湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

無音の神とぬか床と火ばしのセラフ

こんにちは。

 

kindleのアレクサさんに、「何か元気のでるBGMかけて」と頼んだけど、「元気の出るBGMという曲は見つけられませんでした」とかなんとか言われたので、「何か元気の出ること言って」と頼んでみたら、


「栗を、とって、くりー」


と言われた。

 

ただのダジャレじゃん。(´・ω・`)

 

BGMがほしかったけど、自分じゃ決められなかったので、「適当に曲かけて」と頼んだら、サイモンとガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」を流してくれた。

 

The Sound of Silence

The Sound of Silence

  • サイモン&ガーファンクル
  • ポップ
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 


Sounds of silenceの歌詞を、ちゃんと読んだことがないので、なんか抽象的だなという印象のみがある。

 

あらためて、ネットでみつけた英語の歌詞をながめながら、頭の中にイメージを作っみようと試みた。

 

 


友人の暗闇と再び話すために僕はやってきた。

睡眠中に、脳に幻影の種を植え付けられたから。

冷えて湿度の高い狭い道を歩いていたら、ネオンの閃光が両目に刺さり、
夜がたたき割られて、沈黙の音に触った。


一万人以上の人が無音で会話し、音声を受信せずに聞いている。
皆歌を書くが、音声は共有されない。
誰も沈黙の音を妨げることができない。


癌のような沈黙が育って君とのあらゆるコミュニケーションを妨害するが、
僕の言葉は沈黙の井戸のなかで無音の雨だれのように鳴り響く。


人びとはネオンサインの神に伏して祈った。
神は閃光を放ち警告した。

預言は地下鉄の壁と安アパートの玄関に書かれていると。

そして沈黙の音のなかでささやいた。

 

 

 

 

なんか、すごく危うい歌のような気がする。

 

周りには大勢の人間と大切な君がいるのに、自分は沈黙の音にジャミングされて、、誰にも思いを伝えられない。しかも、周りの人びとは、沈黙の音に気付かないまま、作り物の神を礼拝し、安っぽい扇動のような予言を待ち望んでいる。


まるでオーウェルの「一九八四」である。

不思議な歌が大ヒットしたものだ。そういう時代だったのかな。

 

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 



 


今日の健康観察


七時過ぎに目が覚めて、八時過ぎに起き上がった。

 

体は相変わらず痛いけど、すこーしばかり、痛みが薄れてきているような気がしなくもない。

 

すくなくとも、起き上がるときのつらさは、先週よりはだいぶマシだ。

 

起きたときは体が冷えていたけど、少し動くとすぐ暖かくなる。これは、ほんとうにうれしい。

 

今日もできるだけ薄着でいて、冷えを感じたら動くようにしよう。


四日間で体重が0.7kg減っている。
たいした減量じゃないけど、全身の代謝があがって減っているのだとすれば、とても健康的なダイエットであるといえる。いまは糖質制限などは一切していない。野菜と発酵食品を多くとっているだけだ。

 

昨日、kindleの読み放題でダウンロードした「驚異の腸内フローラ」(田中保郎 著)という本の最初のほうに、こんな一節が出てきた。

 

腸は「ぬか床」。その中で働きまくるのが腸内フローラ

長年、腹診によって患者さんの腸の状態を診てきた私は、腸が、「あるもの」ととても似かよっているのに思い当たりました。

その「あるもの」とは、「ぬか床」です。(中略)


腸のなかに住み着く腸内細菌たちも、この「ぬか床」の中にいる菌と同じように゛発酵を行っているのです。

(「驚異の腸内フローラ」より)

 

 

腸が変われば人生が変わる 驚異の腸内フローラ

腸が変われば人生が変わる 驚異の腸内フローラ

 

 


すんなり共感できる話だった。

 

四年ほど前から、私も自家製のぬか漬けをつくっている。

ずっと冷蔵庫に保存しているから、発酵が遅いかわりに、カビの発生や腐敗などでダメにするリスクも少ない。

 

それでも一度、ダメにしてしまったことがある。
鬱がひどくて、数日に一回かき回すのも難しくなった時期だ。


ダメになったぬか床は、表面に色付きのかびがはえて、匂いも悪くなっていた。甘酸っぱい香ばしい香りが消えて、それほどキツくはないものの、説明しがたい不快な匂いが出ていた。

