こんにちは。
息子の福祉サービスがおやすみなので、家族全員在宅の土曜日。
午前中、亭主と息子の買い物散歩にくっついて、私も歩きに出た。
行き先は、徒歩20分ほどのショッピングモール。
まず息子の帽子を探したけど、サイズの合うものがなかった。息子は頭がとても大きいので、60センチサイズでも、キツキツなのだ。
息子は幼児期に長頭症と診断されている。
頭頂部の頭蓋骨の継ぎ目の一部が癒着してしまっていて、頭が前後にしか大きくなれなかったのだ。
大人になったいまでは、特に前後にだけ長いようには見えなくなったけど、全体的に大きいために、普通サイズの帽子が入らない。
仕方がないので帽子はネットショッピングすることにして、亭主と息子は食材買い出しへ。私は体力が切れたのでベンチでお水を飲みながら休憩。無印良品で買った350mlサイズの水筒、毎日役に立っている。
お昼はショッピングモールの食品売り場で買った、惣菜パンっぽいハンバーガー。
私は白身魚のフライにタルタルソースをかけて挟んだものをいただいた。
フライにビスケだかビスクだかいうソースがかけてあるものもあったけど、なんだか分からないので亭主に聞いたら、「ザリガニのソースや」などとという。
さっき調べたら、フランス料理で甲殻類の濃厚かスープのことをビスクというらしいから、ザリガニと限ったものではないようだ。
ハンバーガーの話とは全く関係ないけど、Amazonで「ザリガニ」を検索すると、
なる商品がトップに出てくる。エヴァの世界に一体何があったのか。
昼食後、しばし女神転生Ⅴで遊んだ。
いまレベル19。
東京タワーの蛇の怪物をやっと退治して(4回死んだ)、天使勢力の基地があるらしい東京議事堂を目指していることろ。
↑今作では緑色のおしゃれな骸骨がお店屋さんを経営している。
回復アイテムなど色々売っているけど、万年金欠なので、買い物はほとんどせずに買い取りメインで利用している。
砂漠化した東京都内に点在する自販機の残骸から、腐ってるっぽい飲み物とか、古新聞とか、怪しい人形など、人類の文明に由来する物を回収して、ここで買い取ってもらうのだ。
そうやってコツコツ貯めたお金で、出会った悪魔を勧誘しで仲魔にしたり、その仲魔を合成して新しい仲魔を作ったりしながら、なるべくストーリーを進めないようにして遊んでいる。
女神転生というゲームのシリーズでは、秩序を愛する勢力と、混沌を至上とする勢力が争っている。
主人公(プレイヤー)は、当初はどちらでもないけれども、選ぶ行動によって、どちらの勢力に組みするかが決まってくる。
ずっと、どっちつかずの行動を取り続けていると、どっち寄りでもない存在として終わりを迎えることもあって、私はだいたいそうなっていたと思う。
だって、秩序寄りも混沌寄りも、一長一短なのだ。
今回のメガテンではどうしようかな、などと思いつつ、「寝ながら読める構造主義」を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
戦争や内乱や権力闘争について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。なぜなら、アフガンの戦争について「アメリカ人から見える景色」と「アフガン人から見える景色は全く別のものだからだ、ということは私たちにとって、いまや「常識」です。
しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。
このような考え方をする人はもちろん一九世紀にもいましたし、一七世紀のヨーロッパにもいました。遡れば、遠く古代ギリシャにもいました。
しかし、そういうふうに考える人は驚くほど少数でした。そのような考え方をする人、あるいはそのような考え方を受け入れられる人が国民の半数以上に達して、「常識」になだたのは、ほんのこの二十年のことです。
(中略)
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実はその自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
この本が出たのは2004年なので、一方的に物を見てはいけないというのが一般社会で「常識」になってから、そろそろ40年ほど経ったことになる。
私が成人したころには既にこの「常識」は存在していたのだろうし、大学では構造主義が空気と同じくらい当たり前の考えだったような研究室に所属していたから、バカ学生だった私であっても、この本で語られていることはすんなり頭に入る。
そして、女神転生シリーズで遊ぶたびに、どっちつかずの選択をするのである。
「寝ながら学べる構造主義」は、現在、Kindle Unlimited(読み放題)で利用できる。私は定価で買ったけど。