湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一文(一月二十一日)…岡本綺堂

岡本綺堂

 

兎にかく江戸時代には池袋の奉公人を嫌うとは不思議で 、何か一家に怪しい事があれば 、先ず狐狸の所為といい 、次には池袋と云うのが紋切形の文句であった 。

 

「池袋の怪」

 

麻布にあった某藩邸の怪異について語っている掌編。

 

やたらと蛙が座敷に上がる、轟音とともに屋敷が揺れる、座敷に石がバラバラと降ってくるなど、現代だったら、クソ物件オブザイヤーにノミネートされそうな藩邸だったけれども、池袋出身の下女をクビにしたらおさまったという。

 

池袋はもともと湿地帯で池が多く、地名の由来は、袋のような形の池があったからなんだとか。

 

いまは大都会だけれども、江戸時代には怪異と結びつけたくなるような景色の広がる土地だったのだろうか。

 

 

 

 

今日の一文(一月二十日)

 

横光利一

 

一文に収まらないけど、一文だけだと分かりにくいから、いいことにする。

 

子供たちも子供たちだ。

 

日本人もイギリス人もフランス人も、三つの言葉が互に通じないにも関わらず、それぞれ勝手に何事か饒舌って、朝から一緒に遊んでいる。

 

見ていると、まごまごすることなんか、一度もない。うまい具合に喧嘩もせずして遊ぶものだ。

 

子供の世界にあんな自然な機構が存在しているものなら、いつの日か戦争のないときが来るのかもしれぬ。

 

 

「欧洲紀行」

 

 

横光利一のヨーロッパ行きは1936年のことだったという。

 

同じ船には高浜虚子父娘も乗っていて、船上で句会も頻繁に行われていたようだ。

 

第二次世界大戦後、横光利一は愛国的な言動や戦争協力を批判されて、「文壇の戦犯」として多くの作家と一緒に名を晒されることになる。

 

でも横光利一は、基本的に自由主義者であって、ヨーロッパで書いた記事で、右翼も左翼も紙一重であり、大部分は利益によって動いていると言っていたという(Wikipediaによる)。

 

上に引用した文を読んでも、「戦犯」に至るようなイデオロギーの毒が感じられない。

 

横光利一終戦後の1947年に、49歳で病死している。いまの時代なら死ぬことなどないような、胃潰瘍の悪化が死因だったという。

 

あと三十年長く生きて、自作が教科書に載る時代を見たなら、どう思っただろう。

 

 

(_ _).。o○

 

横光利一というと、中学か高校の国語の教科書で「蠅」という短編を読んだのが強烈な印象を残しているばかりで、この年になるまで「蠅」以外の作品をあまり知らなかった。

 

作品が青空文庫でいくつも公開されているのに気づいたので、片っ端から読んでみている。そのなかでも、この「欧洲紀行」はとりわけ面白い。

 

発表当時はあまり人気がなかったそうだけど、目新しい異国情緒を期待していた当時の読者には、価値が分かりにくかったのかもしれない。

 

 

 

 

今日の一文(一月十九日)翻訳文


坪内逍遥訳「ロミオとヂュリエット」。

 

ヂュリ 

 

おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(ててご)をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人ぢゃと誓言して下され。すれば予ゃ最早カピューレットではない。

 

ウィリアム・シェークスピア「ロミオとヂュリエット」(坪内逍遥訳)

 

 

ジュリエットが、ロリ婆になっている。

 

佐野 昭子「日本における『ロミオとジュリエット』」という論文によると、坪内逍遥訳の「ロミオとヂュリエット」は、1914年に文芸座、1918年に文芸協会、1950年に前進座によって上演されているという。

 

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/asano37.pdf

 

どんな舞台だったのだろう。

衣装は洋服だったのだろうか。

台詞の感じだと、和服としか思えないけど。

 

 

 

公演の写真など残っていないかとネット検索してみたけれども、残念ながら見つからなかった。

 

ジュリエットがロリ婆なら、オフィーリアはどうだろうかと思って、坪内逍遥訳「ハムレツト」の「尼寺へ行け!」直後の台詞を探してみた。

 

(旧字旧仮名に心折れたので、新字新仮名に書き換えた)

 

もうダメじゃ、もうダメじゃ! 

