NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第31回「諦めの悪い男」を視聴した。
義時の変貌
比企能員の退場回(そして比企一族ほぼ皆殺し)になるのは察していたので、後味の悪いのを覚悟して見始めたのだけど……(´・ω・`)
最も心にキツかったのは、義時の闇堕ち、もしくは「頼朝化」だったかもしれない。
力を持ち過ぎた御家人や身内を邪魔者として排除していった冷酷な頼朝に、若い頃の義時は強く反発していた。
けれども、坂東武者たちが目先の権力争いに明け暮れて、このままでは平家を滅ぼして得たもの全てを失いかねないような現状を目の当たりにして、義時は、頼朝の正しさを思い知ることになる。
卑怯な手段で手を汚してでも頂点に立つと決めた義時には、誰からも好かれて気を許されていた頃の面影は、もう無くなっていた。
頼全殺害と源仲章
御家人の頂点を目指す比企能員は、北条氏を退けるために、建仁3年(1203年)6月、頼朝の弟である阿野全成を陥れて殺した。
その翌月には、全成と実衣の息子である頼全(らいぜん)が東山延年寺で殺される。殺害現場には、在京御家人である源仲章(みなもとのなかあきら)の姿があった。
Wikipediaによると、源仲章(生田斗真)という人物は、御家人でありながら後鳥羽上皇(尾上松也)にも側近として仕えていて、朝廷と鎌倉の二重スパイのような立ち位置だったらしい。
頼全殺害の命令がどこから出たのかについて、ドラマの中でははっきり語られなかったけれど(史実では頼家が命令したことになっているようだ)、義時は比企能員が北条氏に対して害意を明確にしたものと受け止め、比企氏を滅ぼす決意を固める。
頼全の首が落とされる様子を見て、悍ましげに顔を顰めていた源仲章は、のちに鎌倉にやってきて実朝に仕え、博学の人として重用されるものの、最期は義時と間違えられて、実朝と一緒に殺されることになるようだ。
実朝暗殺は、このドラマの終盤のクライマックスというべき場面になるのだろうけど、義時がどんな経緯で暗殺を免れるのか、想像もつかない。
詰めが甘いのに諦めは悪い比企能員
サブタイトルの「諦めの悪い男」は、比企能員の往生際の悪さのことなのだろうけど、「諦めが悪い」というよりは、「詰めが甘くて中途半端」という印象だった。
回が進むごとに邪悪なキャラになっていった比企能員は、建仁3年(1203年)9月2日、和議を申し込んできた時政の屋敷に招待されて、武装せず、兵も連れずに出かけていって、邪悪化の甲斐もなく、あっさり殺されてしまう。
「吾妻鏡」によると、北条時政による比企能員の殺害は、病床の頼家が能員に時政討伐を命じたあとに起きたことだという。
ドラマでは、頼家は、病に倒れてからずっと意識不明の重体で、時政討伐の命令など出せる状態ではなかったけれども、比企氏が戦の支度をしていることは北条側にバレバレで、お互いに戦意は十分、殺意も万全、武力衝突は時間の問題だと思われていた。
そんな状況でありながら、兵も連れずに時政の屋敷に出向いた比企能員がよく分からない。わざわざ殺されに行くようなものなのに。
ずっと頼朝の下で共に戦い、鎌倉の繁栄のために働いてきた仲間だという情が、僅かな油断を生んだのか。
それとも、乳母夫(めのとぶ)として頼家を養育してきたのだから、どんなに北条との関係が悪くても、政子が必ず仲立ちをしてくれると信じていたのか。政子だって北条の娘だし、その妹は自分たちが謀殺した阿野全成の妻なのに。
もしも頼朝が比企能員の立場だったなら、もっと早い時期に、対立要素を徹底的に潰していたのじゃないかと思う。それこそ阿野全成を殺した時に、妻の実衣を見逃さず、乳母子(めのとご)の実朝ともども殺し、畳み掛けるように北条氏を滅ぼしてしまったのではなかろうか。
そんなやり方をすれば御家人たちの反発はあるだろうけど、北条氏の所領を報償として分配するという話になれば、味方につくものも多かったのではないか。
強大な兵力を持っていた上総介広常が、事実とも思えない謀反の疑いをかけられて、双六の最中に討たれたときも、その所領は千葉氏や三浦氏に分配されたという(Wikipediaによる)。
ドラマの中では坂東武者にとって、所領は何よりも大切なものであり、命をかけて守るべきものだということが、いろいろな人物によって語られていたし、比企能員も、人一倍、所領にがめつい表情を見せていた。鎌倉殿の仕事も、各地の所領争いの仲裁が、大きな比重を占めていた。
上昇志向の強そうな三浦義村など、はっきりと北条の土地を餌にぶら下げられたら、案外あっさり北条を裏切っていたんじゃないかと思う。
比企氏が北条に討たれてしまった理由は、もしかしたら、土地にがめつすぎて、味方を増やしきれなかったせいだったりするのかもしれない。
時政の屋敷で切り付けられた能員は、何もかもが中途半端で、往生際も悪かった。
