋焦がれる
  • doom

 

【怪しい逆翻訳】

 

あの女の荒屋で(…燃やせたらどんなにいいか)、庭ぼうきで吐き捨てたらよさそうなボロいマットを敷いて、あの女の脂ぎった腕枕で(…腕、へし折ってやりたい)、いま、彼が寝ているって、私は知っている。

 

彼……昼はずっと家のなかで恋焦がれ、長い夜も不安に駆られながら恋したっている、彼のために、床が軋んでしまうほど、私は寝返りを打ち続けた。

 

焼け爛れるような恋を、そしてこのように彼を恋慕うことを、私は運命づけられている。

 

(_ _).。o○

 

AIのCopilotさんにお願いして、本多平八郎訳の英文をもとに、イラストを描いてもらった。

 

画風の指定は「喜多川歌麿東山魁夷の合わせ技」として、ついでにシャガールっぽい何かを加味してもらうという無茶振りの結果、こうなった。

 

歌麿を指定したせいで、万葉集じゃなくて江戸時代じゃなくなってるけど、歌の心情はきっとどんな時代にも存在するものだろうから、これはこれでいいということにした。