湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

万葉集…山上憶良と奈良時代の中二病

長い記事なので目次をつけてみる。

 

【目次】

 

学校で習った万葉集の歌のなかでは、山上憶良の「子等を思ふ歌」と、その反歌が、いちばん分かりやすかった記憶がある。

山上憶良長歌「瓜食めば」と反歌

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば 
まして偲(しの)はゆ  いづくより 来(きた)りしものそ 
眼交(まなかひ)に もとなかかりて 
安眠(やすい)し寝(な)さぬ  

(万葉集 巻五 802)

 

反歌


銀も金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも

(万葉集 巻五803)

 

 

ねこたま意訳】

メロンを食べれば子どものことが思い出される。

マロンを食べれば、ますます偲ばれる。

いったいどこから湧いてくるのか、子どもたちの姿が目の前にやたらとちらついて、安眠できない。

 

反歌

金銀宝石など、子どもの価値に及ぶべくもない。

 

………

 

「子供より大切な宝なんて、存在しない」と言われれば、いかに心の荒んだ現代人でも、それが社会のなかで大多数の賛同を得そうな一般常識であることに、同意しないわけにはいかないだろう。共感するかどうかは別として。

 

現実に子供をめぐる環境がどうであれ、形の上では一応、「子供は大切にすべきもの」という思想に基づいて、人々は家庭を営み、行政も行われている。


ただし、その「子を思う」気持ちが、純粋に情から出ただけのものかと問われると、現代人はたちまち言葉を濁さざるをえなくなる。

 

生まれた子供に対して渦巻く、ありとあらゆる親のエゴは、もちろん「(子を)思う」という行為のなかに含まれてくるわけだし、行政の立場からやかましく叫ばれている「少子化対策」は、むしろ純粋に社会体制の維持のために目論まれるものであって、子が愛しいという個人の情愛とは無関係のものである。


では、憶良さんの時代は、どうだったのか。


「勝れる宝子にしかめやも」と歌った彼は、純粋な親の情だけで、これを作ったのだろうか。


802と803の歌には、これらの歌が仏教思想に基づいて作られたものであることを示す詞書がある。

 

詞書

釈迦如来、金口に正しく「等しく衆生を思ふこと、羅睺羅の如し」と説きたまひ、また「愛すること子に過ぐることなし」と説きたまひき。至極の大聖すら、尚し子を愛する心有り。況むや、世間の蒼生、誰か子を愛せざらめや。


ねこたま意訳】


お釈迦さまが、次のように説教された。「私が生きとし生けるものすべてを同じように思うことは、我が子ラゴラちゃんをいとしく思うのと、同じである」それからまた、このようにも説教した。「我が子以上に愛するものはない」究極のスーパー聖人でさえ、我が子は愛しいのである。まして、世間一般の我々が、自分の子にメロメロにならないわけがない。


※金口(こんく)……釈迦の説法。
※羅睺羅(らごら、ラーフラ)……釈迦の実子。
※蒼生……人民。

 

……

 

分かりやすい話ではある。

だけど、お釈迦様って、妻子への愛着を断ち切って家出、じゃなくて出家したのじゃなかったっけ。


遣唐使経験者のエリートであり、仏典にも通じていたはずの山上憶良さんが、そんなことを知らないわけはない。

 

では、どんな意図があって、上のような詞書をつけたのだろう。

そのヒントは、おそらくこの一つ前の歌にある。

 

 

山上憶良が惑へる中二病患者に贈った歌

惑へる情を反さしむる歌一首 

 

或人、父母を敬ふことを知りて、侍養を忘れ、妻子を顧みずして、脱(し)よりも軽にし、自ら異俗先生と称す。

意気は青雲の上に揚がれども、身体は猶し塵俗の中に在り。未だ修行し得道するに験あらざる聖か。

蓋しこれ山沢に亡命する民ならむか。所以に三綱を指示し、更に五教を開き、これに贈るに歌を以てし、その惑ひを反さしむとす。

 

