泥まみれの小汚い平安京を舞台に、少年時代の清盛の葛藤が描かれる。
(このドラマの京の都、ほんとに見渡す限り汚らしいんだけど、史実でもあんなだったんだろうか。物語や和歌の華麗なイメージが完膚なきまでにぶっ壊れるんだけど…現実なんてそんなものかな。華麗で雅な貴族文化は、当時でも異空間の存在だったということか。)
父の血を引いていないのに、平氏嫡男という立場に置かれることに苦しむ清盛は、わかりやすくグレていた。
浮浪者のような身なりで博打場に入り浸り、喧嘩相手を自分で掘った大きな落とし穴にハメて倒すなど、悪タレの限りを尽くして平家一門の鼻つまみになっている。
父の忠盛は、そんな清盛が自ら這い上がってくることを願いつつ、黙って見守っている。
自分が何者であり、どう生きるべきなのか、見つけられずに苦しむ清盛は、盗んだバイクではなく自宅の馬で夜の都を疾走中に落馬。
泥まみれで、
「俺は、誰なんだー!」
と叫んでいると、
「誰でもよいゆえ、助けてくれ!」
と声がかかる。清盛が掘った落とし穴にハマった高階通憲(信西)との出会いだった。
清盛に助けられて穴から這い上がった高階通憲(信西)は、白河法皇が、殺生を禁じて漁師の網を取り上げて焼かせていることなどを話して聞かせ、白河法皇を物怪(もののけ)であると断じた。
信西は、のちに保元の乱で勝ち組になるものの、平治の乱でアンチ信西に攻め込まれて、穴に埋まったまま死ぬことになる。
大学時代、「保元物語・平治物語」講読の授業を取って、ちょうどそのあたりを研究発表で割り当てられたおかげで、信西が政治的に何をした人なのか全く知らないまま、無惨な死に様についてだけピンポイントで記憶していた。このドラマを見終わるころには、40年ぶりに穴の中で死に至る経緯について補完できるだろうと期待している。
殺生禁止令のせいで、親しい漁民たちが飢餓に苦しんでいることを知った清盛は、白河法皇の元に押しかけて、殺生禁止令などうつつに生きる物怪がごとき振る舞いであると罵ったものの、法皇は全く動じず、清盛に実母の死の有様を聞かせた上、物怪の血がお前にも流れていると言って嘲笑って見せた。
いまの自分では実の父親に太刀打ちできないと悟った清盛は、自分を変えることを決意。忠盛に舞の教えを請い、白河法皇の御前で、美麗な舞を披露した上で、法皇に切り掛からんばかりの荒々しい振り付けの舞を見せつける。
法皇は、そんな清盛を非難することなく、武家らしい舞であると評価しただけで退場。その後まもなく崩御(1129年)。
清盛は1118年生まれだから、白河法皇崩御のときには11歳だったはずなんだけど……
松山ケンイチ、11歳には見えなかった。(´・ω・`)
そのあたりは、気にしたら負けかもしれないから、気にしないことにする。
(_ _).。o○
ドラマはとても面白いのだけど、人間関係と系譜の把握に難儀しまくっている。
平家、人大杉。😱
そして天皇家、複雑過ぎ。😭
公卿などはもはや五里霧中状態。🥶
記憶強化のために、主要な人々についてのメモを作ってみる。
【白河法皇関係】
白河法皇……ドラマでは最晩年の化け物じみた暴君の姿しか出てこないけど、若い頃は愛妻家にして両性愛者で、男の愛人が何人もいたらしい。後白河法皇の曽祖父。そういえば後白河法皇も、摂政だった近衛基通との男色関係の記録があるようだ。
この人がなんだかんだで摂関家を抑えまくって政治権力を掌握した結果、院政期と呼ばれる時代が始まる(そして平家滅亡で終わる)。
祇園女御……白河法皇の寵姫。出自が不明らしいけど、ドラマでは元白拍子という設定。清盛の実母と縁があったらしく、姉妹説もある。清盛を猶子にしたらしい。「平家物語」の諸本の中には、祇園女御こそが清盛の実母であると書いているものもあるとか。
彼女の後ろ盾が、白河法皇の落胤であるという風説に事実らしさを加味し、のちの清盛の出世を支えたのかもしれない。
鳥羽天皇……白河法皇の孫。父は堀河天皇。そして後白河法皇の父親。
ドラマでは、中宮に迎えた璋子を白河法皇に寝取られたばかりか、白河法皇が璋子に産ませた崇徳天皇に譲位させられるという屈辱を受ける。
崇徳天皇……鳥羽天皇と璋子の息子ということになっているけど、当時から父親白河法皇説は流れていたらしい。白河法皇のゴリ押しで、たったの五歳で即位するものの、のちに系図上の父である鳥羽上皇に譲位させられ、弟の近衛天皇に位を譲る。
保元の乱で後白河天皇に負けて讃岐に流され非業の死を遂げたあと、怨霊になるらしい。
待賢門院璋子……鳥羽天皇との間に7人もの子どもをもうける。身体が丈夫だったのだろう。ドラマでは貞操観念の怪しそうな不思議系美少女になっている。
怨霊化する崇徳上皇と、頼朝に大天狗と呼ばれた後白河法皇の母でもある。
【平家方面】
平忠盛……清盛の養父。
この人は白河法皇や祇園女御の信頼が厚かったらしいのだけど、ドラマではそれほど重きを置かれているようには見えない。荘園経営や日宋貿易で巨利を得て、のちの平家繁栄の礎を築いたらしいのだけど、中井貴一が演じるドラマの忠盛は、あまりそういう目端のきく印象ではないように思う。
