万葉集から。
あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに
(万葉集 巻2-107)
【多少の深読みを加味した意訳】
山の中で君を待っていたら、僕はびしょ濡れになってしまったよ
きっと僕と会うのを誰かに止められたのだろうね
来れないだろうとは思っていたんだ
それでも待たずにはいられなかった僕の気持ちだけでも、届けばいいのだけど
会いたいよ…
母親の大田皇女は天智天皇の娘だったけれども、大津皇子が幼児だったころに早死にしてしまう。
母親の後ろ盾がなくても、才能豊かなイケメン青年だった大津皇子には人望もあり、皇位継承しても不思議はない立場だったようだ。
水のしたたる大津皇子の歌に対して、石川郎女は熱い思いを込めた歌を返している。
石川女郎、和(こた)へ奉(まつ)る歌
吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを
(万葉集 巻2-108)
【蛇足つきの意訳】
ああそんな…
私を待って山の中にずっと立っていたなんて…
あなたを濡らした雫になりたいと思うほど、私もあなたに会いたかったのに
許されない恋だと分かっているのです
きっとこの先には幸せなどないことも
それでも私はあなたを…
石川郎女という女性の素性は不明だけれども、大津皇子との交際は、何らかの事情で人目を憚らなくてはならないものだったようだ。
けれども、大津皇子は敢えて石川郎女と関係を結び、あっさり露見してしまう。
大津皇子の窃に石川女郎を婚きし時に、津守連通その事を占ひ露はせるに、皇子の御作りたまひし歌。
大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し
(万葉集巻2-109)
【いささか怪しい意訳】
大津皇子がこっそり石川郎女と結ばれた時、津守連通がそのことを占いで暴露したので、大津皇子がお詠みになった歌
津守のヤツの占いでバレるのことなど分かっていたけど、僕たちは寝たんだ。だって、真実の愛で結ばれた二人なんだから!
二人の恋の妨害者が誰だったのかは分からないけれども、石川郎女を思う男性は他にも複数いたようで、その一人は大津皇子の異母兄弟だった。
日並皇子の、石川女郎に贈り賜ふ御歌一首 女郎、字を大名児(おほなこ)と曰ふ
大名児を彼方野辺に刈る萱のつかのあひだも我忘れめや
(万葉集 巻2-110)
【病みを加味してみた意訳】
大名児よ
お前のことを、俺がお前を一瞬たりとも忘れることがあろうか
お前がどこで誰と何をしていても、俺の意識がぴったりとお前に貼り付いていることを覚えておけよ
いつでもお前を見ているからな
「日並皇子(ひなみしのみこと)」は、草壁皇子のこと。
草壁皇子の母親も天智天皇の娘で、のちに即位して持統天皇になった。
草壁皇子は大津皇子より一歳年上だったけど、あまり出来がよくなかったらしく、天武天皇の存命中に立太子したものの、自分よりハイスペックな大津皇子に立場を脅かされる可能性がなくもなかったようだ。
石川郎女としても、大津皇子と並べてはっきり見劣りのする草壁皇子には、恋心を抱けなかったのかもしれない。
けれども、父の天武天皇が崩御したあと、大津皇子は謀叛の罪を着せられて捕えられ、自害に追い込まれる。享年24。(686年)
本当は大津皇子に謀反の意図などなくて、我が子に皇位継承させたい持統天皇の派閥にハメられて排除されたのかもしれないけれども、真実は闇の中。
ところが、ライバルがいなくなった草壁皇子は皇位に就くことなく、持統天皇3年(689年)4月13日に27歳で早世。病死だったようだ。
大津皇子と死に別れた石川郎女がその後どうなったのかは、よく分からない。
万葉集には、ほかにも石川郎女と呼ばれる女性が関わる歌があるのだけど、同一人物かどうか不明のようだ。
佐佐キ信綱 校・訳「万葉集(現代語訳付)」やまとうたeブックス
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