歌に曰く、


父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見れば めぐし愛し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 行くへ知らねば うけ沓(ぐつ)を 脱ぎつるごとく 踏み脱ぎて 行くちふ人は 石木(いわき)より 生(な)り出し人か 汝が名告(の)らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏(むかぶ)す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに 然にはあらじか  

(万葉集 巻五 800)


    反歌

ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業をしまさに 

(万葉集 巻五 801)

 


ねこたま意訳】

 

ある人が、両親を敬うべきだと分かっているのにケアをせず、妻子を返り見ることなく、脱ぎ捨てた靴よりも粗略に扱って、自分のことを選ばれしアウトサイダー様などと称している。

 

彼の意気込みだけは雲を突き抜ける勢いだけれども、その身はいまだに俗世間にどっぷり浸かったままである。修行しているのに道を得たような気配のない僧であるといえば聞こえはいいけど、実態は山や川に逃れる流民みたいなものだろう。

 

そこで、君臣、父子、夫婦という三綱の道を一つ一つ教えて、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝たるべしという五教を説き聞かせ、歌を贈って心得違いを矯正しようとした。

 

で、その歌で、このように伝えた。


父母は尊い。妻と子は愛しくかわいい。
それが世の中の当たり前だ。

トリモチに捕まった鳥みたいに家族に束縛されるのはイヤだと君は言うけど、穴のあいた古靴を履き捨てるように、家族を踏みにじって捨てるような人間は、情のない木石から生まれた者なのか。

名乗ってみなさい。君は一体何様だというのか。

この世から飛び出して天にでも上ったなら、どのようにでも好きに生きるがいい。

けれどもこの地上には、君が決して超えることのできない大君がいらっしゃるのだ。

日と月が照らしているこの大地は、空の雲が横たわる遥かかなたまで、ヒキガエルが這っていく地の果てまでも、大君が統治する優れた国なのだぞ。

そういうことを考えるなら、何でも身勝手にふるまうのはいかがなものか。


反歌


宇宙は遠い。
素直に家業を継ぎたまえ。

 

※うけぐつ 【穿け沓】……穴のあいた履物。

※たにぐく【谷蟇】……ヒキガエル
※まほら……とてもすぐれたところ。

 

……

 

この長歌は、どこかの馬鹿息子が、家族を棄てて隠遁者を気取ろうとするのを見かねて憶良さんがその中二病くさい迷妄を払ってやろうとして、詠んだものらしい。

 

先に見た「子を思ふ歌」とは違って、この歌は、もっとストレートに道徳意識を打ち出している。


憶良さんは、まず「父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し」と、身内の情愛に訴えて、世捨て人願望を抱く馬鹿息子にブレーキをかけようとしている。

 

でもその情の捉え方は、「世の中は かくぞことわり」と、なんだか一般論的である。


もちろん憶良さんも、そんなありきたりなお説教に効果があるとは思わなかったのだろう。


歌の後半では「大君(天皇)」を持ち出してきて、その権力の及ぶ地上のどこにいっても、お前なんかが好き勝手に生きることはゆるされないぞと、がすっと釘を刺す。

 

そして反歌では、「家業を継げ」と、正攻法で諭す。


ところで憶良さんは、どうしてこんな歌を詠まなければならなかったのか。


学校の古典の時間では、憶良さんは、「瓜食めば」の歌をを詠んだ、子煩悩な歌人として紹介され、私も長くその印象のみを持ち続けてきた。

 

でも憶良さんは、それだけの人ではない。
この歌を詠んだころ、彼は筑前守だったはずである。国司、つまり役人なのである。


800の歌の詞書で「三綱を指示し、五教を更め開き」とあるが、この「三綱」は、君子・父子・夫婦であり、「五教」は、儒教でいうところの、人が守るべき五つの道であり、五教あるいは五典ともいう。


当時の国司には、この儒教的な道徳観を広め、農耕に励むことを人々に勧める義務があったという。

 

