湯飲みの横に防水機能のない日記

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「鎌倉殿の13人」(12)亀の前事件(歴史音痴と大河ドラマ)

「鎌倉殿の13人」第十二回「亀の前事件」を視聴した。


時政の後妻の牧の方が、政子の権勢が自分を凌いでいくことへの嫉妬から、「後妻(うわなり)打ち」をやれとそそのかし、牧の方の兄(牧宗親)が政子の命を受けたという形で実行する。

 

牧の方としては、頼朝と政子の夫婦仲にひびが入るのを見物して溜飲を下げつつ、北条氏での自分の立場を政子よりも高めて、跡継ぎ問題などで優位に立ちたい、という程度の思いだったのかもしれない。


この後の歴史(牧氏事件とか)を思えば、牧の方という若い後妻の嫉妬と野心が、何人もの人の死の引き金を引いたと言いたくなるけれども、野心を抱いて互いに足を引っ張り合う御家人は他にもたくさんいたのだから、牧の方が時政と結婚しなかったとしても、結果はあまり変わらなかったような気もする。

 

「鎌倉殿の13人」で宮沢りえが演じる牧の方は、政子への嫉妬のせいで底意地の悪い言動もあるけれど、根っからの悪女というキャラではないように思う。年の離れた時政をかけがえのない夫として思い、頼りにする気持ちも端々に垣間見える。政子が「鎌倉殿」の正妻になったりしなければ、北条の家を切り盛りする良妻となって、時政の尻を叩きつつも穏やかな人生を送ったのかもしれない。

 

今回の「後妻(うわなり)打ち」の件でも、ドラマのシナリオは牧の方だけを悪者には描かなかったように思う。


後に起こる牧氏事件について、「吾妻鏡」は、牧の方だけを悪者としている。

 

元久二年(1205) 閏七月十九日条

十九日。甲辰。晴れ。牧の方が奸謀を廻らし、平賀朝雅を関東の将軍として、現在の将軍家(源実朝)[この時、遠州(北条時政)の邸宅におられた]を排除申し上げようとしているとの風聞があった。そこで尼御台所(北条政子)が長沼宗政・結城朝光・三浦義村・同胤義・天野正景らを派遣し、羽林(実朝)をお迎え申された。(実朝は)そのまま相州(北条義時)の邸宅に入られたため、時政が召し集められていた武士は全て義時の邸宅に参り、実朝をお守りした。同日丑の刻(午前二時前後)に時政は急に出家された(年は六十八歳)。同時に出家した者たちは数えきれなかった。

 


十九日。甲辰。晴る。牧御方、奸謀を廻らし、朝雅を以て関東の将軍と為し、党将軍家[時に遠州の亭に御坐ます]を謀り奉る可きの由、其の聞こえ有り。仍て尼御台所、長沼五郎宗政・結城七郎朝光・三浦兵衛尉義村・同九郎胤義・天野六郎正景等を遣はし、羽林を迎え奉らる。即ち相州の亭に入御するの間、遠州召し聚め被るる所の勇士、悉く以て彼の所に参入し、将軍家を守護し奉る。同日丑の刻、遠州、俄に以て落餝せ令め給ふ[年、六十八]。同時に出家の輩、勝げて計ふ可からず。


吾妻鏡角川ソフィア文庫より引用

 

 

 

男性が牽引しているはずの政治の世界の話で、ことさらに女性を悪く書く歴史というのは、だいたいが胡散臭いものだと思う。

 

上に引用した時政失脚の経緯も、なんだか不自然なところがある。

「牧の方が奸謀を廻らし」ているというのは、本当のことだったのか。


たまたまそういう風聞があった(其の聞こえ有り)のを、政子や義時側、あるいは時政がトップの座にあることを不満に思う勢力がうまく利用して、失脚に追い込んだのじゃなかろうか。


そもそも妻がそういう陰謀を企んで実行寸前だったとして、その夫がそれに全く関与していないというのは、不自然すぎる。

 

