こんにちは。
ポケモンスリープで、色違いのヌオーをゲットした。ちょっと可愛い。
(_ _).。o○
久々に、デスクトップパソコンを立ち上げて、ハードディスクの中身のチェックや整理をしようとしたのだけど…
右肩が痛すぎて、キーボードをまともに使えず、撤退した。😭
ハードディスク内には、古い文章や絵なども残っているので、こちらに転載できるものがあれば作業するつもりだったのだけど、先に肩を治さなくてはどうにもならない。
せっかくマウスも新調したのに…
バッファローのワイヤレス、「戻る・進むボタン搭載」の小型軽量節電モデル。1006円。今年の誕生日プレゼントは、これだった。
あ、もう一つ、長女さんが誕生日の絵をプレゼントしてくれた。🎉
私の顔が巨大化しているのは、主役だかららしい。
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久々にパソコンでブログを開いてみたら、28年ほど前の日記をすでに転載しつつあることに気がついた。
長女さんが新生児だった頃の、メモ書きのような日記だ。
いつ作業したのか、全く記憶にない。
読み返すと、当時の記憶がかすかに蘇ってくる。
この2年後に長女さんが難病になり、3年後には息子が重度の知的障害であると判明し、4年後には私が無顆粒球症で死にかけるという、我が家にとっての試練の日々がやってくる。そのころの日記も、どこかに埋まっているはずなので、肩の痛みがやわらいだら、探して転載してみようと思う。
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昨日、iPhoneで少しだけ日記の転載作業をした。
一本目は12年前、末っ子が小2の頃の学校での様子を書いた日記。
当時の末っ子は学校に適応できず、毎朝のように登校を嫌がって泣いていた。
朝食はスプーンで口に運んでやらないと食べず、着替えも自分ではできなかった。
本格的な不登校にはならず、学校には行くけれども、宿題やプリントなどの提出ができず、クラスメートとのコミュニケーションもうまくいかないようだった。
家では、できないことについては一切叱らず、介助できることは全て介助して、学校に送り出し、提出物なども私が直接職員室まで運んでいた。叱ってどうにかなる問題ではないと思っていた。
幼稚園のころから、発達障害を薄々疑っていたので、小学校入学直後に民間の療育教室に相談して、ケアを開始していたのだけど、療育だけでは目立って改善することもなく、末っ子にとっては、ここから数年、辛い日々が続くことになる。
2本目は、亭主に絵のお題を出してもらって、パソコンでラクガキしたという、どうでもいいような日録。
当時は子どもたち三人のことで毎日かなり大変だったはずだけど、大変さに心を押しつぶされないように全力で抗って、何かを楽しむ機会は逃さなかったし、読み書きすることもやめなかった。
当時の暮らしに反省点があるとすれば、きちんと休息を取ることや、自分の健康状態に留意することを怠っていたことだろうか。
あの頃ちゃんとケアしていたら、いま、もう少しましな体調だったろうに…
10年後に同じ後悔をしないように、これから気をつけよう。(´・ω・`)