人の気持ちは一つではないと、このごろつくづく思う。
若竹千佐子氏の「おらおらでひとりいぐも」の桃子さんのように、無数の「おら」が中にいるのは間違いない。
たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、なんだがおらは皮だ、皮にすぎねど思ってしまう。おらという皮で囲ったあの人がたはいったい誰なんだが。ついおめだば誰だ、と聞いてしまう。おらの心の内側にどやって住んでんだが。あ、そだ。小腸の柔毛突起のよでねべが。んだ、おらの心のうちは密生した無数の柔毛突起で覆われてんだ。ふだんはふわりふわりとあっちゃこっちゃにゆらいでいて、おらに何かいうときだけそこだけ肥大してもの言うイメージ。おらは困っているども、案外やんたぐね。それでもいい、おらの心がおらに乗っ取られでも。
(「おらおらでひとりいぐも」の最初のほう。Kindle版だからページがわかんない)
ここに書いてあること、桃子さんが言っていることは、「ミンスキー博士の脳の探検」が四百ページも使って説明しようとしていることの実体験版であると私は思っている。
しかしながら、〈自己単一〉という概念は実際的な効用があるが、自分自身を理解する助けにはならない。なぜなら、この概念は、自分自身が何であるかという理論を構築する際に用いることができるより小さな部分・部品(構成要素)を提供しないからだ。
(Marvin Minsky 「ミンスキー博士の脳の探検」共立出版)
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「おらおらでひとりいぐも」と「ミンスキー博士」は私の脳内では同じ棚に置いてある。
んで、自分の脳内にとても多数の自分がいることを、ちゃんと分かっていないあたりが、抑うつの原因だったかもしれないとも、思い始めている。
例えば私はパワハラする人やマウンティングしてくる人とか自己都合だけでこちらの事情や立場や都合に一切構わずに絡んでくる人やその他諸々の私が好きではないと感じるたいていの人が大嫌いだし世界から消えればいいと思うし何かひどいバチとか報復とか受けもらっても一向に構わないとかずいぶんなことを思っているけど、それと同時に(ほんとに同時並行的に)別の心の部位ではそういう人の苦しさとか存在の悲しさとか、かみ続ければアジが出る系のおもしろさとか意外なかわいさとか、細胞がいっぱい集まって構成された人体だなとか、輪切りにしたところは見たくないとか、何がどうであっても幸せになっていいんじゃないとか所詮は無縁だとか、実に散り散りバラバラなことを思っている。
まとまらない。
それは全部私だ。
嫌いなもの一つとりあげても、このありさまだ。
好きなものだと、より一層(いや多層的に)よくわからなくなる。
たいていのものは「なぜ好きなのか」を説明できない。説明しようとすると、どんどん理由が逃げていくし、いくらでも見つかる。嫌いかもしれないと思ったりもする。
その全部私と思える私のさまざまな部位が、ずいぶんと鬱血していた。
ろくに血が通っていなかった。
動かなくなっていた。
自分で自分にリミッターをかけていた(のか?)
ということに、ここのところお友達といろいろ話をしていて気づいた。
もうずっと、私はADHD的な部分の私をもう少しなんとかしたいと思っていて、そのほうが周囲も自分も便利だし幸福だし鬱的な状態から開放される一つの道筋だと思っているけど、そのどうしようもなく不具合で不都合な自分も、また自分の一部だということも良く分かっている。
この不便で不都合で傍迷惑な自分だから、いまの人生がある。
そう思う自分も確実にある。
だから、もしもそこを変える方向で何かするのであれば、それを楽しんだり喜んだりする自分が必要になる、と思っている。
面白くないことは、たいてい嫌いだ。
(心底面白くないことを面白くないというのとは別の感じ方で捉えることは、いくら私でも少し難しい)
そういう面白くなくて嫌いなことに自分を強制すると、どこかが死ぬ。
自分の心身のどこかが死ぬようなことを、ずっとやってきたのじゃないかと。
その結果を全身で表現しているのが、いまの心身の不健康なんじゃなかろうか。
自分を変えるといっても、多少都合良く運用できるようになるというだけで、おおもとがごっそり入れ替わるわけがない。それなら面白い風にやってみてもいいのではないか。
というわけで、認知行動療法を行いながらADHDの治療薬を試してみる方向に、だいぶ気持ちが動き始めている。
ADHD
今日のやることリストの経過。
・床の掃除……○○○
・衣類の整理……○
・勉強……○○
・三月のカレンダーに予定を書き込む……○
私の生活が混乱する(散らかる)原因は、「不注意」と「うっかり」と「詰めが甘い」ところにあるので、そこを意識しながら、いろいろなことをした。
掃除してて、エイメン博士の本を掘り出した。
↓この二冊。
「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み
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「わかっているのにできない」脳〈2〉エイメン博士が教えてくれるタイプ別ADD対処法
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買ったっきり、家のなかのどこいったか分からなくなってから十数年っていうのもすごい。
よくまあ見つかったもんだ。
ぼちぼち読もう。