800と801の歌は、おそらくその任務の一環として、作られたものなのだろう。なんとなく一般論めいていて、どこか醒めたような言葉づかいであるのも、もしかしたら、立場上仕方なく詠んだ歌だからなのかもしれない。

 

けれども、これらの歌をじーっと眺めていると、どこかに、憶良さんのお人柄や本音が滲み出ているような気がしなくもない。

 

 

意訳という名のコント

 

《詞書と長歌反歌を全部まとめた意訳》


 -------- 憶良さん@仕事中 --------

 

「おーい、そこのきみ! ちょっと待ちたまえ」

「なんだよおっさん。何か用?」

「まあ、用があるといえば用ありなんだが、洋ナシといえば、ま、ラ・フランスというべきか」

「何が言いたいんだよ」

「つまり何だ、洋ナシというのはだね、これが実に手のかかる品種でねえ。収穫の時期をちょっと逃すと肉質は落ちるわ色は褪せるわ。でもってナシはほかにも和梨、中国梨なんてものもあるが、どれもこれも原産地をさかのぼると、なんとチベットに行き着くんですなあ。きみ、知ってた?」

「・・・用ないんなら、俺行くけど」

「ほほう。チベットへ?」

「行かねえよ」

「では、どこへ?」

「そこいらへんの、山だよ」

「ふむ。何のために」

「しつこいなあ、おっさん。隠遁すんだよ。知ってんだろ? いま、イケてるインテリの間では、流行ってんだよ隠遁が」

「ぷぷぷ。ダサーい」

「なんだと?」

「そこいらの山で? 親のスネかじりつつ? ダサダサ」

「悪かったな。あんたに関係ねーだろ。ほっとけよ」

「いーや、ほっとけません」

「なんでだよ」

「お仕事だから」

「はあ?」

「取りあえず調書作らしてね。きみ、名前は?」

「なんの取り調べだよ、これ」

「反社会的分子撲滅のための調書です」

「反社会って・・・俺はただ山に隠遁するだけだっつってるだろ。社会、関係ねーよ」

「だからそれがね、反社会的だと言うんです」

「なんで!?」

「きみの頭がとっても悪いから。腐った頭、すなわちこれ、反社会的存在。またの名を、馬鹿ちん」

「・・・・なんか俺、むちゃくちゃ腹立ってきたぞ。おいおっさん、俺のどこが腐れ頭なんだよ!?」

「さあ自分で考えよう! 馬鹿でも分かる!」

「説明しろこのクソじじい! 俺はこれでも、インテリなんだよ。中国文化の通なの、通! おっさんなんか、どーせ漢文も読めねーだろ」

「僕、これでも帰国子女よ」

「へ?」

遣唐使やってきたもんね。ちなみに中国語、ぺらへら~。漢文訓読、すらすら~」

「げ、マジ?」

「で、さっきの続きだけど、きみ、何のために隠遁するわけ?」

「や、そりゃ、修行のためにさ」

「かわいい妻子捨てて?」

「だって、ウゼーもん。勉強の邪魔になるばっかりで」

「親御さんは、なんて言ってんの?」

「そりゃ、まあ、散々罵倒されたよ。でも俺の気持ちは変わらない。こんな俗世なんか抜け出して、とびっきりの悟りを開くんだ。でなけりゃ俺、なんのために生まれてきたのか、分かんなくなっちまいそうだよ。親の都合のいいように育てられてさ、好きでもない女と結婚させられて、ニョーボコドモのために擦り切れるまで働されてて、いつのまにか小汚いジジイになって、死んじまうなんてさ。人間疎外もいいとこだよ。俺はイヤだね。こんなレールはとっとと外れて自分のために生きるんだ。おっさんだって、本物のインテリなら分かるだろ、俺の気持ち」

