きのう、保育室に連れていく準備をしていたら、息子(5歳・重度自閉症)が、しくしく泣き出した。
叫ぶのでも、えんえん泣くのでもない。ただただ涙をこぼしながら、佇んでいる。
今日は保育室に行くのがつらいのだろうかと思ったけれど、手を引くと、素直に歩いて家を出た。本当に行きたくなければ、息子はひっくりかえって絶対に立ちあがらない。行きたくないわけじゃないけれど、何か理由があって悲しくてたまらない・・・・・そんな感じだった。
保育室への徒歩五分のあいだ、ずっと息子は涙を落としつづけていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。玄関につくと、やっぱり素直に、靴を脱いで上がっていく。
先生に「◯◯くん、こんにちはー」と言われても、ちっちゃくうなづいて、目をうるうるさせている。
コートを脱がすと、とことこ歩いて、お気に入りの場所らしい、滑り台のところに行った。滑り台にのぼって私の目をみつめながら、やっぱり、ぽろぽろ泣いている。
先生が、「様子をみながら過ごしましょうね。でも、きっと大丈夫ですよー」と言ってくれたけど、なんだか後ろ髪引かれる気持ちで、保育室を出た。
家にもどって、長女さん(6歳)に、「◯◯、なんか悲しそうに泣いてたのよ」と言うと、長女さんは、幼稚園で作った郵便屋さんのバッグを肩にかけて、
「じゃあ、◯◯がげんきになるように、お手紙かくね」
といって、色紙を出してきて、さらさらと何か書きつけた。
見せてもらうと、息子が保育室で、自分よりも小さい子供たちと遊んでいる絵の横に、
◯◯、どう? げんき?
はい ・ いいえ
と書いてあった。
夜、お迎えの時間がくるのを待ちきれず、少し早めに家を出た。
保育室につくと、オモチャで遊んでいた息子が、にっこり笑って出迎えてくれた。
「あれからすぐに泣き止んで、笑顔がでてましたよー」
と先生。ホッとした。
息子を連れて家に帰ると、おとーさんも帰っていた。息子が泣いた話をすると、
「着ていたセーターが、イヤだったんじゃないのか」
と言った。たしかに、昨日は、出かける前に、新しいセーターを着せていた。着るときに、ちくちくして、イヤだったのかもしれない。
それにしても、今までの息子だったら、気に入らない服を着せようとすると、暴れて逃げていたのに、昨日は涙をうかべながら、黙って着せられていた。我慢していたのだろうか。我慢できる息子のことを偉いなあと思うと同時に、「イヤ」なことの理由を言葉で話せないことが、一層不憫になった。
(2003年1月31日)
※過去日記を転載しています