今回は、藤原定家の藤の花。
ゆく春をうらむらさきの藤の花かへるたよりにそめや捨つらむ
(ゆくはるを うらむらさきの ふじのはな かえるたよりに そめやすつらむ)
拾遺愚草
重奉和早率百首(じゅうほうわそうそつひゃくしゅ)
*ゆく春…過ぎ去ろうとしている春。晩春。
*うらむらさき……「うら」は表面に現れない裏側、服の裏地、心の内などの意味を持つので、布の裏側から透けて見えるような淡い紫色を意味するか。
*かへる…帰る。色が褪せる。
*そむ(染む)…色をつける。染める。
*たより…よりどころ。機会、ついで。知らせ、手紙など、複数の意味を持つ。心を傾ける。
【ねこたま意訳】(若干妄想入り)
晩春に咲く藤の花は、美しいけれども、どこか物悲しく、切ない。
恋に酔い、恋を恨み、命の灯を弱らせていく彼女のように。
心変わりをした彼が、当てにならない手紙をよこして、彼女を恋の色に染め、そのまま捨てていってしまったのか。
(僕なら、彼女にそんな思いをさせないのに…)
……
「重奉和早率百首」は、慈円の「早率露胆百首」(そうそつろたんひゃくしゅ)に合わせて詠まれた百首の歌のこと。
「早率(そうそつ)」は、慌ただしく即詠した、という意味。
藤原定家は、慈円の「百首」に対して、まず「奉和無動寺法印早率露胆百首」(1189年春)を詠み、さらに追加で、この「重奉和早率百首」(1189年3月)を詠んだという。とんでもないバイタリティだ。
定家が和した慈円の歌は、たぶんこちら。↓
紫の雲にぞまがふ藤の花つひのむかへを松にかかりて
楚忽第一百首 慈円『拾玉集』より
*紫の雲…紫雲。仏が乗って来る、たいへんめでたい雲。
*つひ…最後。
【大変怪しいねこたま意訳】
僕、そろそろ死ぬんじゃないかな。
だって、あそこの松にからんで垂れ下がる満開の藤の花が、仏様が乗っかってる紫色の雲に見えるんだ。
あ、乗ってるのは仏様だけじゃないかも。
だって、紫色の藤の花だよ。
あの光源氏が恋焦がれた藤壺中宮とか、紫の上みたいな、最高級の女性たちも同乗してるね、きっと。
いいよね、晩春の大往生。
あんなゴージャスなお迎えが来たら、景気良く逝っちゃっていいよね。
……
だいぶおかしな意訳になったけれども、慈円の歌も定家の歌も、源氏物語の藤壺と紫の上のイメージが下地にあるのだろうと思う。
光源氏の最愛の妻でありながら、子に恵まれず、嫉妬に苦しむ紫の上。
定家の歌は、傍観者的でありながら、何者かに「染められて捨てられた」女性の事情に迫り、より悲恋のストーリーを感じさせる内容になっていると思う。
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