こんにちは。
昨日はなんだかんだで忙しくて、ブログがあまり書けなかった。
忙しかったということは、出来事がたくさんあったということなので、記事の材料はあるのだけど、ちゃんと書こうとするとめんどくさい話なので、なんか億劫だったのだ。
前置き
自分の頭を整理する意味で、最初に説明を書いておく。
- 障害者就業支援センター……障害者の就労や生活支援を行う。ハロワに付き添ってくれたり、就業先と話し合って職場環境のアドバイスをしたり、必要に応じてジョブコーチの派遣を手配してくれることもある。
- 個別支援計画……福祉サービスを利用する障害者や保護者の希望に沿って計画される。
- モニタリング……提供されている福祉サービスの状況を把握して評価し、個別支援計画を見直すために行われる。
福祉制度って、ほんとに煩雑で覚えにくい。
このほかにも障害年金とか療育手帳など、いろんなことがどっさりあるから、当事者が完全掌握するというのは、ほぼ無理ゲーに近い。
つまり、何がなんでも周りを頼ってやっていくしかないわけで、信頼できるケアマネさんや事業所に出会えるかどうかに、家族の命運がかかっているといっても大袈裟じゃないと思っている。
そしてうちはたぶん、かなり幸運に恵まれた方なのだと思う。
昨日の日記
10月1日(金)
午前中、就業支援センターのAさんから電話が来た。
長女さんに紹介する就労継続支援B型事業所が正式に決まったという。
一つは家から徒歩18分ほどで、普通の一軒家っぽい建物を利用した事業所。
もう一つは、徒歩15分ほどで、マンション一階の、かなり広そうなスペースの事業所。先日私が覗き見しにいったところだ。
↓覗き見日記
就労継続支援B型事業所をチラ見する散歩 - 湯飲みの横に防水機能のない日記
電話をくれたAさんは、昨年から長女さんの就労支援をしてくださっていて、今回の入院時にも何から何までお世話になっている。
でもAさんが所属するのは、一般就労や就労継続支援A型など、主に雇用契約のある就労を手助けするセンターなので、雇用契約を行わないB型作業所との仲介は担当外だという。
それで、役所の福祉課での手続きや、作業所見学の付き添いなど、具体的な支援については、B型に詳しい介護事業所に引き継ぐとのことだった。
長女さんの主治医の意向で、退院したらすみやかにB型事業所に通うことになっているので、見学や通所手続きの手配が後手に回らないように、早めに連絡してほしいとのことだった。
電話を終えたあと、書斎でリモート仕事をしていた亭主の区切りを待って、Aさんとの電話の内容を伝えた。
亭主は自分の仕事の予定を確認してから、長女さんの病棟の看護師さんに連絡して、退院スケジュールを相談して退院日時を決め、Aさんに連絡してくれた。
そのすぐあと、入院中の長女さんが電話をかけてきた。だいぶ気持ちが不安定なのか、泣いているような気配があるかと思うと、すごく楽しそうに笑ったりもする。いろんな状況の変化や感情の動きのせいで、頭がいっぱいになってしまって、とても苦しいのだという。
自分の感情も、脳にとっては情報だ。
しかもそれは手のつけられない奔流となって、日常の営みに必要な脳の処理能力を圧迫し、打ちのめしてしまう。
つらいことや苦しいことだけでなく、うれしいことや楽しいことも、あまりに量が多ければ、押し寄せてくる土石流と変わらない。
さまざまな知覚過敏とともに、脳のワーキングエリアの働きに困難を抱える長女さんにとって、身の回りの変化に強い感情が伴う状況は、津波に飲まれたのに等しいほどの、底知れない恐怖を呼び起こすものなのではないか。
電話で、ゆっくり話を聞いた。
退院が見えてきたことはうれしいけれども、馴染んで親しみを持てるようになってきた病棟から離れるのもつらい。いつ襲ってくるか分からない体調の不具合や、未知の作業所への通所の不安もある。
そんな感情だけでも持て余すのに、病棟では作業療法への参加や、服薬、食事、周囲の人々とのコミュニケーションなど、いろいろなことをこなして過ごさないといけない。
結果、メモリ不足のパソコンのように、思考や判断能力がフリーズして、なにも考えられず、分からなくなってしまう。
不安が強くて苦しいときは、少し何か食べるか、看護師さんに頼んで頓服を貰えばいいのだけれど、度を越して強い不安状態になると、自分をケアする方法を全く思い出せず、アクションを起こせなくなる。
長女さんがそういうタイプであることは、主治医はもちろん、病棟の看護師さんたちも突然把握しているのだけど、声をかけてもらっても、平常なときと同じような様子で「大丈夫です」とか言ってしまっている、というようなことも話していた。
そんな具合だから、入院してから1か月ほどは、テレフォンカードを使って公衆電話で自宅と連絡を取るということを、発想できなかったという。
手持ちのオヤツ類が亡くなってしまって、血糖値が低下してパニックになっても、看護師さんに売店利用を申し込むことが出来ず、ただ苦しんでいたらしい。
差し入れは2日前にしたばかりだけど、もう何もオヤツがなく、甘さのある飲み物なども切れてしまったというので、夕方に差し入れを持っていくと約束した。
本当はすぐにでも行きたかったけど、就労支援の件で電話が来そうだったから、夕がたに行くと伝えて電話を終えた。
長女さんと話しながら、ずいぶん前に読んだドナ・ウィリアムズの自叙伝を思い返していた。
「自閉症だった私へ」という邦題は、はっきり言って酷い誤訳だ。
