今年、kindleの読み放題サービスを再利用し始めたころに出会った本を、今日また読んだ。
福本千夏「千夏ちゃんが行く」(飛鳥新社)
何度読んでも、どこを読んでも、全ての場面がとびきり鮮烈で、どこもかしこも、ものすごく良質な映画のクライマックスシーンのように心に刺さってくる。そして、刺さったままガッツリ根を生やし、有無を言わさず何かを茂らせる。こんな強引な本を、他に知らない。
著者の福本千夏氏は、私と同い年(1962年)生まれであるという。アテトーゼ型脳性まひであり、一人息子の母であり、全身全霊で愛していた夫をがんで失うまで、痛む身体で全力で介護したという方だけれども、そういうプロフィールを書いただけでは、この著者の文章の凄みを伝えることはむずかしい。
人は生かされている。何かの力で何かの理由で。そして行ききる。それが生であり死である。あなたは書くことで、それを知ることができる。人生の一歩をまた進めることができる。ここにいる我々と同じっていうみんなの顔。
福本千夏「千夏ちゃんが行く」より
情報誌の編集会議の場で、編集委員たちに本格的に執筆することを勧められたときに、著者は仲間たちの思いを、こう受け止めている。
どうやって生きていけばいいのか分からなくなるほどの苦しみと喪失を抱えながら、書くことで生きることを知ることができると言われる作者の書くものが、どこを切っても鮮血がほとばしるほど生き生きしているのは当然だろう。
こんな本を他に知らないと上の方に書いたけれど、少し似ている小説があるのを思い出した。
若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」。
人生に唯一無二の存在だった夫を亡くした妻が、腸で無数にゆらめく絨毛突起のようにうねり流れる自らの思考の一人語りとともに、夫亡き後の人生を、深く深く生きていく。この作品も、私にとってはどこもかしこも圧巻だったのを、思い出した。