こんにちは。
kindleのアレクサさんに、「何か元気のでるBGMかけて」と頼んだけど、「元気の出るBGMという曲は見つけられませんでした」とかなんとか言われたので、「何か元気の出ること言って」と頼んでみたら、
「栗を、とって、くりー」
と言われた。
ただのダジャレじゃん。(´・ω・`)
BGMがほしかったけど、自分じゃ決められなかったので、「適当に曲かけて」と頼んだら、サイモンとガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」を流してくれた。
Sounds of silenceの歌詞を、ちゃんと読んだことがないので、なんか抽象的だなという印象のみがある。
あらためて、ネットでみつけた英語の歌詞をながめながら、頭の中にイメージを作っみようと試みた。
友人の暗闇と再び話すために僕はやってきた。睡眠中に、脳に幻影の種を植え付けられたから。
冷えて湿度の高い狭い道を歩いていたら、ネオンの閃光が両目に刺さり、
夜がたたき割られて、沈黙の音に触った。
一万人以上の人が無音で会話し、音声を受信せずに聞いている。
皆歌を書くが、音声は共有されない。
誰も沈黙の音を妨げることができない。
癌のような沈黙が育って君とのあらゆるコミュニケーションを妨害するが、
僕の言葉は沈黙の井戸のなかで無音の雨だれのように鳴り響く。
人びとはネオンサインの神に伏して祈った。
神は閃光を放ち警告した。預言は地下鉄の壁と安アパートの玄関に書かれていると。
そして沈黙の音のなかでささやいた。
なんか、すごく危うい歌のような気がする。
周りには大勢の人間と大切な君がいるのに、自分は沈黙の音にジャミングされて、、誰にも思いを伝えられない。しかも、周りの人びとは、沈黙の音に気付かないまま、作り物の神を礼拝し、安っぽい扇動のような予言を待ち望んでいる。
まるでオーウェルの「一九八四」である。
不思議な歌が大ヒットしたものだ。そういう時代だったのかな。
今日の健康観察
七時過ぎに目が覚めて、八時過ぎに起き上がった。
体は相変わらず痛いけど、すこーしばかり、痛みが薄れてきているような気がしなくもない。
すくなくとも、起き上がるときのつらさは、先週よりはだいぶマシだ。
起きたときは体が冷えていたけど、少し動くとすぐ暖かくなる。これは、ほんとうにうれしい。
今日もできるだけ薄着でいて、冷えを感じたら動くようにしよう。
四日間で体重が0.7kg減っている。
たいした減量じゃないけど、全身の代謝があがって減っているのだとすれば、とても健康的なダイエットであるといえる。いまは糖質制限などは一切していない。野菜と発酵食品を多くとっているだけだ。
昨日、kindleの読み放題でダウンロードした「驚異の腸内フローラ」(田中保郎 著)という本の最初のほうに、こんな一節が出てきた。
腸は「ぬか床」。その中で働きまくるのが腸内フローラ
長年、腹診によって患者さんの腸の状態を診てきた私は、腸が、「あるもの」ととても似かよっているのに思い当たりました。
その「あるもの」とは、「ぬか床」です。(中略)
腸のなかに住み着く腸内細菌たちも、この「ぬか床」の中にいる菌と同じように゛発酵を行っているのです。(「驚異の腸内フローラ」より)
すんなり共感できる話だった。
四年ほど前から、私も自家製のぬか漬けをつくっている。
ずっと冷蔵庫に保存しているから、発酵が遅いかわりに、カビの発生や腐敗などでダメにするリスクも少ない。
それでも一度、ダメにしてしまったことがある。
鬱がひどくて、数日に一回かき回すのも難しくなった時期だ。
ダメになったぬか床は、表面に色付きのかびがはえて、匂いも悪くなっていた。甘酸っぱい香ばしい香りが消えて、それほどキツくはないものの、説明しがたい不快な匂いが出ていた。
漬けていた野菜は、腐敗臭こそしなかったものの、エグみや苦みがあって、食べられなかった。
捨ててしまって作りなおそうかとも思ったけれども、育ててきた愛着があるので、ネットでみつけた復活方法を試してみることにした。
まず、表面にわいていた色付きのカビを撤去。
それから、表面から数センチ分のぬかを廃棄し、容器からぬかをとりだした。
ぬか床の容器はしっかり洗って、新しいぬかと塩を足したぬかを入れなおしてから、しばらくはかきまぜつつ寝かせて休ませた。
