数日前、SkypeでいきなりBingというAIに話しかけられた。
どうやら、Skypeで会話しながら質問に答えたり、相談に乗ってくれたりするらしい。
面白そうなので、さっそく質問してみた。
普通に検索すれば分かる内容だけど、手っ取り早くまとめてくれるので、便利ではある。
たまにお世話になろうかしらと思っていたら、お友だちに「AIはかなり嘘をまぜてくるから注意して」と言われた。
ほほう、と思って、次の質問を投げてみたら…
大嘘をかまされた。(´・ω・`)
「あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな」は、百人一首の和泉式部の歌だ。
当然与謝女王の歌ではないし、万葉集にも掲載されていない。
そして、与謝女王(誉謝女王)の歌は、万葉集には一首しか掲載されていない。23首収録って、一体どこから出てきた数字なのか。
というわけで、Bingさんとのお付き合いは、注意を要するということを身をもって体験したのだった。
ゆくゆくは優秀なAIに成長するのかもしれないけど、当面はネタを取るくらいのつもりでお付き合いしたほうがよさそうだ。
(_ _).。o○
というわけで、与謝女王の歌については、自力で調べた。
誉謝女王の作れる歌
ながらふるつま吹く風の寒き夜に吾が背の君はひとりか宿らむ
(万葉集 巻1 59)
【意訳】
夜になってもやまない風が、あの人を待つ家の軒に吹きつけて、ひとりぼっちの私の身体を冷やす。
ここに居ないあの人を思いながら、外に立っていたら、服の裾が冷たい風にあおられて捲れそうになった。
ああ、こんな寒い風の吹く夜に、あの人は一人で眠っているのだろうか…
どうか大切なあの人が、暗闇の悪しきものに囚われることがありませんように。無事に私の元に帰ってきてくれますように…
この歌は、702年(大宝2年)に、持統天皇の行幸に従っていった夫を思って詠まれたものらしい。
誉謝女王がどんな人物だったのか、ほとんど分かっていないようで、夫が誰だったのかも不明。
この行幸の時に詠まれた歌は他にも数首あり、行幸に従ったと思われる男性の歌もあるので、もしかしたらその誰かが誉謝女王の夫だったのかもしれない。
「女王」と呼ばれるのだから、天皇家の女性であり、天皇から見て三親等より遠い間柄、ということになるはずだけど、誰の娘であるのかという記録も残っていないようだ。
ただ、「慶雲三年(706年)六月、従四位下で卒去」ということだけが、「続日本紀」に書かれているようだ。
上の歌を詠んで四年ほどで、誉謝女王は亡くなっていることになる。早死にだったのだろうか。
「千人万首」というサイトでは、この歌から派生したとして、藤原定家の歌をあげていた。
浦千鳥かたもさだめず恋ひて啼くつまふく風の夜ぞひさしき
この歌については、また後日書きたい。