備忘録として書いておく。
今朝起きたら、全身どこも痛くなかった。
痛みのないのに気づいたのは、朝8時半過ぎに、長女さんを描画セラピーに送り届けるために、駐車場で車に乗ろうとした時だ。
いつもなら、「いてててて」と言いながら腰をかがめて運転席に入るのに、その「いてててて」が口から出てこなかった。それで痛みがないと気づいた。
寝起きの身体の痛みに悩まされてるようになってから、もう10年は経っている。手指の強張りと激痛からはじまり、膝に来て、そのほかの関節も漠然と痛むようになってきた。
痛みは朝が一番ひどくて、夕方ぐらいまでには緩和される。日によって痛みの程度が変わることもあるけど、全く痛まない日というのはなかった。
手指の痛みが特にひどくて、台所の洗い物がつらくなり、メインの食器のほとんどをプラスチックに変えたりもした。
当初はリウマチかと思って診察を受けたけど、「白でも黒でもない、灰色」という診断で、痛み止めでやり過ごしていた。
その痛み止めで胃腸の具合が悪くなったので、飲むのをやめて現在に至る。
毎日痛いのが当たり前になってしまっていたので、痛みのない状況に戸惑ってしまう。
なんで急に痛みが消えたのか。
昨日と一昨日は体調が悪くてウォーキングの目標に届かなかったものの、4000歩以上は歩いている。
食事もいつもと変わらず、亭主が作ってくれた野菜たっぷりの健康メニューをいただいている。
他に変わったことがあっただろうかと思い巡らしていて、そういえば昨日は小一時間近くバカ笑いしたのだったと思い出した。
笑った理由は、末っ子の修学旅行中止の件という、あまり笑えないものだった。
高2の末っ子は、昨年、某県に飛行機で修学旅行に行く予定だった。
ところが新型コロナで某県の状況が思わしくなかったため、安全のために今年の2月に延期になった。
けれども一月に、また「まん防」が適応されたため、旅行実施についての保護者アンケートが行われて、結局某県行きは取りやめということになってしまった。
その時の生徒たちの落胆があまりにも激しかったため(中止の学年集会では号泣する生徒がたくさんいたとか…)、学校側も苦慮したようで、せめて日帰りで、高校生活の思い出を作ろうということになった。
行き先は、東北の某県方面。
日帰りとなると、相当な強行軍ではあるけれども、なにしろ高校入学以来、ほとんどの行事が中止もしくは規模縮小を食らって我慢し通しだった学年だから、生徒たちは大変に盛り上がったらしい。
末っ子も「萩の月を爆買いして牛タン弁当を食べてくる!」と、大喜びだった。(某県がどこだか丸わかりだ)
その直前の3月16日。
揺れている最中から、これは修学旅行がヤバいんじゃないかと思ったら、案の定、新幹線が脱線していた。翌日、復旧の見通しがたたないという報道を知った末っ子の表情は、もはや落胆を超越して「無」になっていた。
ここまでなら全く笑えない話だ。
私も末っ子の心情を思って胃が痛かった。
ところが、ここへ来て、「学校」が暴走を始めた。
「こうなったら、行けるところまで行きましょう!」
いつも極めて厳格で、やんちゃな末っ子など近寄るのも憚られるほどの学年主任の先生が、学年集会で、そう宣言したらしい。
それを他の先生がたや、生徒たちが、遠慮がちに止めようとするものの、主任の先生の暴走は止まらず、一旦この件は保留となったと、一昨日学校から帰宅した末っ子が「無」の表情で報告してくれた。
修学旅行の第一案は南の某県だったけど、それはもう完全に不可能となってしまい、代替案として決まったのが東北某県、次点として能登半島方面、ということだった。このままいくと、行き先は能登半島に変更かなと思われた。
で、昨日の朝。長女さんの付き添いで病院にいたら、待合室のテレビが例の不協和音とともに、地震速報を流しはじめた。
すかさず末っ子にLINEしたら、
「もう呪われているとしか思えない」
と返ってきた。
その日の学年集会で、今年度の修学旅行の完全中止が正式に通告された、とのこと。
校長先生が、長い長い言い訳とともに、「行けるところまで行く修学旅行」を実施することのナンセンスさを、懇切丁寧に説明なさったそうだ。
起きたことのどれ一つとして、全く笑い事じゃないのに、気がついたら笑いが止まらなくなってしまい、小一時間笑い倒した。
コロナと地震の連携が酷すぎた。
それに加えて学校の迷走が前代未聞すぎた。
末っ子は、近日中に友人たちと淡々と近場の遊園地に行く相談をしているという。今日も東京の美術館めぐりをするといって、出かけていった。
末っ子のおかげ(?)で大笑いしたために、脳がエンドルフィンを大量分泌して、痛みが丸っと緩和されたので、後でお小遣いをはずもうと思う。