湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

自閉症の世界と、自閉症の人生と。

 

スカリー捜査官様のブログで、自閉症の世界」(スティーブ・シルヴァーマン著)が紹介されていたのを拝読して、自分もこの本を読みかけて挫折していたことを思い出して、無性に読みたくなってしまった。

 

blog.the-x-chapters.info

 

スカリー捜査官様の書評は、いつも絶妙な切れ味で、私の脳内読書欲活性化ボタンをピンポイントで突いてくださる。

 

 

飽きっぽい私が退屈すぎて読了を挫折したような本であっても、読まずにはいられなくなってしまうのだから、もはや魔性の書評ブログと言える。

 

(私もそういう書評ブログにとてもとてもあこがれて、自分でも作りたいと思うけれども、脱線ばかりするアタマでは単一のテーマでブログを運営するのは無理なのだった…)

 

で、さっそく「自閉症の世界」を読もうとして家の中を探してみたけど、みつからない。

 

本の表紙はしっかり覚えているし、手に取って読んでいた記憶もあるのだから、確実に家にあるはずなのに、ない。

 

読みたいのに本がない状況は、私にとっては拷問に等しい。

一日悶え苦しんでいたけれど、今朝になって、ふと思い立って、Amazonの書籍データを見てみたら……

 

 

f:id:puyomari1029:20200729102807p:plain

 

kindle本で買ってたのだった。

 

そりゃ、家の中探したって、見つかるはずがない。(´・ω・`)

 

本を購入した、2017年5月というのは、ここのブログを開設する前で、うつ病がかなり悪くなっていた時期のはずだ。

 

本書の内容がつまらなかったから挫折したというよりも、ラクではない読書に耐えられる脳の状況ではなかったのだろう。

 

さっそく、冒頭から読み始めた。

 

「火星の人類学者」の著者であるオリヴァー・サックス氏が、短めの序文を寄せていて、自伝的作品である「タングステンおじさん」の出版を、シルバーマン氏に手伝ってもらった経緯を書いていた。

 

そういえば、「タングステンおじさん」も途中までで挫折してたなと、思い出した。こっちは確実に紙の本で購入しているはずだ。書架に並んでるのをはっきりと記憶しているし、途中までではあっても、読んだ内容もかなり覚えているのだから、こんどこそ間違いない。

 

……と思うのだけど、単行本版も、文庫版も、Amazonには購入歴がない。

サックス博士の別の著作と間違えているのだろうか。

 

でも幼少期、母親が流しの不潔極まりない排水溝を掃除しているのを眺めていた話とか、戦時中に疎開した話なんて、他の著作に書かれていたとも思えない。

 

まさかそれも別の作家の本と間違えていたりするのか。。。

 

 

疑い始めると、「タングステンおじさん」の表紙には、見覚えがないような気がしてきてしまった。

 

タングステン」で、クローズドにしている自分の過去日記を検索してみたけど、読書記録は出てこない。

 

かわりにこんな日記が出てきた。十二年前の、長女さんとの会話をメモしている。

 

「おっかあ」
「なんだー」
「金属の名前、てんぐすたん、でいいんだっけ」
「……タングステンだよ」

 
「おっかあ」
「なにー」
おかめちんこ、だっけ、それとも、おかちめんこだっけ」
おかめちんこ……じゃないっ。おかちめんこだっ」

 

最近、アタマがクラクラすることが増えてきた。

 

2008年08月16日

 

 

もう、何もかも自信がなくなってきた。(´・ω・`)

 

タングステンおじさん」の件については、保留としよう。

 

序章を読み進めていると、テンプル・グランディン博士の著作である「自閉症の才能開発」の話題が登場した。

 

言語病理学者のミシェル・ガルシアは自分の患者の両親の多くは、子どもたちの診断で初めて自身の自閉症の特徴に気がつくのだと話してくれた。テンプル・グランディンは『自閉症の才能開発』の中で、「結婚は、二人とも自閉症で出会った場合と、一方が自閉症で相手が障害者かエキセントリックな場合に一番うまくいく。彼らは似た波長のもと、知性を働かせるため惹かれ合う」と述べている。

 

(「自閉症の世界 序章 自閉症は増えているか」より引用)

 

 

うん、今度こそ、確実に読んでいる。

 

上に引用した箇所で指摘のある、自閉症同士の結婚についての指摘は記憶にないけど、Amazonのレビュー欄に自分の書いた記事があるんだから、間違いなく読んでいる。

 

内容、あまり覚えてないけど。(T_T)

 

 

 

2003年に購入してい読んでいるのだから、電子本ではありえない。

あとで探しておこう。

 