ドラマでは、舞を清盛に指南するなど、貴族文化には精通しているようだけど、生活は武骨で質素。屋敷の雰囲気は、庭に鶏が放し飼いになっていたりして、「鎌倉殿の13人」の初期の頃の北条館と大差ないように見える。
史実の忠盛は和歌も好んだそうで、歌会や歌合に多数参加し、勅撰集に17首入っているらしい。ますますドラマのイメージと違っている。
【源氏方面】
源為義……ダメ親父にしてダメ祖父。
源義朝……出来る息子。保元の乱で敵側だったダメ親父を自分の手で処刑するけど、平治の乱で敗死する。
源頼朝……出来る孫。平忠盛の正妻宗子に命を救われ、のちに源氏の棟梁になって平家を滅ぼし、父を祀る寺を建てるけれども嫡流は全滅。
【公卿】
藤原忠実……藤原頼通の曾孫。白河法皇の第四皇子である覚法法親王を産んだ源師子に一目惚れして、法皇から譲り受けて妻に迎えたという。長男の忠通と白河法皇の養女だった璋子との縁談が持ち上がったことがあるけど、璋子の素行不良を理由に断ったとか。
藤原頼長……忠実の息子。えらく短気な人だったらしい。
藤原家定……鳥羽上皇の寵臣。鳥羽天皇の皇后である美福門院(藤原得子)の従兄弟。
今回はこれくらいが限界。
徐々に情報を増やしていこう。
(_ _).。o○
蛇足の歴メシネタコーナー。
白河法皇が、寵姫の松田聖子じゃなくて祇園女御をそばに置いて食事するシーンがあった。
お膳が二つ並んでいて、向かって右側には朱塗りのお椀や皿が合計五つ。
深めのお椀には、賽の目に切った豆腐のようのようなものが見える。汁物だと思うけど、汁部分が見えなかった。
豆腐の伝来には、遣唐使が伝えたという説と、鎌倉時代に入ってから帰化僧が伝えたという説があるようだ。白河法皇のお膳に豆腐があったとするなら、遣唐使の時代に伝わったことになる。
浅くて口の広いお椀には、白いものが四角く折り畳まれたような形で入っている。エビの尻尾のような色のものも見えるけれども、正体不明。
皿は三枚。
蕪を縦に厚めに切ったようなものが三枚重ねて盛り付けられている皿。羹(あつもの)だろうか。
黒色のものが不定形に広がっている皿。わかめなど、海藻類の煮物だろうか。
茶色の何かが見える皿。これは全く分からない。
向かって左側のお膳には、煮物かなにか、複数のものを盛り付けたような大きめの皿が見える。お膳が別だから、おかずの類ではなく、唐菓子だったりするのかも。
料理は何一つ判別しないのだけど、殺生禁止令なんてものを出して魚網を焼き払うようなお方なのだから、肉や魚の料理は存在していないのだろう。
でも、右のお膳の白くて四角い料理、お魚じゃないのかなあ。「平安時代 食事」で画像検索して、白くて四角い料理を探すと、うなぎの蒸し物とか、ハマチの切り身だったりするんだけど……。
(_ _).。o○
【第二回のキャストの一部】
- 平清盛(松山ケンイチ)……今回は普段のイカれた服装と、舞の衣装のときのギャップが見どころ。
- 平忠盛(中井貴一)……厳父ではあるものの、義理の息子への愛と思い入れが半端ない。正妻の宗子としては心中複雑かも。
- 宗子(和久井映見)……絵に描いたような良妻賢母。うっかり実子を贔屓する本心を見せてしまったことから来る、義理の息子清盛への罪悪感が半端ないのだけど、その態度が清盛の気持ち余計にこじらせている。
- 平家盛(大東駿介)……清盛の異母弟。宗子の実子.破天荒な兄を無邪気に慕っているっぽい。
- 源義朝(玉木 宏)……ナレーター頼朝の父。デキる男っぽいイケメン。ドラマでは清盛のライバルになる感じ。
- 源為義(小日向文世)……ナレーター頼朝の祖父。孫も認めるダメ親父だけど、史実でもダメっぷりを炸裂させて、いろいろやらかしたらしい。
- 鳥羽上皇/法皇(三上博史)……祖父に寝取られた嫁(璋子)に恋着し、ちょっと精神を病んでいる様子。璋子に仕える女房に当たり散らしていた。
- 白河法皇(伊東四朗)……この人の傍若無人な怪物っぷりは、ひ孫の後白河法皇にストレート遺伝したように思う。
- 祇園女御(松田聖子)……白河法皇の寵姫という立ち位置だけど、法皇の乱脈な女性関係に対して嫉妬する様子もなく、不思議なほど泰然と構えている。いろいろ諦めているのか、色恋など超越した愛情を抱いているのか、よくわからない。
- 信西(高階通憲)(阿部サダヲ)……清盛が掘った落とし穴にハマっていたところを、たまたま通りがかった清盛に助けられていた。この人は、確か戦乱から逃れるために土中に埋まって隠れていたところを掘り出されて首を切られたはずなので、落とし穴からの初登場は、その伏線なのかもしれない。なんかひどい。
- 藤原家成(佐藤二朗)……「鎌倉殿の13人」の比企能員が、時代を遡って公家になっていた。歴史の授業では習った記憶はないけど、Wikipediaの記事を読むと、保元の乱勃発の伏線に関わる人物らしい。