漬けていた野菜は、腐敗臭こそしなかったものの、エグみや苦みがあって、食べられなかった。


捨ててしまって作りなおそうかとも思ったけれども、育ててきた愛着があるので、ネットでみつけた復活方法を試してみることにした。


まず、表面にわいていた色付きのカビを撤去。

それから、表面から数センチ分のぬかを廃棄し、容器からぬかをとりだした。

ぬか床の容器はしっかり洗って、新しいぬかと塩を足したぬかを入れなおしてから、しばらくはかきまぜつつ寝かせて休ませた。

少し甘酸っぱい匂いが戻ったなと思ったところで、クズ野菜を少し漬けて、発酵のよい香りが戻るまで、毎日かき混ぜた。


病んだぬか床は、それで復活した。野菜もおいしく漬かるようになった。

 


ぬか床復活の経験があるから、ダメになった腸内フローラも改善できると信じられる。

 

ぬか床誕生の過去日記を掘り起こしたので、転載してみる。

初日から、ありえないようなスットコドッコイをやらかしているのは、まあ私のことだから、お約束である。

 

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2016年06月04日

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ぬか床を作ろうと思い立って、無農薬のぬかをネットで取り寄せた。

家にあるホーローの入れ物で、いけると思って、漬け物用の容器は買わなかった。

ぬか、想定外に体積が多くて(軽いんだからあたりまえ)、家の入れ物では入らないと判明。

 

ショッピングセンターの食器売り場を探したら、ぬか漬け用の、4リットル入りタッパーを売っていた。


冷蔵庫にも入る形。
700円ちょっと。
これ最高と思って、いそいそと購入して帰宅。

 

その日のうちにぬか床を作ろうと思ってたのに、なんだかんだで全く時間がとれず断念。

 

翌日の夜、やろうと思ったら、買ってきたはずの巨大タッパーが、みあたらない。


しばらく騒いでさがしたのち、床に積んだ衣類の下で、粉砕された状態で発見された。


あたまに来たので、Amazonで、ぬか漬け用の容器を発注。
今度は踏まれても簡単には壊れない(はず)。
だいぶ高くついた。

 

野田琺瑯 ぬか漬け美人 TK-32

野田琺瑯 ぬか漬け美人 TK-32

  • メディア: ホーム&キッチン
 

 

 

今日こそは、ぬか床を作りたいと思い、さっそく塩水から準備開始。

水と塩の分量をはかって、煮立てて溶かして、冷まして、ぬかにまぜる…


はずだったのに、塩水を煮立てているあいだに別のことをしたら、煮立てているのを完全忘却。


塩は再び結晶化していた。


水を足して、やりなおし。

いま、冷ましているところ。

 

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ADHDの面目躍如というべきか。

いや、不面目躍如か。(´・ω・`)

 

 

 

セラピムの焼け火ばし


教会で牧師先生による聖書の講読に参加して、旧約聖書イザヤ書の一節を教えていただいた。

 

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。

 

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、

互に呼びかわして言った。「聖なるかな聖なるかな聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

 

その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。

 

その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

 

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、

 

わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

 

(イザヤ書 第六章 1-6節)

 

 


預言者イザヤは、自分のような穢れて滅びるばかりの人間が、神を見ることは恐れ多いといっておびえると、セラピム(セラフ・セラフィム熾天使)が祭壇の燃え残りの炭を火ばしでとって、イザヤの口を「消毒」した。そうして、イザヤの罪と汚れは浄化されたのだという。


講読では新約聖書がメインで、イザヤ書は関連する記述として紹介されていたのだけど、私の印象に一番強く残ったのは、このイザヤ書のセラピムの箇所だった。


イザヤ書は一応通して読んだことがある(はず)。
だから、セラピムの焼け火ばしのエピソードは覚えていたけど、そのときには、それほど印象には残らなかった。

 

今回、この箇所に強く引かれたのは、ここのところ、取返しのつかない自分のダメさ加減に、嫌気がさしていたからかもしれない。


「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに」


という預言者イザヤの強烈な自己否定と、自分とはかけ離れているように思える、きよい存在へのおびえとは、自分のなかの清濁を直視したたことのある人なら、思い当たるのではなかろうか。


ダメな自分のなかの、腐ったぬか床みたいな腐敗臭にとらわれて、心が負けそうになったら、セラピムに焼け火ばしの出前をお願いして、じゅーっと浄化させてもらいたい。


しかし、セラピムって、どんな姿なんだろう。

六つの翼の二つで顔面を多い、二つで足を隠し、残り二つで飛行すると書かれているけど、胸と腹は隠していないのだろうか。そして火ばしをもった手は、翼とは別にあるのか。

いろんな絵画に出てくるけど、なんだかゾウリムシの集合体みたいな、奇妙な姿に描かれていることもある。