「まあね、わかんないこともないけどね、ヒッピーくん」

「はあ? ひっきぃ?」

「ちがう、ヒッピー」

「だから、なんだよそれ」

「んじゃ、現在ニートでホームレス予備軍の万年厨二病青年」

「もっとわかんねーよ。どこの言葉だよ、それ」

「気にしない気にしない。でね、君は、家族ほっぽって山に入って修行しさえすれば、自分がシアワセになれるとか思ってる?」

「え? まあ、このまま家でくすぶって終わるよりは、マシなんじゃないかと」

「予言してあげよう。君は、三百八十五日で野垂れ死ぬ!」

「・・・・なんか妙に数字がこまかいな。根拠あるのかよ」

「いや、特にないけど」

「あてずっぽうかよ」

「そうでもないのよ。さっき僕は、君のことを反社会的分子だって、言ったよね」

「違うけどな」

「どこが違うの?」

「だって俺、犯罪なんてやってないし、税金だって、いままでちゃんと払ってるし」

「そう、そこがポイント!」

「ポイントって・・・・税金ってとこ?」

「そのとおり。きみ、山で小汚い浮浪者になってからも、税金払うつもりある?」

「あるわけねーじゃん。てゆーか、払えねーよ。収入なくなるし」

「つまりきみは、意図的に法律を破ろうとしているわけだね。ほら、立派な反社会的分子でしょ」

「まあ、それはそうかもしんないけど、でもさあ・・・」

「でもは置いといて、そういう分子に対して、国家権力は、どう対処すると思う?」

「・・・・さあ」

「死刑」

「うそっ」

「殺します」

「なんでだよ!?」

「決まってるでしょ、いらない人間だから。あのね、きみみたいなのがたくさん出てきちゃうと、税金集まらないし、農業たちゆかなくなるしで、国はとっても困るわけよ。だから、見せしめのために、僕が君を、ずんばらりっと、成敗します」

「・・・・」

「まあ、すぐにつかまえて殺すのも気の毒だから、三百八十五日ぐらいは、目つぶって遊ばしてあげるけど、それ過ぎたら死刑ね」

「・・・・ジジイてめー、それでも歌人のインテリかよ。骨の髄まで体制に迎合しちまって、薄汚い脅迫こきやがって、それで純粋な歌なんて、詠めんのかよ!」

「だから言ったでしょ? お仕事だって。だったら、これまでの人生全部欺瞞だとか思ってるきみはどーなの? 今しゃべってる言葉だって、甘ったれた欺瞞の充満した体から出てるわけでしょ。まだ浮浪者じゃないんだから」

「浮浪者言うな! 俺はアンタなんかが手の届かないスーパー仙人になってやる!」

「じゃ、空飛ぶようになる前に、捕まえないとねぇ」

「うるせえ! 捕まえられるもんなら、捕まえてみやがれ! 俺は野垂れ死んだって、てめーみたいにはならねーからな!」

「じゃあ捕まえて首チョンパするけど、ホントにいいの? 国家権力、甘くみちゃダメよ?」

「・・・・・・(既に走り出してしている)」

「しょーがないなあ、もう。めんどくさいけど、もう一押ししてみよか。・・・・あー、マイクのテストテストー、本日は晴天なりーと」

「・・・・・・(全速力で走っている)」

「あー、今カラデモ遅クナイカラ、実家ヘ帰レー」

「・・・・・・(躓いてころんだ)」

「抵抗スル者ハ全部税金未納者デアルカラー、タッタ今ツカマエテ撲殺スルー」

「・・・・・・(あわてて立ち上がり、再びダッシュ)」

「オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ泣イテオルゾー」

「・・・・・・(もう姿が見えない)」

 

「あーあ、逃げちゃった。ま、いっか。彼も、食い物なくて死にそうになったら、自分で家に帰るでしょ。チベット行くほどの根性も、なさそうだしねえ。さて、今日のお仕事、おしまい。旅人さんちの歌会に、間に合うかなー」

 

 

(2005年06月11日に書いたものを修正して投稿)