湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

福音書との出会い


無宗教の亭主に言われてマタイによる福音書を読むべく、本棚の聖書および関連書を探したのだが、どうしても見つからない。春の引越し以来、本の何がどこにあるのか、すっかり分からなくなってしまっている。

 

↓亭主に福音書読めと言われたしょーもない経緯について書いた日記

dakkimaru.hatenablog.com

 

ちょうど引越し前日に持病がいきなり悪化し、バタッと倒れてしまったため、本の片付けはすべて手伝いの人々に任せるしかなかったのだ。ひっくり返ったまま、自分でするから、できれば本には触らないでおいてほしい、と懇願したのだが、重病人のタワゴトと思われ、無視された。

 

おかげで、「スラムダンク」と「るろうに剣心」がぐちゃぐちゃにシャッフルされて並んだ合間にボルヘスの本がはさまっていたり、「湘南純愛組」のとなりに山田風太郎の「コレデオシマイ」があったりする。まあ、それはそれで面白いのだが。


息子を療育教室にあずけたあと、街をぶらついて本屋に寄った。
聖書を買う気はなかったのだが、岩波文庫の棚に「福音書」(塚本虎二訳)というのを見つけたので、マタイのところを立ち読みし、ついついやめられなくなり、そのまま買ってしまった。


前に聖書を開いて眺めたのがいつのことだったか忘れてしまったが、そのころ受けた漠然とした印象と、いま読んで感じることは、ずいぶん違っているのだろうというは分かる。


エスは「悪鬼に憑かれた唖」と言われるような人々をやすやすと普通の人にしてしまう。私の目には、ひどいパニックに陥った自閉症の人が、瞬時に安定を取り戻す様子が目に浮かんでくる。


ほかにも、現代医学でも完治の難しそうな、無数の難病人や重度心身障害者たちが、つぎからつぎへと健常者に変えられていく様子が、福音書の中では述べられている。そのドラマに、息子の施設や通院先でいつも見かける、寝たきりや車椅子の子供たちや、娘の入院先で出会う難病の子供たちの苦しむ姿が重なってくる。亡くなってしまった子たちの寝顔も。


なんだか、いろんなことを考え込んでしまった。


バッハのマタイ受難曲を聞きながら、歌詞をちょこちょことマネしてうれしそうに口ずさむ息子は、そんな「縁起のよい」福音書の内容など知るよしもない。障害児施設で耳にタコができるほど聞かされている童謡すら歌わない息子が、重苦しい信仰の曲に生き生きと反応してみせる理由は、いくら頭で考えてもわかりそうにない。


私は信仰を持とうなどという気持ちはさらさらないのであるが、二千年の時など平気で越えて伝わってくる人の願いの生々しい手触りのようなものには、やはり何か圧倒される思いがする。


前にもどこかに書いたが、受難曲を作ったバッハも、多くの我が子に死なれ、また知的障害児の父親だった人である。どんな思いで聖書を読み、これを作曲したのだろう。

世の中、わからないことはほんとうにいくらでもある。

 

 

 

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

  • 発売日: 1963/09/16
  • メディア: 文庫
 

 

(2001年9月8日)

 

※過去日記を転載しています。