少し甘酸っぱい匂いが戻ったなと思ったところで、クズ野菜を少し漬けて、発酵のよい香りが戻るまで、毎日かき混ぜた。
病んだぬか床は、それで復活した。野菜もおいしく漬かるようになった。
ぬか床復活の経験があるから、ダメになった腸内フローラも改善できると信じられる。
ぬか床誕生の過去日記を掘り起こしたので、転載してみる。
初日から、ありえないようなスットコドッコイをやらかしているのは、まあ私のことだから、お約束である。
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2016年06月04日
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ぬか床を作ろうと思い立って、無農薬のぬかをネットで取り寄せた。
家にあるホーローの入れ物で、いけると思って、漬け物用の容器は買わなかった。
ぬか、想定外に体積が多くて(軽いんだからあたりまえ)、家の入れ物では入らないと判明。
ショッピングセンターの食器売り場を探したら、ぬか漬け用の、4リットル入りタッパーを売っていた。
冷蔵庫にも入る形。
700円ちょっと。
これ最高と思って、いそいそと購入して帰宅。
その日のうちにぬか床を作ろうと思ってたのに、なんだかんだで全く時間がとれず断念。
翌日の夜、やろうと思ったら、買ってきたはずの巨大タッパーが、みあたらない。
しばらく騒いでさがしたのち、床に積んだ衣類の下で、粉砕された状態で発見された。
あたまに来たので、Amazonで、ぬか漬け用の容器を発注。
今度は踏まれても簡単には壊れない(はず)。
だいぶ高くついた。
今日こそは、ぬか床を作りたいと思い、さっそく塩水から準備開始。
水と塩の分量をはかって、煮立てて溶かして、冷まして、ぬかにまぜる…
はずだったのに、塩水を煮立てているあいだに別のことをしたら、煮立てているのを完全忘却。
塩は再び結晶化していた。
水を足して、やりなおし。
いま、冷ましているところ。
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ADHDの面目躍如というべきか。
いや、不面目躍如か。(´・ω・`)
セラピムの焼け火ばし
教会で牧師先生による聖書の講読に参加して、旧約聖書のイザヤ書の一節を教えていただいた。
ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
(イザヤ書 第六章 1-6節)
預言者イザヤは、自分のような穢れて滅びるばかりの人間が、神を見ることは恐れ多いといっておびえると、セラピム(セラフ・セラフィム・熾天使)が祭壇の燃え残りの炭を火ばしでとって、イザヤの口を「消毒」した。そうして、イザヤの罪と汚れは浄化されたのだという。
講読では新約聖書がメインで、イザヤ書は関連する記述として紹介されていたのだけど、私の印象に一番強く残ったのは、このイザヤ書のセラピムの箇所だった。
イザヤ書は一応通して読んだことがある(はず)。
だから、セラピムの焼け火ばしのエピソードは覚えていたけど、そのときには、それほど印象には残らなかった。
今回、この箇所に強く引かれたのは、ここのところ、取返しのつかない自分のダメさ加減に、嫌気がさしていたからかもしれない。
「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに」
という預言者イザヤの強烈な自己否定と、自分とはかけ離れているように思える、きよい存在へのおびえとは、自分のなかの清濁を直視したたことのある人なら、思い当たるのではなかろうか。
ダメな自分のなかの、腐ったぬか床みたいな腐敗臭にとらわれて、心が負けそうになったら、セラピムに焼け火ばしの出前をお願いして、じゅーっと浄化させてもらいたい。
しかし、セラピムって、どんな姿なんだろう。
六つの翼の二つで顔面を多い、二つで足を隠し、残り二つで飛行すると書かれているけど、胸と腹は隠していないのだろうか。そして火ばしをもった手は、翼とは別にあるのか。
いろんな絵画に出てくるけど、なんだかゾウリムシの集合体みたいな、奇妙な姿に描かれていることもある。