このごろの朝日新聞の「声」欄は、連日のように障害児関連の投書を掲載している。今日はこんな投書があった。
知的障害者に
地域は閉鎖的主婦 島田ひろみ(埼玉県 45歳=仮名)
世の中は、障害者も地域で暮らすほうがよいという方向に進んでいるようです。しかし、知的障害の息子と共に地域で暮らしてきて、考えてしまいました。
夏休みの公園のプールではいつも、目を離せない息子の手を握ったまま、ぬれた水着の上から服を着て帰路につきました。それでもプールに行けたころは良かった。今は大柄で、すね毛も生え、喜んで奇声をあげてプールでジャンプを繰り返せば、息子の周りだけ人がいなくなります。公園も買い物もコンサートも、たくさん人が集まる所には行けなくなりました。
小さなころはしつけが悪いで済まされたことも、大人になれば、世の中の許容範囲をゆうに超えます。そんな不安から、少しづつ息子の世界を狭めました。
私たちは今、息子の施設入所を望んでいます。施設は閉鎖的だといわれますが、私たちの知る施設は、障害のある彼らが地域や社会とコミュニケートできる方法を模索し、支えようと頑張っていると感じます。施設も地域や社会の一部だと実感できました。
地域での生活と施設、どちらが自分らしく社会と触れ合って暮らせる場なのでしょう。もしかしたら、健常者と暮らす社会のほうが息子にとっては、より閉鎖的かもしれません。
この投書者の抱えた事情は、我が家の十年後の事情となる可能性がある。積極的に有効な療育をしなければ、かなりの高率で実現される未来だろう。だからとても他人事としては読めないのであるが、すんなり受けとめることができないのは、「施設」についての受け止め方の部分である。
社会と触れ合う努力をしている施設もきっとあるのだろう。けれどもそうした開かれた施設は、もしかしたらとても少ないのではないか。そして社会のほうは、いったいどれほど施設の内部に、そこで暮らしている人々に、目を向けているだろう。
息子が障害児だと分かるまで、私は一度も障害児の施設のなかに入ったことがなかった。外から見かけたことすらなかった。通っていた大学のそばの道を、養護学校のバスが毎日走っていたから、自分の行動範囲の近くにそういう施設があるのだろうなあということは気づいていたが、正確な場所についてはとうとう知らないまま終った。
息子が自閉症らしいと気づいた翌日には保健所に連絡をし、その数日後、保健所の人の勧めで、家族で連れ立って未就学児の障害児施設を見学しにいった。これは相当に早い展開だったと思う。
けれども、自分の子供が障害児かもしれないと思えばこその行動力であって、そうでなければ、おそらく生涯、そういった施設の内側に自ら足を運ぶことはなかっただろうと思われる。そもそもそんな施設が自分の町にあることすら私は知らなかったし、私だけでなく、障害児を持たない家庭の大半がそうなのである。
施設への道は求める者にしか開かれない。少なくとも私の知る範囲の世の中では、それが現実である。開かれた施設に出会えた投書者の家庭は、とても幸運だったかもしれないが、他の障害者が同じことを望んでも、果たしてかなえられるのかどうか。
さらに気になることがある。
ここ数年の間に、知的障害者の施設で起きたいくつかの虐待や死亡事件のことを、世の中はもうすっかり忘れてしまっているのだろうか。
いま私の手元には、瑞木志穂著「みいちゃんの挽歌 知的障害寫施設の中で何があったのか」(恒友出版)という本がある。1992年に、瑞木さんという名の、自閉症の若い女性が、千葉県にある知的障害者の施設内のボイラー室のススとり口で、大量の私物と共に黒焦げの死体となって見つかるという凄惨かつ不可解な事件があり、この本は瑞木さんの母親が真相を求めるために書いたものだ。施設も警察も、瑞木さんの死因を明らかにすることができなかったからである。母親のペンネームは、亡くなった娘さんの名からつけたものだという。
正直なところ、精読するにはあまりにもつらい内容の本である。けれどもとにかく読んでみた。息子に深く関わるかもしれない世界で、どんなことが起きているのか、知っておかなくてはならないと思ったからである。
まだざっと読んだところだが、「真相」は、どう考えても一つしかないような気がした。
この施設では日常的に虐待が行なわれていたという。
「しつけ」の名を借りた人格侮辱。身支度に手間取ると容赦なく平手打ちされ、一度残飯入れに捨てられた食物を無理やり食べさせるなどということもあったらしい。単に歩いているだけで足をかけられ転ばされ、しょっちゅう笑い者にされていた園生もいたという。自閉症の園生をわざとおどかして興奮させ、精神安定剤漬けにするというようなことも、日常的に行なわれていたという。こうしたことについては元の職員の証言もあり、それが実に生々しく語られている。
なによりも印象的なのは、瑞木さんが行方不明になったあとや、遺体で発見されたあとの、園の職員たちの言動が、あまりにも奇妙で異常なことである。証言は二転三転し、被害者の親の前でいきなり感情的に激昂したかと思うと、小声で消え入るばかりに話したりする。虐待のこともさることながら、この人々は、とうていマトモな人間たちではない。でなければ異常なほど、何かを恐れているとしか思えない。
警察の捜査は全くずさんに行なわれ(証拠品は警察署内でカビが生やされていたという)、殺人事件として詳細に調べられることもなく、民事訴訟は原告側の敗訴で終ってしまった。施設はついに社会に向かって開かれることもなく、その後もそのまま運営されつづけているらしい。
(2001年7月6日)
※過去日記を転載しています。