湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

過労

昨日の一日は、病み上がりの人間にはいささかきつすぎた。いままた体が壊れている。

 

昨日の朝5時半には起きて読み書きをしていたと記憶している。調べたいことは山ほどある。インターネットで検索をかけつづけながら情報を読み漁り、覚えられるものから頭につめこんでいった(日記も書いた)。

 

そして朝食。コドモ二人を叩き起こし、身支度させて食べさせて、長女さん(5歳・ネフローゼ症候群)の早朝尿を検査用の試験管に詰め(これは夫がやった)、息子の施設の連絡帳に作文を書き、九時過ぎには、家族全員で車に乗りこんだ。まず亭主と息子を施設に送り届けた。息子は、今週二回目の父子通園である。

 

施設は自宅から片道十分ちょっとなのだが、到着したとき、すでに車体は強火にかけたフライパンのように焼けはじめていた。当然、車内も酷暑。我が愛車にはエアコンは装備されているが、クーラーのスイッチを入れても出てくるのは埃と熱風だけである。

 

その焼けた車にのって、長女さんと私は1時間を超えるドライブをするハメになった。ほんとは十五分ほどでつくはずの、長女さんの病院への道のりが、渋滞で詰まりきっていたのである。私は文句たらたらで運転していたが、長女さんは一言も怒らなかった。「へんなにおいのするタクシーで行くより、いい」のだそうだ。

 

長女さんの診察が済み、食堂でランチしてから、売店で「麦水」の500mlボトルとストローとダ・ヴィンチの最新号を購入し、仮面ライダー図鑑だか何だかとトミカのミニカー一台を買わされ、ふたたび焼かれながら車にのって、家に帰りついたのは午後一時前。

 

家で三十分ほど休んだあと、再び長女さんと車に乗りこみ、息子たちを迎えに行った。

 

三十分間地下駐車場に寝かせた車は、多少ぬるめになっていた。

 

息子を引き連れて施設から出てきた亭主は、「来週、面談に呼ばれた」と言った。

 

先日の父子通園のあと、亭主は施設の療育方法に対する批判と要望の手紙を書いて出した。その手紙を施設の誰と誰が読んだのかは分からないが、昨日クラスの指導中に担任から声がかかり、「お手紙を拝読し、息子さんの療育方法について、いろいろとお教えいただいて話し合わなければならないと思いました」と言われたのだという。

 

ちなみに呼ばれたのはなぜか亭主一人で、私には声がかかっていない。専門的なことを母親を交えて話しても意味がない、という判断か。息子の療育に関わることなら私だって話をしたいことは山ほどあるが、呼ばれないのだから行かないことにする。

 

担任の謙虚な言葉をそのまま受けとっていいのかどうかは、いまのところ不明である。ほんとうに考えを改めるつもりなのか、それとも我が家の意向をつぶしにかかるつもりなのか。夫は呼ばれたからには出向いていって、担任や施設がどう思おうと、好き勝手なことを「講義する」つもりでいるらしい。

 

「それで失うものなんか、こっちにはないからな。まあ、施設やめるとなると、息子の遊び場を一つ失うことになるが、別にかまわん」

 

とのこと。同感である。

 

亭主は言語研究のプロである。自宅の北側ニ部屋は本で埋まり、その半分は言語の専門書である。そういえば私の修士論文のネタは、対話・対談であった。

 

こんな家庭に、喋れない息子は生まれたのであるから、運命のかますシャレというのはなかなか笑える。


とっとと体調回復して、亭主の「講義」の下準備でも手伝おう。

 

(2001年7月13日)

※過去日記を転載しています。

 

dakkimaru.hatenablog.com