今日の健康観察日記(すでに昨日)
体調は普通。
関節の痛みも普通。痛いけど特筆するほどでもなし。若干の体が冷える程度。
特に理由もなく気が落ち込むので、ゆっくり過ごしつつ読書。抗不安薬を飲もうと思うほどつらくはならず、その後気分はじわじわと上向きに。
それに乗じて出来ることを少しずつして、小さな達成感を獲得することで、さらに気分を上げていく。
こういう時って、脳の中でとんなことが起きているのか(ニューロンとか神経伝達物質的な意味で)、詳しく知りたいものだと思う。
ラノベの結末の先に広がるはずの何か
自分は月並みで取り柄がないと思っている主人公(ヒロイン)が、おそらくはそれが原因で理不尽かつ不愉快な異性関係ばかりを体験して、ますます自己評価を下げてしまった結果、さらにろくでもない異性に引っかかる、という負のスパイラルにハマっているときに、現実的な救いを与えてくれる異性がスーパーヒーローとして出現する……
という、恋愛ラノベによくある筋書きは、読んでいて胸がスッとする面はあるけれども、「その後はどうなんだろう」という思いが残る。
派手なすれ違いや絶望、第三者の執拗な妨害、どん底の精神状態での離別などを克服して、恋愛感情が最高潮に達したところで婚約・結婚に至り、この上ない幸福感に満たされたとしても、その幸福感は確実に一時的なものであり、永続的なものではない。
だって人生には何が起きるかわからないのだから。
若竹千佐子の「おらおらでひとりいぐも」(芥川賞受賞作)の主人公のように、深く愛した夫に早く死なれて自分の内側にある無数の雑多極まりない感情に気づいてしまって自分はそれらの入れ物である「皮」にすぎないと思うような境地を味わう可能性だってある。
周囲の女性たちと比べて自分は月並みで取り柄がないという、とてつもなく強固な固定観念を持つ主人公が、人が羨むほどの華やかな恋愛成就によって半ば強制的に価値を承認された後も、ネガティブな自己像を心のどこかにひっそりと抱えたまま歳月を経たとしたら、結構薄気味悪い虚(うろ)が身の内に出来上がるような気がする。それはきっと、恋愛成就の様式に従って完結することが要求される恋愛ラノベの定義から大きく外れることになるだろうけど、そこのとこ、ちょっと読みたいなと言う気がしなくもない。
だったら恋愛ラノベじゃなくて芥川受賞作みたいな……いま純文学っていうジャンルは生きてるのだろうか……のを読めって話だけど。
なにはともあれ、この本を読んだ。
まず冒頭で、ヒロインが社長の息子に捨てられ、同棲していたマンションを一方的に追い出される。
彼女は過去にもダメ男にばかり引っかかって、いいように利用されたり二股三股四股かけられたりして、すっかり恋愛に懲りたと公言することで異性と距離を置いていたのに、カスのような御曹司に告白されて、またしてもいいように遊ばれていたのだった。
かくして突然住む場所を失った困っていたヒロインに、いつも意地悪ばかり言ってくる同期の男性が、なぜかルームシェアを提案。緊急事態でもあり、ほかに頼れるところもなかったので、成り行きまかせにシェア開始。
同期の男性のほうは元からヒロインに思いを寄せていたのだけど、恋愛する気がないという彼女にアプローチしても断られると思い込み、気のないふりや意地悪を続けているうちに、カス御曹司に出し抜かれていたのだった。まあ、間抜けな話だ。
ヒロインのほうはカス御曹司に捨てられたことでますます恋愛する気を失っていたため、同期の男性は同居後も思いを告げるに告げられず、彼女を異性として意識しない風を装って暮らすことに。
居心地はよくても本心に蓋をしたまま続けていた不自然な暮らしは、男性が思いあまって自分の気持ちを告白したところで破局。ヒロインにしてみれば、恋愛感情がないことを条件にルームシェアを始めたのに、なし崩し的に恋愛関係にもつれ込むことに、すっきりしないものを感じるのは当然のことだ。さらに、これまで裏切られ続けてきた過去の異性関係から、相手に流されてつきあっても本命にはなれないということを、強烈に学習してしまっている。
結局、ヒロインは男性の思いをきっぱりと拒絶した上で、ルームシェアを解消。
傷心の男性はヒロインを避けるようになり、やがて別の女性を傍らに置くように。
それを見たヒロインは、自分の心の中にある得たいの知れない空虚感や苦痛に気づくことになる。
……ヒロインがそこで南インドのチェンナイに赴任したり、実はほ乳類に対して通常の愛着関係構築の能力を持たない半魚人の娘だと分かったりすれば、芥川賞のような「純文学」(この言葉の定義よくわかんないから便宜上使うってことでカッコに入れてみる)へと接近するのかもしれない。
そしてヒロインが奇妙なほど低い自己評価を抱えている原因なども、夜な夜な訪れるパラレルワールドで両親の手違いで孵化に失敗して生まれることのなかった多数の兄弟姉妹たちの遺伝的優越性に引け目を感じて高級魚の餌食になる雑魚の喜びにこだわっていたからだとかいう話になれば、もはやめくるめく重度幻想小説の世界だ(たぶん)。それが「純文学」になるのかどうかは知らんけど。
読書メモ
半端な脳フェチなので萩原浩の小説「海馬の尻尾」を読みたいなと思う→どんな話か知りたくて書名でぐぐるが間違えて「海馬の記憶」と入力したから海馬の機能説明のサイトばかり出てきてうがあああああ!となる→しばらくして「尻尾じゃん」と気づく→自分に疲れる
— dakkimaru (@dakkimaru1) March 20, 2018
#ADHDあるある
というわけで、萩原浩「海馬の尻尾」を読み始めている。