こんにちは。
いつの間にか、10月になっている。
月末には誕生日も来る。
何歳だっけ…?
2024-1962=62
62
うへえ……
(_ _).。o○
昨日だったか、「と学会」で有名だった方の訃報をネットニュースで見かけた。
訃報そのものよりも、亡くなった方の弟さんの、Xでの生々しい肉親への思いの圧に、なんだか胸を突かれた思いがした。
9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います。
9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います。
— 唐沢なをき (@nawokikarasawa) 2024年9月30日
パソコン通信というものがまだ存在していて、日常的に利用していた頃、私の出入りしていた界隈で「と学会」や唐沢俊一氏を熱心に話題にする人がかなりいたので、著書を一冊だけ買った記憶がある。
故人に対して申し訳ないのだけど、内容は全く記憶していない。私の脳は、自分が強く興味を引かれ、それなりの期間に渡って反復咀嚼したことしか長期記憶に残さない。著者の雑学は、私の脳にはあまり魅力的なものではなかったらしい。
それにしても、嘘、暴言、罵倒、金の無心と、身内にやられたら絶許一択の振る舞いを、長年に渡って弟さん行うというのも、それを死の直後に弟さんに流布される終焉というのも、なんとも凄まじい。
亡くなった方の人生を批判する意図はない。
ただ、なぜそうなってしまったのかな、とは思う。
唐沢氏は1958年生まれ、66歳。
一応同世代になるのかな。
私がその年齢になるまで、あと4年…
いや、4年で終わるつもりは全くないけれど、いまの健康状態だと、残りがたっぷりあるとは思い難い。
とりあえず、 嘘、暴言、罵倒などで人に苦しめられたことはあっても(遠い目になる程度には、いろいろあった…)、そうしたことで人を苦しめたことは一度もないと思うので、そういう後悔の心配はなさそう。
悔いを残すとするなら、やりたいと思ったことを、ずるずるとやらないまま、無駄に時を過ごしていることだろうか。
読むつもりの本が、ベッドの上に増え続けている。書きたいことも、先延ばしにして書かずにいる。
こういう積年の怠惰のツケは、死に際の絶大なる後悔として身に降りかかったりするのだろうか。それとも、あっさり手放して旅立てるものだろうか。
私のことだから、「ま、いいか」で終わりそうな気がしなくもない。
(_ _).。o○
「小説家になろう」に掲載されていた異世界ファンタジーに、こんなフレーズがあったのが、心に残った。
持たないことで持つ。
知らないことで知る。
なにかを成し遂げることでなく、成し遂げなかったことでしか得られないものがあると、確信を持って言える。なにしろ、私が人生で得たものは、ほとんどがそういうものだから。
そういう意味合いのダメな先達として、末っ子には、大学の必須単位は何がなんでも絶対落とすな、どんなにつまらなくても、興味が持てる道筋を探せと、何度か忠告した。
大学院博士課程単位未修得中退という笑える最終学歴が、実人生に寄与することも不利に働くことも特になかったけれども、当時どうにも興味が持てずに投げ捨てた分野が、中年過ぎてから興味深くてたまらなくなり、大学の豊富な蔵書と、若い時分の体力気力を好きなだけ使える間に学ばなかったのを深く悔いたことは、一応、伝えておきたかったのだ。
まあ、伝わらないのだろうけど。