丸腰で訪問してきたように見せかけておいて、実は着物の下に鎧を装着していたけれども、敵地に一人っきりで乗り込んでいては助かりようもない。
時政たちが武装して待ち構えているのを見た能員は、「帰る」と言って屋敷を出ようとするものの、見逃してもらえるはずもない。
丸腰の自分を切ったら坂東武者として恥ではないかと説得しようと試みるものの、北条側は聞く耳を持たない。
次には三浦氏が北条に反旗を翻すと脅してみたものの、味方につけたと思い込んでいた三浦義村は、北条側に立って自分を嘲笑っている。
とうとう背中を切りつけられる。
着物の下に鎧を仕込んでいたため無傷だったから、痛がるふりをして庭に逃げ出したけれども、すぐに取り囲まれ、なぜか義時を狙って脇差で切り掛かったけれども、あっさり払われて取り押さえられる。
どうにも助からないと分かると、渾身の恨みを込めて北条をディスり始めるけれども、策を選ばぬ北条の悪業云々……そのままブーメランで自分に跳ね返ってくるような言葉を吐いてみても、相手の心に引っ掻き傷もつかない。
本当に、悲しいほど何もかもが中途半端な人だった。
比企氏の最期に流れるチェロの調べ
義時は能員殺害を政子に報告すると、すぐに比企氏の屋敷を襲撃。
一幡を連れて逃げようとしていたせつ(若狭局)の前に泰時が立ちはだかり、逃げ場を失ったせつは、覚悟を決めて懐の短刀で泰時に斬りかかるけれども、善児の養女コウによって一撃で刺殺される。
一幡については、政子に命を助けるように言われていたけれども、義時はあらかじめ泰時に一幡殺害を命じていた。
侍女に抱えられていた一幡の最期は描かれなかったけれども、善児が泰時に目配せしていたので、まもなく殺されたのだろう。
比企氏滅亡という凄惨な場面なのに、BGMは穏やかなチェロの曲が流れていた。ずいぶん前に聞いた、ヨーヨーマのCDに似た曲が入っていたような気がしたけど、クラシック音楽に疎いので、よく分からない。
気になったので、Twitterで検索をかけてみたら、調べたらしき人たちが、無伴奏チェロ組曲の第一だと書いていた。あとでApple musicで探して聞いてみよう。
こじつけ歴メシコーナー「冷汁うどん」
前回に続いて今回も食欲の失せる展開で、歴メシどころの話ではなかった。
義時もすっかり冷徹なキャラになってしまって、息子の泰時にも嫌われかけているし、後妻の比奈とももうすぐ離縁になるのだろうから、家族団欒の食事シーンなど、当分ありそうもない。
それでも食べ物の話がないのは寂しいので、今回滅亡した比企氏が領有していたという、埼玉県比企郡あたりの郷土料理を探してみたところ、「すったて」という料理が見つかった。
「すったて」は、別名「冷汁」とも呼ばれていて、ごまと味噌をすり鉢ですってから、きゅうり、青葉、みょうがなどの夏野菜を加えて、冷やした水で伸ばした汁で、冷えたうどんなどをつけて食べるものだという。
農林水産省のホームページでも、埼玉県の郷土料理として紹介されている。
YouTubeで作り方の動画を見つけた。
見た感じでは、わりと手軽に作れそうだ。
夏にぴったり!!きゅうりが主役!冷や汁うどん - YouTube
ただ、比企能員がいた時代に、このようなかたちの冷汁や、冷汁うどんが存在したとは思えない。
まず、きゅうりが一般的な野菜ではなかったようだ。
きゅうり自体は平安時代に遣唐使によってもちこまれたらしいけれども、もっぱら薬用とされていて、「きゅうり加持」(きゅうりで病気や再訳を封じる加持祈祷で、日本では空海が始めたという説がある)を行ったという。
江戸時代には、黄色く慣熟してから食されていたために「黄瓜」と呼ばれるようになったけれども、熟すと苦味が強くなって好まれず、水戸光圀など「毒多くして能なし。植えるべからず。食べるべからず」と、酷いことを書き残しているという。黄門様も、そんなにまずいなら、ディスる前に食べどきを変えればいいのに。(以上、Wikipediaの記事より)
冷汁のレシピによっては、砂糖を使うものもあるようだけれども、砂糖が調味料として広く使われてるようになるのは、鎌倉時代の終わりごろ、砂糖の輸入量が増えてからのことで、それまでは大変な貴重品だぅたようだ。
うどんは、奈良時代の遣唐使が伝えたという説や、平安時代に唐に渡った空海が讃岐に伝えて「讃岐うどん」が出来上がったという説など(よく分からないものは何でも空海由来にしておけば無難という発想か)、さまざまな由来があるようで、とりあえず平安時代には「うどん的な何か」は存在していたはずだけど、鎌倉時代の埼玉で、現代のうどんのようなものを冷汁につけて食べていたかどうかは全く分からない。
そもそも、日本では小麦粉を効率よく作るのに欠かせない石臼が普及するのが江戸時代以降だったため、うどんのように小麦粉を使った食品の普及も遅かったようだ。
なので、生前の比企能員が冷汁うどんを食べることは、たぶんなかっただろうと思う。食べていたら似合いそうなので、残念だ。