歴史の復習をしながら、少しづつ読んでいる本。
木村朗子「女たちの平安宮廷 『栄花物語』によむ権力と性」講談社
(前半は単なるぼやき。読書メモは後半から)
高校時代、古文は好きで成績もそこそこ良かったのに、日本史は死ぬほど苦手で、定期テストではよく死にかけていた。
どの時代も苦手だったけど、平安時代は特にダメだった。
あの時代、藤原さんが多すぎる。
そして、天皇の系譜もややこしすぎる。😱
その多くてややこしい人々が、入内や降嫁で絡みあうから、ますます訳がわからなくなる。
藤原さんちの娘を何人も嫁にする天皇とか、天皇の娘や孫を何人も嫁にしたり、生まれた娘を何人も入内させたりする藤原さんとか、ほんと、覚えきれないから勘弁してほしい……と、若い頃は匙を投げていた。
別に全てを網羅する必要はないし、(試験に出そうな)要点や、有名どころだけ押さえておけばいいというのは分かるのだけど、私の脳は、他との重層的な繋がりや関連性を持たない事柄を、長く記憶にとどめて置くことができない。
たとえば、藤原時平が菅原道真を陥れて太宰府に左遷した(901年、昌泰の変)、という歴史事項を長く記憶に留めるには、道真や時平という人物の、人生や人間性を物語的に把握できるだけのプロフィールと、左遷に至る詳細な事情が必要になってくる。
つまり、時平という個人のキャラがしっかり立つような、ご本人の性格や人生の主要な出来事、家や家族の詳しい事情、その時代の著名人との関係全体をひっくるめて、誰が何をして、どうしてそういう事態に至ったのかという、ほぼ大河ドラマに匹敵するような情報が、どうしても必要なのだ。
それがないと、いくら覚えようとしても、数日後には、
「道真を太宰府に左遷したのって、藤原の…ナニ平だっけ?」
となってしまう。
歴史の教科書が、すべて人間ドラマの様式で書かれていたなら、きっと私は歴史が大好きになっただろうと思う。映画や大河ドラマで見た時代だけは、とてもよく記憶できたのだから。
でも残念ながら歴史の教科書や副読本はドラマ仕立てではないし、ドラマや映画や小説が、日本史の教科書に登場する全時代、全人物を網羅することもない。
それに、ドラマや小説、漫画にされる時代や人物は限られている。平安時代なら、平将門はたくさん小説に書かれているし、大河ドラマ「風と雲と虹と」の主役にもなったけど、同時代の朱雀天皇は、ドラマには登場しなかったようだ(キャストに名前がなかった)。
となれば、覚えたい歴史事項に、自力でドラマ付けしていくしかない。
藤原さんちの娘がやたらと入内していて、誰が誰の娘でどの天皇の母だか区別しにくいといっても、当事者目線で考えるなら、一つ一つの入内は、関係者全員にとって空前絶後の一大事だっただろうし、それぞれに強烈なドラマがあったはずだ。
それこそ「源氏物語」という長大な作品が書かれて盛大に推され続けてしまうほどに、あの時代には、濃密な個人のリアルなドラマが大量に埋め込まれていたのは間違いない。
今年はたまたま大河ドラマ「光る君へ」の放映もあって、多すぎる藤原さんたちを個別に認識する手がかりになってくれている。顔と名前を記憶するのが極端に苦手な私でも、ドラマの中でキャラが強烈に立っている藤原さんや天皇であれば、なんとか覚えられる。
(ロバート秋山の藤原実資と、伊藤駿太&本郷奏多の師貞親王、後の花山天皇は、一発で覚えたし、たぶん二度と忘れない…)
(_ _).。o○
「光る君へ」に登場している赤染衛門が魅力的なので、彼女が書いたと言われる「栄花物語」を、ぜひ読んでみたいと思ったのだけど、手軽に読めるような現代語訳の本は出ていない。
亭主の書斎には、岩波古典大系の「栄花物語」が絶対あると思うけど、亭主の商売道具を布団で寝転がって読むのは気が引ける(座って読む体力が今はない)。
なので、歴史音痴でも「栄花物語」の内容が把握できそうな本がないかと探していて、「女たちの平安宮廷 『栄花物語』によむ権力と性」のKindle版を見つけたのだった。
(_ _).。o○
以下は読書メモ。
けれども、宇多天皇については、具体的には何も語られず、あっさりと息子の醍醐天皇の話に移ってしまう。
その帝(宇多天皇)の御子たちあまたおはしましけるなかに、一の御子敦仁親王と申しけるぞ、位につかせたまひけるこそは、醍醐の聖帝と申して、世の中に天の下めでたき例にひきたてまつるなれ。
「栄花物語」巻第一 月の宴
「女たちの平安宮廷」より引用
宇多天皇は、まず即位の経緯がドラマチックだし(臣籍降下して源姓になっていたのに、皇族に復帰した)、関白の藤原基経との間が盛大にゴタゴタしたり(阿衡事件)、譲位後に菅原道真の左遷事件に巻き込まれたり(昌泰の変)と、話題に事欠かない方であるのに、赤染衛門にとっては、特筆すべき帝ではなかったようだ。
父親である宇多天皇を差し置いて、物語の起点として掲げられ、「聖帝」と誉めそやされる醍醐天皇の扱いの高さに、「栄花物語」のあり方が見えてくるらしい。
ここで注意しておきたいことは、宇多天皇に関しては、その父母も妻も記されていないということである。
このささやかな宇多帝についての記述を、帝紀とするなら、宇多についてはなにも記されていないに等しい。
物語は醍醐帝は宇多の一の御子である、というところからのみ語りだされており、けっきょく、その始発は醍醐帝だったということになる。
面白いな、と思う。
南北朝時代に書かれた「増鏡」では、「栄花物語」にの執筆者範囲ついて、次のように、延喜(年号)から堀河天皇までと記述しているという。
また世継とか四十帖の草子にて、延喜より堀河の先帝まで少しこまやかなる。
「増鏡」が、「栄花物語」の起点を、宇多天皇や醍醐天皇ではなく、延喜という年号にしている理由について、本書では次のように説明されている。
「延喜天暦の治」といえば、醍醐帝、村上帝の治世を指すが、『源氏物語』に「延喜の帝」という表現があるように、一条天皇の時代にこれらの治世が理想化されていたということがある。
つまり、『増鏡』は、『栄花物語』が「醍醐の聖帝」として讃えた、そのことを「延喜の治」という賛美に言い換えたわけである。
「延喜の治」の表現にこめられた理想とは、天皇親政であったことであり、いわば摂関政治を批判的に捉える見かたである。摂関政治にたいする不満として噴出した天皇親政という懐古的賛美は、その実、まさに摂関政治の台頭してくる時期としてあった。
「女たちの平安宮廷 『栄花物語』によむ権力と性 」より
醍醐天皇が「聖帝」とされ、その治世が「延喜の治」と呼ばれて賞賛されるのは、後の世の人々、特に、摂関政治に対して批判的な人々にとって、理想的な天皇親政の時代と考えられたからであるらしい。
けれども、その醍醐天皇の治世は、藤原氏が摂関家として台頭してくる時代でもあった。
なにしろ、醍醐天皇の次代の朱雀天皇と、その次代の村上天皇の生母は、藤原基経の娘、穏子だったのだから。
↓この人。
天皇を二人も産んだ女性なのに、ゲームアプリ「藤原氏集め」では、なぜか一般キャラ扱い。小説などに登場してキャラ立ちする機会がなかったからか。
「栄花物語」は、穏子について、どう書いているのだろう。先を読むのが楽しみだ。