それに、本当に牧の方、もしくは時政夫妻が、実朝を廃そうと計画していたのなら、その日に時政が召し集めていた武士が誰も時政の元に残らず、全員で義時の邸宅に移動して実朝の警護につくというのは、出来過ぎていて気持ちが悪い。みんな最初から知っていて、事が起これば時政を見限る心づもりでいたのじゃなかろうか。

 

それと、時政の出家が「同日丑の刻(午前二時前後)」というのだから、政子に派遣された人々は、午前零時から二時までの間に時政の邸宅に押しかけたことになる。


そんな真夜中に大挙してやってきて、交戦することもなく、あっさり実朝の引き渡しと移動が行われ、直後に時政が出家してしまう。

 

牧の方による実朝殺害の陰謀のあるなしにかかわらず、時政は、即日出家して政界から引退しなければ、牧の方の命はないとでも、脅されたのではなかろうか。などと、歴史音痴は勝手気ままに想像する。


吾妻鏡」が牧の方を悪者にしているのは、北条氏をできるだけ悪者にしないためだという説があるのだとか。もしそうだとするなら、牧の方の後妻としての野心は、結局北条氏に利用されただけで終わったということになりそうだ。


「鎌倉殿の13人」の牧氏事件は、どんなふうになるのだろう。

 

今回放映された「亀の前事件」では、牧の方や政子を罵倒する頼朝の態度に激怒した時政が、「たとえ鎌倉殿でも許せねえ!」と啖呵を切ってしまったあと、我に返って、「小四郎、わしゃ降りた。伊豆へ帰る」といって、去っていく。

 

もしかしたら24年後に起きる牧氏事件でも、ドラマの中の時政は、今回と同じように、牧の方の側に立って感情を爆発させたあと、あっさり出家して伊豆に退去するのかもしれない。

 

それにしても「後妻打ち」って、すごい言葉だ。

古語辞典を引いてみた。

 

うはなりうち【後妻打ち】

後妻を迎えるとき、前妻が意趣を晴らそうと、親しい女たちを語らって後妻を襲い、家財などをうち荒らすこと。平安時代から見られ、室町時代に多く行われた。

 

岩波古語辞典

 

関連語にこんな言葉もあった。

 

うはなりねたみ【後妻嫉妬】

1.先に結婚している妻が、後に妻となった女をねたむこと。

2.ねたみ。嫉妬。

 

岩波古語辞典

 

こんな言葉が辞書に残るレベルで使われていたということは、それくらい頻繁に「後妻打ち」があったということなのだろうか。うん。怖い。

 

でもドラマの亀の前は、ちっとも打たれた感じじゃなかった。

あの分だと、別の有力者に乗り換えて、しぶとく側室人生を送りそうだ。

 

( _ _ ).。o○

 

毎度楽しみにしている食事シーン。

今回は二場面あった。

 

まず、時政夫妻、頼朝夫妻、結婚したばかりの阿野全成(頼朝の弟)と実衣、義時が、会食をしているシーン。

 

頼朝を含め、全員が白木のお膳を床に置いて食事をしている。

短い脚がついているようだけど、三宝ほど高くない。

折敷に近い感じだろうか。

 

 

お膳の上にあるのは、玄米ご飯、鯛の尾頭付き(推定)、汁物が入っている白い焼き物の器。義時の口からはみ出していた緑色の汁の具は、ほうれん草っぽく見えたけど、わかめかもしれない。ほかにもお皿があるようだけど、内容が見えなかった。

 

伊豆にいたころよりはお膳が豪華になったとはいえ、鎌倉殿になっても、頼朝は玄米ごはんを食べている。

 

後白河上皇のように白いごはんを供されるのは、いつだろう。


もう一つのシーンは、「後妻打ち」を食らう前の、亀の前と頼朝の逢瀬の夜に、義時が呼ばれて館に出向いたとき。

 

黒い塗り物のお膳に、サトイモっぽいものが、こんもりと盛られている。

白い部分も見えているので、サトイモを蒸して、きぬかつぎっぽくしたものだろうか。

たぶん塩かなにかをつけて食べるのだろうけど、調味料を盛った小皿があるかどうかまでは見えなかった。

 

「鎌倉殿の13人」歴史音痴と大河ドラマ