脱線したけど、「自閉症の世界」本文の話に戻る。

 

言語病理学者のミシェル・ガルシアは自分の患者の両親の多くは、子どもたちの診断で初めて自身の自閉症の特徴に気がつくのだと話してくれた。

 

私の場合は、まさにコレだ。

 

そして、テンプル・グランディン博士の指摘している「自閉症の結婚がうまくいく条件」にも、合致している。そうでなければ、私の人生は徹頭徹尾地獄そのものだったことだろう。

 

もしかすると興味のある方もおられるかもしれないので、ここのブログ内の関連記事を貼り付けておく。

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

さて、「自閉症の世界」の序章は、次のような文章で結ばれている(全部書くと長すぎるので、一部カットした)。

 

近年、脳多様性(ニューロダイバーシティ : neurodiversity)という概念が流布しつつある。

 

自閉症、読み書き障害、注意欠陥/多動性障害(ADHD)のような状態は、技術と文化の発展に貢献するれぞれ固有の強みを持つ、自然に起こる認知的多様性とみなされるべきだという理解である。


(中略)

これからの障害者のために居場所をつくり、社会で生活することが可能となり、障害者が自分の生まれたコミュニティに貢献することさえ可能になるような未来の創生に本書がいささかなりとも貢献できれば幸いである。

 

(「自閉症の世界」序章より)

 

当事者であり関係者でもある私としては、ありがたい志であると言うべきなのだと思うし、実際、自閉症の理解を広めてくれる有意義な著作だとも思う。

 

ただ一点、ひっかかりがある。

 

障害者が自分の生まれたコミュニティに貢献することさえ可能になるような未来の創生

 

コミュニティへの貢献といえば、貢献できるようなスキルを持ち、それを現実に発揮することが期待されているのは、間違いないところだろう。

 

だけど、発達障碍者の全員が、「技術と文化の発展に貢献するれぞれ固有の強み」を見つけ出そうとすることは、砂浜を目視して砂金を探すよりも難しい。

 

それは不可能ではないのかもしれないが、現時点で知られている療育の方法などでは、まず見つからないものが、ほとんどだろうし、奇跡的に見つかったとしても、それが「技術と文化の発展に貢献」するものであるとは限らないのだ。

 

たとえば息子(IQ20台)には、特殊な調理法を発見する才能がある。

食卓や台所から、調味料や食材を持ち出してきて、ありえないような発想の組み合わせで混ぜ合わせて、

 

「ゲロのような見かけでありながら恐ろしく美味である謎の料理」

 

を作り出してしまうのだ。

 

たしかに、すごい才能だと思うし、私には絶対にまねできないことでもある。

 

おそらくは、息子は、これまでの人生で食べたことのある食品の味覚イメージを脳内で構造化していて、何と何を組み合わせれば、どんな味になるのかということを、脳内で正確に試行できるのだろうと想像している。

 

でも、息子はそれを周囲のニーズに合わせて実行することができないし、言語化して伝えることもできない。そもそも、自分の体験を人に伝えようとか、共有しようとかいう意欲をほとんど持たない人である。

 

見た目が完全にアウトな息子の食べ残しを、勇気をふりしぼった家族が、恐る恐る食べてみることで、はじめて知れる才能なのだ。混ぜ合わせた素材の配分については息子のみぞ知るわけだから、再現することも難しい。「コミュニティに貢献する」スキルとして発揮するには、あまりも「難あり」なスキルである。

 

私にしたって、息子と概ね変わらない。

人に合う、コミュニティに所属するということ自体に、大きな「難」を抱えているのだから、貢献するのはとても厳しい。せいぜいがネットで何かするくらいだし、体を壊していている現在では、それすらままならない。

 

どこぞの政府か掲げている、「すべての女性が輝く社会づくり」みたいなのを目に入れると、「輝くなくちゃダメですか」と、ため息をつきたくなる。発達障害をカミングアウトされた方々が、世の中ですばらしい業績を上げているのを見れば、素直にうれしいし、心躍るけれども、自分にそういうものを求められると、かなり苦しい。

 

道端の目につかないところで、ちっちゃく咲いている程度で、勘弁してはもらえないものか。輝かなくても踏みにじられない程度の合理的配慮や、基本的人権の尊重をいただければ、私としては十分なのだが。

 

あと、「生産性」を理由に切り捨てたり、侮辱したりするのも勘弁願いたいところではある。

 

こんな勢いで書き散らしながら読んでいたのでは、いつまでたっても読み終えられそうにない。

 

でもたぶん、こうしてツッコミを入れながらでないと、この本は読み終えられない予感がする。

 

ちょっとづつ書きながら、読むしかないかな。