幸田露伴。
修学旅行というが如きもなかなか修業的旅行とは云えません。
すべてが発達し開明した結果、今日では日本内地の旅行は先ず昔の所謂「江の島鎌倉見物」「石尊参り」「伊勢詣」「大和めぐり」「箱根七湯めぐり」などという旅行と同様、即ち遊山旅と丁度同様になって居るかと思います。
「旅行の今昔」
この文章は、1906年(明治39年)に発表されたものだという。
修学旅行が100年以上も前から行われていたということに驚く。
Wikipediaの「修学旅行」のページを見てみたら、東京大学は1877年(明治10年)に設立された当初から、「実地研究旅行」をしていたと書いてあった。
「修学旅行」という名称が初めて使われたのは、1886年に、東京高等師範学校の生徒が下野地方(栃木県あたり)に遠足した時だったという。
鉄道が開業したのは1883年、1886年には那須まで、1887年には早くも仙台まで開通していたようだ。
けれども修学旅行は軍隊式の「長途遠足」と同形式だったようだから、鉄道は使わずに歩いて行ったのだろう。
東京高等師範学校は、いまの文京区にあったそうで、「修学旅行」の行き先は日光や那須だったという。
Google mapによると、文京区役所から日光東照宮までの距離は132キロメートルで、徒歩での移動時間を見てみたら、1日3時間(27時間)かかるとのことだった。
1日に8時間歩いたとしても、最低四日はかかる。
往復なら八日。明治初期の修学旅行は、まさに過酷な修業的旅行だったことになる。
それが明治の終わり頃には、「遊山旅と丁度同様」と露伴に嘆かれるほど、観光旅行寄りになったのだろう。