 

生中天の楽のような御誓言の蜜を吸うたゆえ、世の中の女子中で最もあじきない身となったわ!

 

盛りの花のお姿も狂乱の嵐に萎れ、高尚(けだか)いお心も、調子を外いて荒々しう振合はいた鈴の様に、ゆかしかった音色の名残もない。

 

おお、何たる因果じや、以前(むかし)を見た目で今を見るとは!

 

坪内逍遥訳「ハムレレット」国立図書館コレクション)

 

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上のヂュリエットよりは、大人っぽくなった気がする。

 

 

坪内逍遥訳の「ハムレット」の公演(1911年)を観た夏目漱石が、

 

「其印象の中には坪内博士にも登場の諸君にも面と向つては云ひ悪い所が大分あるので、少なくとも公演中はと差し控えてゐた。」

 

と前置きした上で、ものすごい酷評をしている。

 

坪内博士の訳は忠実の模範とも評すべき鄭重なものと見受けた。あれだけの骨折は実際翻訳で苦しんだ経験のあるものでなければ、殆ど想像するさへ困難である。余は此点に於て深く博士の労力に推服する。

 

けれども、博士が沙翁に対して余りに忠実ならんと試みられたがため、遂に我等観客に対して不忠実になられたのを深く遺憾に思ふのである。

 

我等の心理上又習慣上要求する言語は一つの採用の栄を得ずして、片言隻句の末に至るまで、悉く沙翁の云ふが儘に無理な日本語を製造された結果として、此矛盾に陥たのは如何にも気の毒に堪へない。

 

沙翁劇は其劇の根本性質として、日本語の翻訳を許さぬものである。其翻訳を敢てするのは、これを敢てすると同時に、我等日本人を見棄たも同様である。

 

翻訳は差支ないが、其翻訳を演じて、我等日本人に芸術上の満足を与へやうとするならば、葡萄酒を政宗と交換したから甘党でも飲めない事はなからうと主張すると等しき不条理を犯すことになる。

 

博士はただ忠実なる沙翁の翻訳者として任ずる代りに、公演を断念るか、又は公演を遂行するために、不忠実なる沙翁の翻訳者となるか、二つのうち一つを選ぶべきであった。

 

夏目漱石「坪内博士とハムレツト」

 

シェークスピアを正確に日本語に訳そうとすると、原作も日本語もぶっ壊れてしまうから、上演に耐えるシナリオにはならない、ということか。

 

漱石にとっては、気の毒で見ていられない舞台だったようだけど、そんなに酷いだろうかと思う。

 

令和の観客にも通じるなんちゃって擬古文に変換すれば、意外にウケそうな気もする。

 

シェークスピアとは別物になるのは間違いないだろうけど。

 

 

 


今日の一文(一月十八日) - 湯飲みの横に防水機能のない日記

今日の一文(一月十八日)

芥川龍之介

 

わたしはこの春酒に酔い、この金鏤の歌を誦し、この好日を喜んでいれば不足のない侏儒でございます。

 

侏儒の言葉

 

 

英雄や大富豪にはなりたくない、美女も望まない、飛び抜けて聡明な頭脳もいらない。つつましく、ただ伸びやかに幸福でありたい……

 

そんな侏儒の願いこそが、何よりも困難な贅沢であるのは、芥川龍の時代もいまの時代も変わらない。

 

ラノベのタイトルやキーワードに「スローライフ」が入る作品は多いけど、それらの主人公の人生は例外なく過酷なのは、書き手も読み手も、それが到底手の届かない夢だと、よく知っているからだと思う。

 

世知辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の一文(一月十六日)…明治時代も厨二病はイタかった

二葉亭四迷

 

私は当時のことを思い出す度に、人通りの多い十字街(よつつじ)に土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰い度(たい)ような心持になる……

 

「平凡」

 

 

女遊びをする金のない「私」は、文学にかぶれて想像の中で変態じみた色情に耽ることを高尚だとイキっていた若い頃の自分を思い出して、煩悶している。

 

 

二葉亭四迷は、元治元年(1864年)生まれ。

 

小説「平凡」は、明治40年朝日新聞に連載され、大好評だったという。

 

明治だろうと令和だろうと、黒歴史を抱えるイタさに変わりはなく、同病愛憐れむ心情もまた不変だということだろう。