湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一文(二月一日)

幸田露伴

 

修学旅行というが如きもなかなか修業的旅行とは云えません。

 

すべてが発達し開明した結果、今日では日本内地の旅行は先ず昔の所謂「江の島鎌倉見物」「石尊参り」「伊勢詣」「大和めぐり」「箱根七湯めぐり」などという旅行と同様、即ち遊山旅と丁度同様になって居るかと思います。

 

「旅行の今昔」

 

 

この文章は、1906年明治39年)に発表されたものだという。

 

修学旅行が100年以上も前から行われていたということに驚く。

 

 

Wikipediaの「修学旅行」のページを見てみたら、東京大学は1877年(明治10年)に設立された当初から、「実地研究旅行」をしていたと書いてあった。

 

「修学旅行」という名称が初めて使われたのは、1886年に、東京高等師範学校の生徒が下野地方(栃木県あたり)に遠足した時だったという。

 

鉄道が開業したのは1883年、1886年には那須まで、1887年には早くも仙台まで開通していたようだ。

 

けれども修学旅行は軍隊式の「長途遠足」と同形式だったようだから、鉄道は使わずに歩いて行ったのだろう。

 

東京高等師範学校は、いまの文京区にあったそうで、「修学旅行」の行き先は日光や那須だったという。

 

Google mapによると、文京区役所から日光東照宮までの距離は132キロメートルで、徒歩での移動時間を見てみたら、1日3時間(27時間)かかるとのことだった。

 

1日に8時間歩いたとしても、最低四日はかかる。

往復なら八日。明治初期の修学旅行は、まさに過酷な修業的旅行だったことになる。

 

それが明治の終わり頃には、「遊山旅と丁度同様」と露伴に嘆かれるほど、観光旅行寄りになったのだろう。