末っ子(大学二年)が、後期から、源氏物語の宇治十帖の講義を取るのだと言っていたので、便乗して、私も少し読んでみることにした。
不勉強で、宇治十帖の主要人物の血縁関係を把握してしていなかったので、まずそこから。
大君、中君、浮舟(異母妹)の三姉妹の父親、八の君は、光源氏の弟。
八の宮は、弘徽殿の女御(朱雀院の実母)によって東宮(のちの冷泉帝で、光源氏が後見人)の対抗馬として担ぎ出されたものの、光源氏側に負けて失脚し、勝ち組に黙殺された状態で官職にもつけず、宇治で貧乏暮らしをしていた。
薫は光源氏と女三の宮の息子だけど、本当の父親は、柏木。
匂宮は、朱雀院の孫。女三の宮の甥に当たる。
整理すると…
朱雀院、光源氏、八の宮、冷泉帝は、名目上の異母兄弟。
大君、中君、浮舟、薫は、名目上は、いとこの関係になる。
大河ドラマ「光る君へ」との大きな違いは、主要人物が皇族と源氏ばかりで、あの「藤原さん」たちの気配が見えないこと。
もしかしたら、柏木の一家は藤原さんなのかもしれないけど、どうなんだろう。
(_ _).。o○
橋姫の冒頭は、八の宮の宇治でのスローライフについて、哀れな印象で語られている。
政争に負けて、光源氏サイドから完全にシカトされて、干されていた八の宮は、都の屋敷まで火事で失い、妻子とともに宇治の山荘で侘しく暮らしていた。
けれども、仲睦まじかった妻に先立たれ、資産運用をする才覚もなかったようで、財産もじりじり減っていったために、元々あまり質がよくなかった使用人たちにも見限られ、ほとんど男手一つで二人の娘を育てている。
八の宮は桐壺帝の息子ではあるけれど、両親を早く亡くし、しっかりとした後見人もいなかったので、深い学問は身につけていなかったようだ。
その代わりというわけではないだろうけど、音楽や和歌などの才能には恵まれていて、娘たちにも琴など教えていたようだ。
貧乏でも身分は輝かしい八の宮なので、しっかりとした後妻でももらって財政援助してもらえばいいと勧める人たちもいたけれど、本人は頑なに再婚を拒み、娘たちさえ居なければ出家してしまうのにと呟きながら、お経を唱える合間に娘の遊び相手をしたりして暮らしている。
その娘たちは、侘しい田舎暮らしであるのに、魅力的な女性に成長しつつあった。
父の八の宮は光源氏の弟であるだけに、とても美しい男性で、落ちぶれてやつれていても輝くようや気品があって、物腰も優美だった。
その優雅さは、八の宮が大切に育てている娘たちにも受け継がれていく。
そんな八の宮父娘のところに、世の人々に尊いと思われている阿闍梨が通ってくるようになった。
阿闍梨は、独学で仏教に親しんでいた八の宮に、仏の深い教えを伝え、八の宮も阿闍梨に心を開いて、仏教に帰依したいという思いや、娘たちが気がかりで現世を捨てられない悩みなどを、包み隠さずに話すようになった。
この阿闍梨は、冷泉院の元へも親しく通っていて、宇治で清廉に暮らす八の宮の様子や、二人の姫の優美な有様を語って聞かせたため、冷泉院だけでなく、たまたま居合わせた薫までが、宇治の父娘に強く心を惹かれるようになってしまう。
もともと世を厭う気持ちの強い薫は、俗世にありながら聖(ひじり)のように暮らしているという、八の宮の生き方に惹きつけられたのだけれど、冷泉院のほうは、父より娘たちに興味を抱いたようで…
朱雀院の、故六条院に預けきこえたまひし、入道宮の御例を思ほし出でて、「かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。
【下衆な意訳】
冷泉院は心の中でこっそり思った。
「その姉妹、手に入んないかな。
亡くなった六条院の兄上(光源氏)も、四十過ぎてから、三十近く年下の幼妻(女三の宮)と歳の差婚してたけど、あれ、ちょっと羨ましかったんだよねえ。
山奥で人の手垢のつかないまま、奇跡みたいに優美に育った幼女なんて、退屈しのぎにいじって遊んだら最高じゃん?」
冷泉院、ロクでもないところが実の父親に似たらしい。なんだかな。(´・ω・`)
亭主に「源氏物語の冷泉帝って、どんなキャラだったの?」と聞いてみたら、
「中身のない空っぽ人間」
とのことだった。
さて、続きを読もう…