こんにちは。
末っ子は、冬休み。
長女さんは、午後から描画カウンセリング。 病院まで車で送り、待合室で読書した。
読んだのは、関川夏央「現代短歌 そのこころみ」(NHK出版)。
第二次世界大戦以降の短歌史が、歌人の評伝をおり混ぜつつ語られている。
若い頃の寺山修司を中井英夫が見出した経緯と、その後の成り行きが、なんとも痛いというか…。
中井英夫は、寺山修司の短歌を読んで、うまいと思いつつも、「贋の金貨」ではないかと疑う思いが消えなかったという。
40年ほども前になるけれども、初めて寺山修司の短歌を読んだときに思ったことは、ファンの方々には大変申し訳ないけれども、「カッコ良すぎて、嘘くさい」だった。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
私自身が津軽の出身だからというのもあるのかもしれないけれども、霧深い夜(だと思う)の青森の海辺に立って、おもむろにマッチを擦りながら「身捨つるほどの祖国はありや」となどと、物憂げな顔で思い詰める、あるいは命をかけるに足る祖国など自分にはないという虚無感に沈むような人物は、リアルに存在しそうに思えなかったのだ。
映画や小説の中なら、いてもいいと思う。
「但しイケメンに限る」という条件もつきそうだけど。
その後、寺山修司の短歌の一部が、既存の俳句作品などに酷似しているという指摘があり、盗作と非難されるようになったという。
とはいうものの、和歌の世界では、伝統的に本歌取りということが行われてきているわけで、先行作品と趣向の似た歌を詠んだからといって、非難される謂れはないようにも思う。
歌人じゃなくて、ドラマや映画のシナリオライターや演出家だったら、非難されずに済んだのかも。
だから演劇のほうに行ったのかな。
でも、昔見た寺山修司が脚本を書いて監督したという映画「上海異人娼館」は、どうにも好きにはなれない作品だった。
真実の愛(?)を実証させるために、恋人を娼館に売るステファン卿という人物が、心底気持ち悪すぎて耐えられなかったからだけど、Wikipediaによれば、彼を演じたクラウス・キンスキーという俳優は、実の娘を14年間に渡ってレイプしていた小児性愛者だったという。本物の変態が変態を演じていたのだから、リアルに気持ち悪いのも頷ける。
(_ _).。o○
【朝食】
トースト、りんご
【昼食】
レタスのチャーハン、ねぎのスープ
【夕食】
ひき肉キャベツ炒め、塩銀鮭、かぶらの味噌汁、ごはん(亭主作)