こんにちは。
朝、息子を介護施設の送迎車に乗せたあと、駅前まで軽くウォーキングをしたものの、へたばったのでマックに寄ってコーヒー一杯飲んで休憩。その後、少し買い物をして帰宅。
今日の野菜スープは、基本の四野菜(にんじん、たまねぎ、カボチャ、キャベツ)の他、冷蔵庫で余っていた春菊を投入。
春菊に含まれている、ペリルアルデヒドという香り成分には、胃腸の働きをよくしたり、たんを切って、咳を鎮めるなどの効果があるらしい。
コロナに感染して咳がひどくてつらかったときに、いっぱい食べればよかった。もしも次にかかったら(二度とかかりたくないけど)、ネットスーパーで春菊を取り寄せることにしよう。
参考図書「野菜はくすり」オレンジページ(現在、Kindle Unlimitedで読み放題利用可能)
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ネットで読み書きしていると、バタフライ効果という言葉が頭をよぎることが多い。
Twitterに何気なく書いた、どうでもいいようなひとことに、予想外の反応があった時など、とくに蝶の羽ばたきの微風を感じる。
自分の起こした微かな風が、どこかにいいことを運んで行ってくれればいいなと思う。それが大きくなって、いつか思いがけない形で自分のところにいいことを持ってきてくれたら……そんなことは滅多にないだろうけど、絶対ないとは言い切れないから、自分なりに、いい風になりそうなことをつぶやくようにしている。
たとえば丁寧に読んだ本の感想をつぶやいていたら、めぐりめぐって、いつか戦争がなくなるとか、世の中が穏やかで安全になるとか、そんな奇跡みたいなことがあればいいのに。
いいと思った本を話題にする。
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話題になっている本を読む人が増えて、さらに話題になる。
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同じテキストによる世界観やストーリーを共有し、それを「推し」とする人が次第に増えていく。
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時事的な問題で過激な対立感情や、危険な方向への傾斜が生まれそうになっても、共有する「推し」の存在がクッションになって場が和らぎ、集団でダメな方向につっぱしりそうな危険を回避できるだけの余裕が生まれる。
……みたいな奇跡があるといいのに。
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息子(25歳・重度自閉症)のことばの辞書を作ろうと思い立ったものの、どこから手をつけたらきいものか、考え込んでいる。
とりあえず、いろんな文章を音読してもらって、息子が理解することばや、自分から使えることばを拾ってみようと思ったのだけど、療育の習慣を手放して5年にもなるので、なかなか集中して読んでくれない。
今朝は、小学生の読解ドリルをテキストに、湯葉で一語ずつ確認しながら読んでもらったものの、三行ちょっとで逃げられた。二十歳ごろまでは、1時間半ものマンツーマンの療育を平気でこなしていたのに。
それでも続けていれば、また読めるようになってくるかもしれない。
たった三行ちょっとだけど、読んでいて反応のいい単語はいくつかあったので、それを掘り下げて、意味をどの程度把握しているのかを確認してみようと思う。
自分の根気との勝負になりそう。
まずは、一日5分から。
続けられるかどうかは分からないけど、たぶんこれが療育のラストチャンスなので、出来るところまではやってみよう。
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松山ケンイチ主演の「平清盛」(NHKオンデマンド)の第二話を見た。
出生の秘密を知っていらい、すっかりぐれて親族に反抗しまくっている平太(清盛)が、泥道に転がって「俺は、誰なんだー!」と叫ぶシーンがあるのだけど、息子が大パニックを起こしている姿にそっくりだった。
もともと松山ケンイチの面立ち、とくに目鼻立ちは、うちの息子にわりとよく似ている。息子が肥満してしまってからは容姿が遠ざかっていたけれども、松山ケンイチが映画「聖の青春」の役作りで体重をどっさり増やした時には、またそっくりになっていた。
その後松山ケンイチが体重を戻したので似なくなっていたけど、今度は息子が痩せてきたので、また少しずつ似てきている。
息子に似た平清盛を眺めていると、なんとも複雑な気持ちになる。
歴史上の人物の大半は、幸福とは言いがたい人生を送る。清盛も頼朝も、華やかな一時代を作ったものの、自分の死後、嫡流があっという間に死に絶えている。
信長や秀吉もそうだけど、勢いよく時代を変えると、同じくらい勢いよく滅びるという法則でもあるのだろうか。
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おやすみなさい。