【軽いめまいと微弱な吐き気のコンボが地味にキツイ】
朝六時に覚醒してから体を起こすまで、十五分を要した。今日は末っ子が模試で登校だけど、弁当がない。助かった。
しかし末っ子も私も朝食をとって服薬しなくてはならない。末っ子はコンサータ(ADHDの治療薬)、私は甲状腺ホルモン、女性ホルモン、高脂血症の治療薬。
トーストを胃に押し込んで薬を飲んだあと、だんだん気持ち悪くなってきた。それでもしばらくはゲームアプリなどして気を紛らわしつつ椅子に座っていたけど、耐えきれずに布団に逆もどり。
頭はわりと元気なのに、体がもたないというパターンの日らしい。
で、寝たままここの更新をしてる。
たまにはPCで書きたいけど、今日はむりそう。
なんか、自分の中に、寝込むことに対して敗北感があるようだ。病気なんだから、療養に敗北感なんぞ感じてる場合じゃないのに。
だけど、何もできないことを敗北と思うような価値観は、自分ではどうにもならない自律神経系みたいな感じで、確実に自分の深い部分に根を張っている。
その価値観を他者に向けることはないけれど、自分には情け容赦なく乱射してる。よせばいいのに、止まらない。
これじゃ、重度の障害者や難病者が社会保障費を圧迫する存在と見て、存在すら否定する人たちと、何も変わらないことになる。
そんな価値観は間違っているとわかってる。
私が私の存在を否定してるのに、他人の存在を否定する人を批判しようとしたって、腰が座らないじゃないか。ダメじゃん。
しかし、自分とは、ままならないものだ。
息子(重度知的障害者)は、そこにいてくれるだけで、いとしい存在だ。
でも、自分自身のことは、嫌いなわけじゃないけれど、そんなに愛しくもない。
否定的な出来事が重なると、ここにいていいのかと、ぐらぐら不安になることすらある(リーゼ錠の出番だ。抗不安のための武装)。
SMAPの「世界に一つだけの花」を歌ってみても、救われない。この曲、息子の学校(特別支援学級・学校)では、よく運動会のダンスに使われていたっけ。すごく好きだったんだけど、今この瞬間に自分をオンリーワンだと思うのも、オンリーワン(自分だけ)なんだよな、とか、余計なことに気づいてしまったりするのだ。
オンリーワン。
ひとりぼっち。
孤立無援。。。、
孤立無援の思想、って本があって、遠い昔に読んだけど、いま内容がほとんど思い出せない。思い出すのは森田童子の曲だけだ。
オルゴール、分かりにくいな。
しかも「孤立無援の思想」が出てくる歌は「ぼくたちの失敗」じゃなくて、「孤立無援の唄」だった。
PCなら動画の画面直接貼れるんだけど、携帯の「はてな」アプリだと、それが出来ない。そこがちょっと不満。
iTunesには森田童子の曲がオルゴール版以外みあたらなくて、かわりに人間椅子の曲が出てくる。
これ、聞いたことない。
聞いてみた。
歌詞がききとりにくい。(´・ω・`)
実存を探す。
存在したい。
そのために旅にでるのか。
そこまで自分が覚束ないのか。
私よりだいぶ大変だ。病が深い。
この作品、Amazonビデオ(見放題だったと思う)で何話目かまで見たけど、どうにもいたたまれなくて、途中で挫折した。
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場所に依存して自分になろうとするのは、なんか違うと思っちゃったのだ。その「違う」感に、強烈な羞恥というか、「かたはらいたい」感までくっついてきちゃったから、とても最後まで見られなかった。それくらい、自分にとって、こういう問題は根深かったということでもあるわけだけども。
私自身、どこにいっても余所者枠から出られないまま半世紀以上生きちゃって、結局その状態のなかで、自分の確からしさを見つけた。場所や集団への帰属意識の経験は持たない。それはきっと心地よくてしあわせなことなのだろうと想像するけれども(なんか「ヘルシング」の「私は戦争が好きだ」の人が死ぬ前に似たよーなこと言ってた記憶)、ないものは仕方がない。外枠という枠にいる自分を認めて、その自分でやっていくしかないのだ。
あ、でもドラマの原作の漫画は面白かった。
(Kindle版で読んだ)
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結婚したばかりのころ、東京都北区王子に住んでて、故郷の東北が微妙に恋しくなると、「ふるさとの訛なつかし」と石川啄木が詠った上野駅ではなく、赤羽に出かけていた。東北出身でありながら、私は方言が喋れない。言語形成期に東北縦断して暮らしていたので、どこの方言話者にもなれなかったのだ。方言を聴いても、余所者感が膨れ上がるだけである。
赤羽には「七十七銀行」(の看板)があったのだ。
ウォーホールだっけ、「東京で一番美しいのはマクドナルド」と言ったのは。それに近い気持ちだったのだのかもしれない。
東北にいたころ、なけなしのバイト代を下ろしに通った七十七銀行(の看板)が、東京であんなに切なく懐かしく、慕わしく感じられるとは思わなかった。
長くなったので、そろそろやめよう。