ドナ・ウィリアムズ氏は亡くなるまで自閉症だったし、原題は「Nobody Nowhere」「Somebody Somewhere」のはずだ。ぜんぜんちがう。
それはそれとして、私が思い出したのは、大人になったドナが、遠いところに住んでいた大切な友人を訪ねたあと、飛行機に乗ってから、再会によって引き起こされた強い感情と新規の記憶を処理し切れず、茫然自失のような状態に陥るというエピソードだった。彼女にとってそういう状況は、十分に予想がつくほど慣れ親しんだものだったように書かれていたと思う。
ドナ・ウィリアムズの本は、いずれ読み返したいと思っている。たぶん手放してはいないのだけど、簡単には発掘できそうにない。
お昼は吉野家の牛丼にした。
暴風雨のなか、徒歩五分ほどの吉野家を往復したら、服がびしょ濡れになった。傘はすぐにおちょこになるので、ほとんど役にたたなかった。
並盛+サラダ。
亭主と二人で牛丼を食べ終わると、息子のモニタリングでお世話になっている介護事業所(息子の通所する介護施設とは別のところ)のBさんから、亭主の携帯宛に電話が来た。
ところが、
「すみません間違えました!」
と言って電話が切れ、すぐに家電のほうに掛け直されてきたので、家電の近くにいた私が電話を取ることになった。
Aさんと相談の上、今後の長女さんの就労支援をBさんが担当することになったそうだ。
長女さんは、すでにBさんとは面識がある。
そもそもAさんの事業所にジョブコーチ紹介の仲介をしてくれたのはBさんだったし、それと同時に、近隣の障害者カフェ的な場所に案内していただいたこともあった。カフェ的な場所は二軒紹介してもらったけど、どちらも長女さんに合わなかったため、通わなくなってしまった。
「どうしたの?」「大丈夫?」といった、気遣いの声がけ。
「趣味は何?」「休みの日は何してた?」などの何気ない問いかけへの応答や、雑談への参加。
あいまいなルール、人付き合いの不文律。
そういったものに包まれる「普通」のコミュニケーションの場は、長女さんにとってはストレスなのだという。身体を壊すほどではないけど私もどちらかというと苦手だから、気持ちはわかる。
Bさんは、Aさんから電話をもらって長女さんの退院日を把握して、すぐにB型事業所の見学予約を入れてくれた上で、うちの家電にかけてくれたようだ。
亭主の携帯に間違い電話をかけた理由は謎……でもなかった。
以前、Bさんに、できるだけ携帯ではなく家電にかけてほしいと頼んだことがあったのだ。
でもそれは、長女さんが携帯での電話が苦手だからいうのと、私の携帯にかけてもらっても気づかないことが多いからという理由だったんだけど、「ねこたま家=連絡は家電」というルールとして、Bさんの中で定着しているのかもしれない。
B型作業所の見学は、二軒とも退院日の翌日に入れてもらったとのことだったけれども、長女さんの体調次第で延期することができるとのことだった。
Bさんは、出来れば入院中の長女さんと連絡を取りたいと言って携帯番号を教えて下さったけれども、直近の長女さんの様子では、自分から電話をかけるのは、すぐには無理そうに思えたので、そう伝えた。Bさんも理解してくれて、急がないので無理しなくてかまわないと言ってくれた。
Bさんとの電話を終えてから、長女さんに手紙を書いた。
見学予定のB型作業所のホームページの記事や写真をコピペして、簡単な説明を付け加えて、退院や見学の日程、無理してかけなくてもいいBさんの携帯番号と、安心して退院日を待ってほしい、というようなことを、パソコンを立ち上げてマイクロソフトのワードで簡単に書いて印刷しようと思ったのに、そのタイミングでパソコンがWindowsの更新を始めてしまい、ブラウザもワードも動かなくなってしまった。
仕方がないので、上の作業を全部iPhone13で片付けた。
手紙を持って、車で病院近くのスーパーへ行き、差し入れ品の買い出しをした。長女さんは「カロリーメイト以外の、それ系の食品」を希望していたので、そういうのを色々買った。カロリーメイトは、食べるときにボロボロこぼれるから不都合らしい。
病院についたのは五時ちょっと前。
受付で病棟の看護師さんを呼び出してもらって、差し入れ品のチェックをしてもらいながら、今日の電話での様子を伝えた。
看護師さんによると、長女さんと同室の患者さんの状態がよくなくて部屋替えしたりということがあって、かなり周囲が落ち着かなかったのだという。電話ではそんな話はしていなかったけど、看護師さんたちの忙しそうな様子を見て、なおさら声をかけにくかったのかもしれない。
私が用意した手紙については、看護師さんの判断で、長女さんの状態がいいときに渡してもらうことになった。情報過多でパニックになっているのだから、さらに情報を追加するのはどう考えても悪手だろう。脳に余裕ができたときに読んでもらえれば十分だ。
差し入れを終えて帰宅し、晩ごはんを食べたところで、へなちょこな私の1日分の活動エネルギーはほぼ切れた。
で、ブログの更新ができないまま一夜あけて、いまに至る。
あ、夕食後に、もう一度長女さんから電話をもらった。差し入れは適切だったみたいで、喜んでくれていた。よかった。
夜9時過ぎ、塾(徒歩10秒)に行っていた末っ子のお迎えを兼ねて、コンビニ(徒歩1分)まで出掛けて飲み物など購入。
(_ _).。o○
今日は、いまのところ長女さんからの電話はない。
オヤツは足りているだろうか。
元気にしているといいけど。