湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一文(一月二十七日)

 

テンプル・グランディン。

 

私は一九四七年に生まれてラッキーだった。その十年あとに生まれていたら、自閉症をもつ私の人生は、まったく違っていただろう。

 

四七年には、自閉症の診断の歴史がはじまってまだ四年しかたっていなかった。自閉症と診断されるということがどういう意味をもつのか、わかっていた人はほとんどいない。

 

私の症状ーー物を壊す、言葉を話せない、身体に触れられることに敏感、回転するものに異常に執着するーーは、今の時代なら自閉症と診断されるだろうが、母はこうした症状に気づいたときに、理にかなっていると思えることをした。

 

私を神経科医に連れて行ったのだ。

 

テンプル・グランディン「自閉症の脳を読み解く」NHK出版

 

 

動物学者であるテンプル・グランディン博士は、自閉症が先入観や固定観念でガチガチに固めれられてしまう前に生まれ、「理にかなった」選択をすることのできる親に恵まれたこともあって、稀有な才能を伸ばす機会を手に入れることができた。

 

グランディン博士より半世紀あとに生まれた私の息子は、重度の知的障害を伴う自閉症児のために社会が用意してくれる、当座は比較的安全だけども、未来に大きな希望を持ちにくい道筋に沿って歩むことを求められてきた。

 

昔が良かったとは決して思わない。

 

12年間息子を守ってくれた学校や、いま現在安全で楽しい居場所を提供してくれている施設や福祉サービスには、感謝しかない。

 

それに、自閉症児の誰もがグランディン博士のように才能を開花できるわけでもない。

 

それでも、グランディン博士の著書を読むと、これまでずっと親として感じ続けてきた息苦しさや、解消されることのないまま積み重なっていった疑問の重さを思わずにはいられない。

 

なぜ言葉を話せないのか。

 

言葉を話せないのに、なぜ文字の読み書きを習得できるのか。

 

IQが30以下なのに、どうして地理感覚が私より優れているのか。

 

なぜ、十年、あるいは二十年も前に聞いた曲を突然口ずさむのか……

 

グランディン博士の著作で語られる自閉症には、息子の内面にも通じると思える部分も多い。

 

いつの日か、脳神経学などの進歩によって、息子のように会話のできない重度自閉症の人の思いを表出するための手段(あるいは治療、療育の方法)が見つかることを願ってやまない。