日々いろいろあるのだが、息子(3歳・重度自閉症)はあいかわらず。
膀胱炎にかかっていた長女さん(5歳)の体調もすっかりよくなった。
長女さんの出血性膀胱炎は、幼稚園に一日登園したのが原因かなあと思っている。
あの日私はつきそいでついていたのだが、お手洗いの時間だけは先生におまかせした。ところがほかの子供たちがほとんどトイレから出てきたのに、長女さんの姿だけ見えない。先生も付き添っている気配がない。気になって様子をみにいくと、個室のなかで、和式トイレにべったりおしりを落としたまま身動きとれなくなっている長女さんを見つけた。ころんでしまったらしい。
あわてて助け出し、拭いたり洗ったりしたのだけれど、そのあと長女さんのお誕生日会だったので、そのまま園にとどまって行事に参加してしまった。
その翌日の夜あたりから、長女さんは入浴後に軽い痛みを訴えはじめたのだった。へんな雑菌をもらったとすれば、あのときしか考えられない。いままでニ年半以上、大量のステロイドを飲みつづけてきて、こんなことになったことはないのだから。
あのとき行事をお断りして、すぐ自宅に帰って消毒していれば、あんなにひどくならなかったのかもしれない。長女さんは難病を持ち、強力な薬の投与でそれを押さえて暮らしているのだ。だから異常なほど雑菌に弱いのだということについて、もっと強く幼稚園がわに理解を求めるべきだったし、私自身、覚悟が足りなかったと、改めて思う。
こうして書いているあいだも、息子が足元にきて、じーっと私の顔をみている。目があうと、にっこり笑う。もう赤ん坊のような笑顔ではない。少年らしい、強い意志のこもった笑顔である。
こんな笑顔を見ていると、息子が自閉症だなんて、とても思えなくなってしまう。もしかしたら、ほんとに違うんじゃないかという気もする。自閉症の子にしては、このごろの息子は、アイコンタクトがうますぎるのだ。私の目をみて、いたずらっぽく、にかっと笑ってみたかと思うと、信頼と愛情を顔いっぱいにたたえて輝くようにほほえんだりする。
そんな笑顔を見ていると、将来息子を施設に送ることなんて、とても考えられなくなる。この笑顔の価値のわからない人達のところに、息子を閉じ込めることなんて、考えただけでも吐き気がしてくる。千葉の虐待施設の本を読んだおかげで、吐き気は一層強くなった。
もちろんすべての施設が自閉症者を殺害するわけではないだろう。あの事件は被害者が若い女性で、事件前の数ヶ月間、彼女には生理が来ていなかったらしいという。もしかしたら彼女は障害者としてではなく、立場の弱い女性として事件に巻き込まれていったのかもしれない。
けれどもあの施設のなかで生み出された、職員達の無気力で残虐な精神というものは、どこの施設でも起こりうるものだろう。「ともに、幸せに生きよう」という意志のないところに、命を持つものへの慈しみや敬愛の気持ちなど生まれるはずもない。
知的障害者の施設だけではない。老人のための施設でも、ふつうの病院でさえも、その危険な芽はいくらでもあるはずである。息子を、どうしてそんなところにやれるだろう。
長女さんも息子も、子供たちはみんな、自分で人生を守れるように育てていかなければならない。
(2001年7月8日)
※過去日記を転載しています。