湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(42)夢のゆくえ

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第42回「夢のゆくえ」を視聴した。

 

慕っていた和田義盛を失った実朝は、後鳥羽上皇を後ろ盾として、鎌倉殿としての実権を北条から取り戻そうとするものの、理想が空回りして、気の毒なほどうまくいかない。

 

北条と対立するのに、泰時を自分の側近として、政策の相談などもしていたけれども、泰時では、まだまだ父親の義時を出し抜くことができないので、有効な戦力になり得ない。

 

実朝が、聖徳太子に傾倒して、後鳥羽上皇に贈られたという絵姿を崇めるシーンがあった。聖徳太子のように徳を積むことで、為政者として力をつけたいと考えていたようだ。

 

けれども、実朝が信奉の対象にするには、聖徳太子は縁起が悪すぎるのではなかろうか。

 

聖徳太子の死後、息子の山背大兄王をはじめとした子孫が皆殺しにされたことを思うと、傾倒自体が実朝の死亡フラグに思えてくる。鎌倉殿としての頼朝の嫡流も、息子の代で終わってしまうのだから。

 

(そういえば山岸涼子の「日出処の天子」の聖徳太子も、ドラマの実朝のように、男性しか愛せない人として描かれていたなと、余計なことまで思い出した)

 

実朝の失策として最も派手なのは、陳和卿に造らせた船が海に浮かばなかったことだろう。

 

陳和卿は、東大寺の大仏や大仏殿の復興などの業績のある、優れた工人だったらしいのだけど、ドラマの中の陳和卿は、源仲章の差金で実朝に取り入ろうとする、胡散臭い人物だった。

 

吾妻鏡」では、陳和卿の船が浮かばなかった理由を、次のように説明している。

 

唐船、出入りす可きの海浦に非ざるの間、浮かべ出だすこと能わず。

 

吾妻鏡」 角川ソフィア文庫

 

 

大きな船が出入りできるような海辺ではなかった、つまり船を造った場所が悪かったのだという。

 

しかし、陳和卿がいくら胡散臭い人物だったとしても、海上まで運べない船を作るほど無能とは思えない。

 

たとえ陳和卿が技術的にダメな人だったとしても、現場で作業に携わっていた人々だって全員が造船や建築の素人ではなかっただろうから、浮かびそうもなければ、途中で誰かが気づきそうなものだ。

 

ドラマでは、陳和卿の設計図を北条時房がこっそり書き換えて、重量オーバーになるように仕向けていたけれども、歴史上でも北条側からの似たような妨害工作があったのかもしれない。

 

造船が成功すれば、北条を差し置いて鎌倉殿の権威が高まるばかりか、実朝の背後にいる朝廷の影響力まで強まってしまうというのだから、義時が陰謀を働いたとしても、不思議ではない。

 

彼の船、徒らに砂頭に朽ち損ずと云々。

 

吾妻鏡」 角川ソフィア文庫

 

なんとも皮肉な書きぶりだ。

 

吾妻鏡」は、北条氏側のマイナス面やブラック面については、できるだけ書き残さない方針らしいから、失敗の原因を陳和卿に押しつけるだけでなく、北条と対立し始めている実朝を、暗にディスっておく意図もあったのじゃないかと思う。

 

もしも、無事に船が海に浮かんでいたなら、歴史は変わっていたのだろうか。

 

造船の失敗は建保5年(1217年)4月。

 

公暁(頼家の息子)が実朝を殺すのは、建保7年(1219年)1月。

 

殺される前に実朝が宋に渡っていたらと思わなくもない。

 

けれども、子どももなく、跡継ぎも決まらない状態の将軍が、鎌倉を離れて海外に行くのは難しかったことだろう。

 

ドラマでは、実朝は自分には子ができないし、甥の公暁は仏門に入っているので、鎌倉殿としての源氏の嫡流は自分で終わるとして、朝廷に連なる高貴な血筋の方を養子にもらうと宣言する。

 

政子も実朝の意見を後押しして、北条ファーストな義時と、はっきりと対立する。

 

こんな流れでは、陳和卿の船が浮かんでも浮かばなくても、義時が実朝を排除しようとするは時間の問題に思えてくる。

 

実際、実朝の死の状況を考えると、義時が絡んでいそうな気配が漂っている。

 

父頼家を北条に殺された公暁は、「親の敵はかく討つぞ」と叫んで実朝を切り、実朝のそばにいた源仲章を、義時と間違えて切り殺したという。

 

義時は、急な体調不良で実朝のそばを離れていたため、殺されずにすんだのだという。

 

北条の敵対勢力を、北条を恨む人物に殺させて、結果的に全員まとめて排除する。

 

義時にとって、いかにも都合のいい事件であるように思えるのだけど、仕掛けたのが義時だったとするなら、一体どうやって公暁をそそのかしたのか。

 

ドラマでは、そのあたりをどう描くのだろう。

 

 

(_ _).。o○

 

毎回楽しみにしている歴メシ観察。

 

今回は、義時が、後妻ののえと、彼女の祖父の二階堂行政に、執権を名乗れ名乗れとせっつかれながら、エビを剥いて食べているシーンがあった。

 

エビが盛られていてるザルには、サザエっぽい貝殻も見えた。どちらも茹でたものだろうか。美味しそうだけど、調味されているかどうかは分からない。塩味くらいはつけているのか。

 

夜なのに、わざわざ縁側っぽいところに灯をともして食べているのも謎だ。晩ごはんというより、夜食なのだろうか。

 

伊豆に流された北条時政が、懐かしい北条館の縁側っぽいところ(名称がわからない)で、サトイモの皮を剥いて食べているシーンもあった。

 

こちらは昼間だったけど、時政はすっかり老いていたし、北条館もずいぶん古びてしまっていて、なんとも物悲しく感じた。

 

正妻のりくは、時政を置いて都に行ってしまったという。

 

けれども恐ろしく気の強そうな若い女性が住み込んで、時政を叱咤しつつ介護しているようで、明るい縁側でサトイモを食べる時政は、鎌倉の屋敷の暗い縁側でエビを食べていた義時よりも、ずっと幸せそうに見えた。